手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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学習会・イベント報告

土曜の夕べ・月例学習会「東北の手仕事」

土曜の夕べ・月例学習会「東北の手仕事」

2008年8月2日
語り手:久野恵一

〈東北文化の背景と特徴〉

青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島で東北6県といいます。小鹿田焼(大分県)の坂本茂木さんと飲みに行ったとき、「『北の酒場通り』という歌があるけど、いったいどこからが北というんかね?」と聞かれたことがありますが、それはだいたい福島県の白河の関所で分かれていて、そこから上が北、すなわち「みちのく」になるわけです。
東北の特徴は、まず寒冷地帯が多いこと。地図を見てもわかるように、三陸沿岸では崖が海まで迫っていて平野部が少なく、山、寒さ、雪によって生産関係が非常に制約され、農業はおもに平野部ということになります。
今日お話するのはそこで使われる道具のことですが、東北地方の手仕事はまず、「使うものを自前でつくる」ということが大きな特徴となっています。関西から西へ行くと、つくるものが産地化されますが、東北地方ではどこそこ製という生産地のことはあまり言われない。現在、岩手県は南部鉄器の産地だといわれていますが、南部鉄器の生産地というのは水沢一か所で、水沢はもともと伊達藩で南部藩ではない。仙台ですから、文化圏の違うところへ持ってきて、伊達藩でつくっていた。今では一大生産地のようにいわれる岩手の南部鉄器も、もともとそれほどではなかったわけです。
東北においては、大きな流れの中で、アイヌの文化も見過ごせません。アイヌ民族というのは日本の祖先の人たちですが、昭和の中ごろまでこのあたりにはアイヌの人たちが多数住んでいて、生活の中でさまざまに融合しながら文化体系をつくってきた。物物交換などの交易で、山形のものが秋田へ行き、秋田のものが青森へ行く。そういう中でいろんなものがからみあいながら生活道具がつくりあげられてきたんじゃないかと思います。
また、同じ道具でも東北6県で呼び名がまったく違っています。学生の頃、庄内平野の鶴岡から月山を目指したことがありますが、その途中で背負いかごを持った人に出合い、名前を聞いてみると「ドウフ」と言う。それが月山に入ってくると「ハケゴ」といって、編み方も違ってきます。その言葉を頭におきながら今度は福島県に行くと、「スカリ」という言葉になり、秋田に上ると「コダシ」、青森にいくと「コダス」。そこでしか使われない言葉なのかなと思って岩手県にいくと、また「ハケゴ」と呼ぶ地域がある。どうして言葉がこうさまざまに違うのか不思議ですが、詳しいことは皆目わからず、アイヌの言葉が入っているという説もあります。

〈背負いかご〉

山形県の庄内地方は海に面しており、海のルートから京都の文化が入ってくるので京都の言葉が交じり、染織品なども他の地域とは少し違っています。民俗調査をしていた学生の僕はどうしてもそこへ行きたかったので、そこから月山越えをしたわけですが、ちょうど稲刈り前の時期で、田圃には農家の人がいっぱい出ていました。すると、ほとんどの女性が黒い覆面をして目だけを出しているんです。今ではほとんど見かけることはなくなりましたが、それはハンコタンナという不思議な習俗でした。

