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学習会・イベント報告

土曜の夕べ・月例学習会「ものの見方」

土曜の夕べ・月例学習会「ものの見方」

2009年1月17日
語り手:久野恵一・大橋正芳

この勉強会は、モノのおもしろさに興味をもってもらいたい、モノができていく過程を通して、さまざまなつくり手たちの方針や方向を身近に感じてもらいたいという主旨でやってきましたが、そろそろモノの見方という話に入っていく段階ではないかと思っています。
今日は、「柳宗悦の民藝」、「民藝と民具」という話を中心に、スライドを見ながら、もののおもしろさやその観点についての説明をしていきたいと思います。

[「民藝」は、柳宗悦という一人の人の美の視点からはじまっている]

最近、民藝に興味をもつかたが増えてきましたが、ものを見ていく観点からすれば、一般論でいう民藝と柳宗悦のいう「民藝」は実は違うものなのだ、ということをまずおさえておいていただきたい。
水尾比呂志先生の文章に、「柳宗悦の民藝への関はその美への注目からはじまった。直観による美の感受と把握を根本とするものであった」とあるように、柳にとっては最初から「民藝ありき」なのではなく、柳というものが見える人の眼が選んだものには非常に共通性があり、その共通性をあとから理論的に肉付けしていったのが「民藝」のはじまりである、ということです。
柳宗悦という非常に恵まれた環境にあって、卓越した審美眼をもつ人がいた。その人が、「民衆が一般的に使うものに興味があり、それがいい」と、明快に言った。
その頃の一般の人たちは、そんなことを考えるほど生活に余裕がなかっただろうし、明治近代になって、むしろ日本の伝統的なものや美術的なものに対する主観を強く感じている時代だったので、その発言には日本国中がびっくりしたことだろうと思う。だけど、理論的に構築したり意識的に見ていなかっただけで、そういうものの見方ができた人は柳一人ではなかっただろうし、日本人の多くの中に、もともとそなわっていた感性だと思う。それが柳によって具体的に提出された。そして、美しいと選ばれたものの中には、総じて民衆の暮らしの道具が横たわっていたので、「民藝」と名付けた。
ところが当時の社会では、そういうものを美と認めない勢力も多かったので、柳たちはアジテーション的に声を大にして、「無名な民衆がつくった生活道具であって、実用性にこそ美しさがある」と言わなければならなかった。それが、今の時代でも、「実用性」のあるものならば何でも民藝なのか、という誤解を生む一因となっている。繰り返し生産されていく日常雑器は、一般的な意味からは民芸品だが、柳がいう「民藝」はまたちがうものである。

[民藝と骨董美]

柳の美の視点のわかりやすい例として、現在展示中の日本民藝館の古陶磁の部屋に飾られている丹波焼をあげたい。何でもないシンプルな皿だが表情がある。その表情とは、使い込んで染みた味のことである。
丹波の土は鉄分が多く、焼くと茶褐色になる。そこに白化粧をすると、相反して白が目立つ。それを使い込んでいくと、生地の土と、化粧掛けした白い土の間に貫入がおこる。民藝館の丹波の皿も使い込まれ、白化粧土をかけたものが肌色になって、雲が湧き立つような雰囲気があり、それが表情となって人の心を動かす。できあがったばかりのとき、いいものだったかどうかはわからない。しかし、使って味わいが出て、美しさが増した。
民藝館にあるものは、ほとんどが使われたものだということが特徴的である。単に古いか新しいかではなくて、使い込んで表情が出たもの。柳の美の視点はそこにある。
 柳はおそらくボロ市のようなところで、朽ちた日常のものをただのような値段で選んできた。そのものがよければ、当然値段が高くなる。そこに、柳の言ったことの功罪があることも事実。民藝というのは骨董美です。しかし、イコールでありながら違いがある。それは、骨董美が美しさだけを求めることに対して、「民藝」の場合は、つくっていく過程の中のさまざまな問題を提出し、つくり手やその表現形態がどのようになっているか、ということを重視する点にある。

[茶の開祖たちの美の視点

忘れてならないのは、柳宗悦より500年も前にあった「茶」の大きな運動である。お茶の開祖たちの視点は柳と同じで、どれがいいとか悪いとかではなく、目の前にある美しいものをストレートに「美しい」と言えた。
今日にも続く茶道があるからこそ、日本のやきものがいまだに隆盛だし、そこには大きな貢献と功績がある。
それからずっと茶の道における美の約束事が続いてきて、久しぶりに柳の美の視点が出てきた。それにひっかかったのが、私たちです(笑)。本質的な「民藝」とは、柳の唱えた民藝1つであり、それはきわめて厳しい美の選択をしている。

