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フォーラムが選ぶ・この逸品

龍門司窯 白掛エンショウ壷

龍門司窯 白掛エンショウ壷

2011年12月 久野恵一
製作地:鹿児島県姶良市

薩摩苗代川焼は江戸時代藩の御用窯として、白土が美しい胎土に彩色絵付けした美術品が主につくられ、それを白物(しろもん)と呼びました。対して同じ苗代川の陶工達が庶民向けにつくられる日常容器は黒釉を用いた粗陶器で黒物(くろもん)と呼ばれていました。
この言葉は柳宗悦によって命名され、今では薩摩苗代川焼はこの二つの流れに分かれて知られております。

その黒物の中に、江戸期につくられた蓋付きの長壷があります。
この長壷は焔焼壷(えんしょうつぼ)と呼んだそうで、火薬の原料となる硝酸を入れた壷なのだそうです。薩摩は徳川幕府と長い間対立関係にあることで軍事力を備えておかなければならず、火薬づくりに必要とする硝酸が国内では採取されないため、琉球を媒介とした交易によってしか入手できなかったとのことでした。それで不足となった硝酸を得るため、薩摩の下級武士達の住居の縁の下に小水を撒き腐敗させ微量の硝酸をほじくり出し、これをこの壷にいれて貯蔵してたとのことでした。ですから薩摩の武士達の住まいはさぞ不愉快な匂いが漂っていたのかもしれません。

 この壷が日本民藝館の蔵品の中にあり、壷の形そのものがとても素直でしかも力強く、苗代川の黒物特有の焼成具合の味わいが極めて美しく、何とか今的にこの壷を再現できないだろうかと思っていたのでした。20年ほど前ですが、鹿児島市内の骨董屋で蓋が無いこの壷をみつけることができ、喜び勇んで購入し龍門司窯へ持ち込んだのです。その当時、本家苗代川はこのような黒物の再興は出来なくなっており、ある意味では薩摩苗代川焼黒物の伝統は廃絶したといっても過言ではありません。それでその形を模して龍門司窯でつくってもらおうと思ったのです。あくまでもこの壷のかたちの良さを龍門司的な色調で出来上がれば、薩摩の伝統を継承しつつ新たな製品の誕生となると願ったからでした。

 それで窯職人の一人 猪俣謙二君にお願いして、この購入した蓋なしの壷を預け再興に取り組んでもらったのでした。しかし蓋なしでは形がとれず、謙二君から再三蓋の形の問い合わせがあり、ツマミが無い傘蓋で提案しました。確か本物のエンショウ壷もツマミが無かったはずです。それはつまみがあると高さがとられ収納に不便をだからでしょう。手で持ち上げる傘蓋が本来の形なので龍門司らしく丸みを帯びた形を取り入れることにしてつくったものでした。蓋が当たる本体の縁は幅広く厚めにとり、また内側のフチギワを面取りすることで欠けにくくさせ、丈夫で使い勝手がいいように配慮したものです。

 はじめに注文したのは、龍門司焼らしく三彩流しで、その後黒釉青流し、黒釉白流しそしてうぐいす色の透明地に白土を流し掛けたものなど、その当時の日本民藝館展にも出品したり、各地での展示会にも出したものでしたが、用途がわかりにくいようなのと価格が割高なため販売が滞り、いつの間にかこちらも注文することすら怠ってしまったのです。このたびの40周年の再興の会で、今度は白土のみのものを制作依頼しました。薪の窯の効果もありますが、龍門司焼独特の白土の美しさも相まって、柔らかく気品ある白長壷が出来たのです。願わくばこの壷が一般に普及して頂ければありがたいのですが、用途性と大きさの割に価格高なので難しいかもしれません。

 この再生した壷を一つの定番として、形をそのまま小さなものもつくっていけば、何か展開が出来るかもしれません。何とか世に拡めたいものとして、龍門司窯の逸品として推薦いたします。