そのときは民具を調べながらの旅で、田麦俣の集落に行った後、ヒッチハイクをしてトラックに乗せてもらっていると、おばあちゃんが山葡萄のかごをかついで歩いてるのが見え、僕は思わずトラックを止めて降りていました。「ああ、こんなかごをかついでる人がいるんだ」と感動したんですね。「このかごはどこでつくってるの?」と尋ねると、答えは返ってくるんだけど、山形弁なので何言ってるかぜんぜんわからない。でもどうやら「大井沢」というところ行けばいいということがわかり、また車に乗せてもらって行きました。地域のどこへ行けばいいかわからないときは、とにかく一番奥まで行って下りてくること。これは宮本常一先生の教えですが、上から下を見ると生活全般がわかる。「この辺でこういうのをつくってる人はいるか?」と聞いてみると、「みんなつくってる」と言うんですね。それで「一番上手なのは?」と聞くと、それが佐藤栄吉さんで、すぐ近くに住んでいるということがわかった。それですぐに栄吉さんを訪ね、「一番上手だと聞いて来ましたよ」と言ったら、向うは「そうだ。俺は他のやつらには負けねぇ」としゃべり出す。そのときはもうノートもとらずどんどん話しこみます。時間がたって暗くなってくると向うは必ず、「これからどうするんだ?もうバスねぇぞ」と聞いてくる。「いや、まだ決めてないけど、どうしたらいいですかね?」という表情をすると、「うちに泊まれや」ということになる。そうして泊めてもらったらOKで、次に来たときにも泊まることができるわけです(笑)。
そうしてはじめて山葡萄のかごをつくる工程をくまなく見せてもらった。そのときは、縁の巻き方が今のようにきれいではなくて、ただ巻き返すだけだったけど、編み方がすごく丁寧でしっかりしていました。今でもこういう編み方ができる人はいないと思います。栄吉さんは悪い材料は全部捨てて、いい材料だけでつくるんです。だからこれだけの仕事ができる。いつも言うことですが、モノというのは縁や底が決め手で、あたるところと持つところが最初にやられてしまう。逆にここがしっかりしてればモノがいい、ということになります。
いろいろと話を聞いてみると、すでにこの地域は、手さげのものをつくり出していて、民藝協会を通じて、縁の巻き方も研究されていた。それは笊のように縁をつくる「笊縁(ざるぶち)」というもので、岩手山の笊を見本にしていた。細い竹で矢が入ったように編んでいく「矢筈縁(やはずぶち)」ともいうもので、すごくしっかりしたものができる。だけど型枠を入れて編んでいて、後で型枠を取り出さないといけないので、形もストンとしたストレートなものだったし、手のところもあまりしっかりとはしていなかった。その後この仕事にたずさわるようになったとき、この形のことがずーっと気になっていて、何とか美しいカーブにできないかと思い、いろいろ考えました。そして、大工さんの木枠の仕事からヒントを得て、あとで型を壊せるようにすればいいんだと気づき、ようやくこの美しいカーブができるようになったんです。

これは民藝館展で賞をいただいたんですが、相馬貞三さんという青森の民藝運動の方から、「これをつくらせるのにどれだけの努力があったか」とたいへん評価していただき、これは非常にうれしかったですね。いいものを見つけて店に置くだけではなく、製作者に声をかけ、その人の仕事の力を最大限に引き出して、自分が感動するものをつくってもらう。この喜びや満足感が今も仕事の原動力になっています。
作り手にこのような提案をするときは、もともとあった背負いかごに手をつけるというアイデアも大事ですが、そのものの命、ポイントがどこにあるのかを知っていなくてはいけない。底の編み方、縁の強さ、そこに手を巻くことによって全体がもっとしっかりとしてくる。しっかりしているからこそ、いいものとして認識される。「いいものとは何ぞや?」といったとき、そこにキメがあるということ、決め手があってはじめてそのものが生きてきます
当時たまたまその手さげ籠を民藝館で買われた方が、今日持って来ておられます。25年くらい前のものですが、山葡萄の2枚皮でできています。はじめは白みがかっていますが、使い込むうちに赤味がさしていい色になります。

〈山葡萄のポーチ〉

このポーチは、おそらく青森でつくられたものだと思いますが、同じ山葡萄でも細く薄い皮を裂いて織ったもので、中は科布でできています。今から45年くらい前のもので、今はとてもこれだけの材料をそろえることができません。民藝協会の先輩たちがみんな持っているもので、シンボルのようにもなっていますが、私はこれはあまりやらないほうがいい、と思っています。なぜなら山葡萄の素材は縦に弱くて、10年たたないうちに切れてきて修理が必要になってくる。新しい仕事に取り組むときは、そういう素材の特性を認識していくことも大切な要素だろうと思います。
山葡萄の編組品は、東北6県のどこでもつくっているわけではなく、地域が限られています。山の中の自然林で、ブナだとか広葉樹林が密集しているところ。白神山地や会津若松、裏磐台の沢沿いにはこういうツルが吊り下がっていて、その皮を剥ぐと、素材になるものが出てきます。それを一回採ると、採った瞬間から黄色くなり、赤くなって、最後は茶色くなってしばらくすると、かけてきます。

〈岩手県岩泉のハケゴ〉

山葡萄がとれないところでは、また別のものをつくっています。これは岩手県の岩泉でつくっていた「ハケゴ」というもので民衆の生活道具ですが、素材の赤味と形のおおらかさ、力強さは非常に東北らしい。僕らが勝手にどこそこらしい、というのはおかしいけれども、素朴で、力強さがあって、素材の質感から湧き上がってくるエネルギーが東北の手仕事を特徴付けているような気がします。