[民具と民藝]

「民具」と「民藝」のちがいは、「民具」が日本の民衆がどういうものを使っていたかという「資料」であることに対して、「民藝」は、そういうものの中から美しいものを一個とればいい、ということです。多数ある中で、もっとも美しいものが1つあればいい。それが柳の視点です。
僕らの視点は「そういうものを使っていきたい」ということだから、柳の視点とは少しちがってきます。僕らがやろうとしているのは、「実用的工藝の中の美しさを感じられるもの」で、柳の美は、普遍的な意味での民藝の美。同じものだと思ったら大間違いだということです。

※大橋正芳×久野恵一対談

[柳宗悦の民藝と民具について]

大橋:今日、久野さんが民藝の美しさを伝えたいと言ったのは、柳の眼を伝えたいということですよね。じゃあ今、もやい工藝にあるもののこととは違うということですか? みんな、もやい工藝にあるものは民藝だと思って来てるはずです。
久野:工藝店をやりながら非常に矛盾を感じるんですけど、二つあるんです。柳宗悦のいってる民藝の美しさというのは、ここにあるものではない。だけど、この中にも柳宗悦の眼をもって選べるものはある。しかし、すべてがそうとは言えない。
柳宗悦という類い稀なる眼をもった人が、おびただしい量の中から一点だけ選ぶ。もっといいものが出てくると、それはいらなくなる。柳の場合、二つはいらないんです。珍しいものだといくつもある。
今、民藝館で展示してる泥絵も、類品のないものを数十枚選んでます。しかも、それらはみんな際立っていい。同じものでちょっと落ちるものは、地方の民藝館やある人のコレクションで見ることがある。
いいものだと思ってもっていても、もっといいものを見せられるとどうしてもそれがほしくなる。その心理は柳先生も同じだと思うんです。そうして、日本民藝館には自然と最高級のものが集まるようになる。
大橋:柳が選んだもの、つまり日本民藝館へ行くときの眼のもち方は少しずつわかったけど、僕らがここで買うときはどうすればいいの?
久野:忘れてください(笑)。柳の眼は究極の眼だということだけ押さえといてください。
大橋:(笑)。そうだね、僕らは民藝館で勉強して、少しでも眼が高くなると、こういう工藝店でも少しでもいいものを選ぶことができる、ということは確かだよね。
それから、中川原さんの籠の説明のときに、「これは民藝ではないかもしれない。民具に近いかもしれない」と言ってたけど、今日のテーマの1つでもあると思うので、「民具」と「民藝」の違いもう少し詳しく説明してほしい。
久野:「民具」という言葉をつくったのは澁澤敬三という方で、それはあくまでも生活道具です。だから対象となるのは、何処で誰が何をつくっていたか、また何を使っていたか、ということ。中川原さんの籠は美しい立派なものだけど、「こだし」という名の背負い籠、生活道具です。
ああいうものを今、われわれが注文しても、担いで山に行く人は誰もいない。しかし、ああいう仕事ができる、復活させてもらいたい、という思いでつくってもらったもので、やはり民具です。柳宗悦は、あれを褒めると思いますが、民藝館に所蔵するものには、1つのスタイルがある。造形的にもっと張りをもたせるとか、もっと強い縁であるとか。しかし、それをやれる要素は充分にある。事実、中川原さんの仕事の中には、柳先生が選ぶようなものがいくつもあります。
「民具」というのは生活道具であって、「民藝」というのは、生活道具の中から美しいと思って選んだもの、ということです。
大橋:柳は、民藝というのは民衆が生活の中で使っている道具なんだ、生活用具なんだ、と言ってる。それは宮本常一が全国を探し歩いたものとまったく同じですよね。ただ、柳は、そういうものの中からとりわけ美しいものを選んで民藝館においた。一般の人が日常に使うものが手仕事のものしかなかった時代、あれらは民具だったということですね。
久野:民具です。中には民藝として取り上げられるものもきっとあっただろうけど、気がつかないで使っていた。
大橋:じゃあ、日常的な膨大なものの中から、柳が特別な視点で取り上げたものだけが「民藝」ということ?
久野:そういうことです。だけど、それによって人々の眼が開かれ、つくり手たちの生活背景ができてくる。そうすると、過去によかったものから、現実に使えるものを考えながら、今の生活用品をつくり出す。100円ショップのものではおさまらなくて、民藝という範囲の中でいいものがほしい、ということになると、民藝運動が盛んになり、それにかかわるつくり手が活性化する。そうすると、柳が選べるようなものがまた出てくる可能性がある。それをめざすことによって、すべてのものが普遍的によくなる、ということです。
小鹿田がすばらしいのは、今でも窯出しに行ったときに、千個に1個、選べるものがある、ということです。それが民窯のおもしろさです。それを選び出せるかどうか、ということです。
大橋:僕らには、できるだけ多くの人が、少しでも安く、少しでも美しいものを手に入れることができるものづくりを残していきたい、という思いがある。まったく矛盾するけど、柳の民藝というのは、稀少性の極みだよね。
久野:そう。柳先生の功績、民藝の社会的役割を鈴木繁男さんは、「民藝には運動はないよ。個人の生き方だけだ。籠に乗る人がいて、籠を担ぐ人がいる。担ぐ人の草鞋を編む人がいる。草鞋を編む人に光をあてたのが、民藝運動の最大の功績だ」と言ってる。
大橋:箕というのは、民具そのものだけど、民俗学の人はそれを資料としていろんなタイプのものを数多く集めなくてはならない。柳宗悦の民藝は、一番いいものが1つあればいい。ものは同じでも、興味の視点がぜんぜん違ってる。
久野:ここにあるのは、先がとがった「先槍箕」というものだけど、民藝の人は、造形的におもしろい、飾っときたいなと思う。民俗学の人も眼がいくところは同じだけど、「どうしてこのかたちになったのか、全国のものを見て、比較しようじゃないか」ということになる。
大橋:柳は、「自分がものを蒐集するときは、縦に買うけれど、民俗学の人は横に買う」と言ってる。それがおもしろいところだね。
久野:それから、柳宗悦さんと宗理さんはものの見方のポイントがちがう。宗理さんは、使うとか平常無事ということにあまり興味がなくて、驚異的なものに眼がいって、文様がスカーッとしたものを選びます。また、柳宗悦は斜め上からものを見ますが、宗理さんは平行した目線でものを見る。デザイナー的な視点なんです。

[日本民藝館について]

久野:今の民藝館は、その動きや雑誌『民藝』を見ても、かつての民藝のことばかりを書いて、アーカイブ化されています。これからの民藝館は「民藝美術館」的なかたちになると思う。運営に携わってる人たちに当時の意気込みや志が失せてきてるから、しょうがないかもしれないけど、だからこそ、薫陶を受けた人間の一人として、柳の言ったことや集めたもので、自分自身に血肉化されてるものを繋げていかなければならないと思っています。
大橋:久野さん自身は、民藝館はあのままでいいと思う? 手をつけちゃいけないの?
久野:本来だったらやらなきゃいけないでしょうね。
大橋:それは新しい民藝の活動ということだよね。民藝館そのものは、柳の眼をきちっと守るという意味で、その後のものは入れないで、このままフィックスしておいたほうがいいと思ってる?
久野:私は、そのほうがいいと思う。蔵品はすぐれたものが約1万7千点ある。主旨を変えたり趣向を変えたりしてもっといろいろできると思う。それはやはり中にいる人間の志の問題ですよ。何もできないような状態じゃないと思う。
大橋:民藝館も時代とともに生きていかなきゃいけないから、柳が集めたものをベースに、次の世代の人が次の視点で、こういうものが世界にあるぞということを企画立てて展示していこうとするはずだよね。それがなければ館も先へ動いていかないし、その視点が柳以上にいってないと、時代が下るにしたがって、レベルが低くなる。
久野:いや、柳が残した業績や柳の展示の伝統はきちんとそのとおりに残せばいいと思う。そして、民藝館と共通する美術館は他にもいっぱいあるわけだから、そういうところに貸し出ししたり、違った人たちの会をすればいい。民藝館は、本山じゃないけど、そういうかたちで残せばいいと思う。だけど今、リピーターがあまりいない。いいものだと思って見ても、それがどういうものなのか、ということがほとんどわからない。どうしてこんな展示なのか、ということをもっときちんと説明する必要もあると思う。
民藝のよさは黙って見てればわかる、ということはありえない。直感なんて簡単にできるものではないから、やはり実感を重ね合わさなければ、なかなかわかるところまではいかない。
民藝館のものは、やはり使い込んだものが多い。人の手の垢で染まったものだから、ぬくもりがある。だから、ここにあるものも使い込んでよくしていただいたら、民藝館に飾ることができるものもあるはず。僕はそう信じてがんばってます(笑)。

(聞き取り:手仕事フォーラム会員 後藤薫)