〈肥料袋〉

これは岩手県の遠野のもので、肥料を入れて荷車に乗せて運ぶものです。ただ皮をまとめ上げて、縛って、縫って、縁を巻いただけのものですが、ここには素朴な自然から生まれ出た民衆の造形感覚があり、素材感の強さから何かしら訴えてくるものがある。そういうものの中からすぐれた美しいものをピックアップされたものが民藝なんですね。たとえ生活道具であっても、ものの強さとか造形的なおもしろさ、文様のよさが合い通じれば民藝になる。それを「手仕事でつくった実用品だから民藝だ」と誤解する人もいるようですが、民藝というのは概念ではなく、ものそのもののよさです。暮らしの道具として必要で、丈夫で、使いやすい用途性からでてきたものは、それはそれでいい。だけど、それが民藝かどうかというのは別の話です。トータルで言えば、「クラフト」といっても差し支えないかもしれません。民藝というのは、もう少し奥深いところがあるんだけれども、その奥深いものを説明できなかったところに民藝運動の弱さがあるような気がします。それは柳宗悦先生一人のもので、同意する人はみんながただ賛美するだけだったから、洗練することができなかったんじゃないでしょうか。

〈米砥ぎ笊〉

ここにあるのはすず竹でまいた米砥ぎ笊ですが、僕はなんでもないこの笊にすごさを感じています。よく見ると真ん中に黒い線が入っていますが、この線をいやらしいと思ったらそれまでです。これは炙(あぶ)らせて墨を通したもので、こうすることによって虫にも強くなるし、腐りにくくなる。しかも全部に入れずに真ん中にだけ入れてあり、この自然に見えるところに僕らに訴える力があるんです。

〈蓑(みの)〉

これは去年入手した蓑です。残念なことに作り手はその年に亡くなってしまいました。4、5年前に出会ったときに「昔ながらの蓑をつくってくれないか?」と聞いたら「いいよ」と言ってくれたんですが、まさか今これができるとは思っていませんでした。編むのに1カ月半くらいはかかります。材料にシナ(科、?)を使い、矢羽で編みこんであります。そしてこの部分は麻を着色しています。これが民藝館に飾られればやはりすばらしいものだと思うけど、民藝館にあるものは極め付けのもので、今同じものがつくれるか、といえばつくれない。ところがこれは、普通に仕事をしている人が、注文があったからつくった。注文されればこういうものができる、というところが日本の文化のすごさであり、現代の奇跡のように思います。これはモノとしてはもう終わったものですが、自分としては、こんな仕事をする人が今でもいるんだということを知らせたかったのです。米沢から30分ほど山に入った玉庭というきれいな盆地で、他にはマタタビ細工などもつくっていますが、手仕事というのはなぜか美しい背景と結びついているような気がしますね。

 

〈山葡萄(やまぶどう)の古いかご〉

これも山葡萄のもので、長い間使い込んだものですが、きれいに磨くとお茶席の花入れにもなり、利休の茶の湯の世界にも通じるものです。民藝というのは、そういうお茶の世界の美意識とも共通性をもつもので、結局はものの中のすぐれた美しさをどう感じてどう取り入れるか。ころがっている石ころ一つからでも造形的なすごさを見抜く目の力を会得していくと、こんなにおもしろいものはない、と思います。

〈生産体系の違い〉

東北地方と、西日本、九州方面では手仕事の在り方がまったく違います。西日本地方は気候的に暖かく、農作業にしろ、ものをつくるにしろ、仕事がやりやすいのでどんどん専業化がすすみます。だからこそ使う道具が分業化される。東北のように4カ月も5カ月も雪の中の寒い中で過ごす人たちは、身の回りの道具はお金で買うより自分たちでつくったほうがいいし、素材も自分たちでとりに行く。またお金を稼ぐことに対する意識の違いもあります。東北地方の人たちは出稼ぎに行って稼ぎ、九州地方の人たちは、どれだけ多くものをつくるかということを考える。そういうことからも手仕事というのは、東日本と西日本では分かれるし、同じ東日本でも、寒冷地帯と平野部では違ってきます。生産体系というのは、気候だとか地形によって影響され、なおかつ日本の場合は藩政時代の藩と藩との競い合いからの切磋琢磨があった。このようにして、世界でも類をみないくらいに細分化された日本の文化がつくりあげられたんだろうと思います。

(聞き取り:手仕事フォーラム会員 後藤薫)