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学習会・イベント報告

土曜の夕べ・月例学習会「小鹿田焼 前編」

土曜の夕べ・月例学習会「小鹿田焼 前編」

2010年2月27日
語り手:久野恵一・大橋正芳

 今日は小鹿田の老陶工の話をしますが、彼らがいかに技術的に優れているか、伝統とは何なのか、ものを見る視点、どうしてわれわれがこういうものに打たれるのか。そういうことを理解し、できれば共鳴してもらいたいと思います。
 具体的に老陶工がつくった今のものや前のもの、そしてこれからの若人のものを見せて比較をします。そういう話について、きっと大橋先生から私に対して苦言がくると思うんです。それに私が必死になってこたえ、そのこたえの中から、やきものとはこういうものか、小鹿田のよさとはこういうものかということをわかってもらえればと思います。
 そしてこういう話をとおして、なぜ私が36年にわたって小鹿田にのめりこみ、いまだにこういう会を催したりして小鹿田と切れずにいるのか、ということを知っていただければなあと思います。

映画「小鹿田焼」上映

 これは十数年前に、小鹿田焼が重要無形文化財技術指定保持団体になったことを記念して文化庁がつくった映画で、小鹿田の立地条件、なぜこういうかたちで仕事をしているのかということを10軒の窯元全部に焦点をあててつくっています。
 映画では作業風景のなかで、飛び鉋(とびかんな)や刷毛目(はけめ)といった技術を見せますが、私はさらにつっこんで、飛び鉋のよしあし、10人が同じ文様をつくっていながら、なぜそこにちがいがあるのかということを具体的なものを見せながら話していきます。
 柳宗悦が小鹿田に焦点をあてて入り込んでいった、そういうことに近づけるような。そして、これからの小鹿田にとって一番大事なものは何なのか、そういう話をしたいと思います。

(映像を見ながら)

蹴轆轤(けろくろ)
 今、轆轤を足で蹴っていましたが、全国の窯場はほとんど電動轆轤です。いまだにすべての窯元が蹴轆轤をしているのは、全国でも小鹿田だけです。もともとのルーツである韓国へ行っても、蹴轆轤をしているのはほとんどありません。
 轆轤が時計回りとその反対回りに回っていることにも注意してみてください。時計回りに蹴っているのは窯業学校の出身者で、ふつうは反時計回りです。

せんべい壷
 これは日本民藝館に収蔵されている「せんべい壷」です。名品中の名品で、小鹿田を代表するものですが、今、同じようなものをつくって民藝館展に出しても選外になります。ぶつぶつのふくれや、焼きが強すぎるといった目でものを見るからです。
 このぶつぶつとしたふくれ、流した味わい、ヘタな字で書かれた「せんべい」という文字の素朴さ、もっとも大事なのが骨格で、そこに柳の眼がいってます。
 蓋をするために縁のつくりがきちんととれています。これは使うための「用」というものをあたりまえにつくる職人さんがやっているということです。今の人たちは「用」というものがあまり頭にないから、こういうところがおろそかになる。この「おろそかになる」ということが、少しずつ伝統が失われていくもっとも大きな原因となります。つくり手も見る人も、こういうところをしっかりと見て、なぜこれがいいのかということを感じてもらいたい。

刷毛を打つ
 生地の上に刷毛を打っていますが、こういう文様はわりと新しく、せいぜいここ60年から70年前です。
 化粧掛けの為の白土の層はごくわずかしかないんです。こういう文様が発達したのは近年のことですが、黒い土に白い土がのっかることによって、人の気をひける美しさになる。そこに釉薬をかけることによってさらに多彩な技法が発達します。

打ち掛け
 打ち掛けという技法がありますが、方法は同じでも、人によってすごくちがいがあるものです。手首の返し方、流し方の癖で、誰がつくったものかということもわかるし、つくり手の心構えや方向性が見えてきます。

土をつくる
 土をつくるのは、全部女性の仕事です。小鹿田の窯元がいくらハンサムだからって、お嫁さんに行くのは考えたほうがいいですよ。

炭酸銅
 この炭酸銅は青地とよばれる釉薬になりますが、ほんとに粒子を細かくしないと、青がきれいに発色しないんです。よく擂れてないと、黒い斑点ができたりします。たいていの窯元では、おじいさんかおばあさんが二日も三日もかけてやっています。そこまでして何でこういう釉薬をつくらなければならなかったかというのもおもしろいですね。

唐臼
 今、全国のやきものの土はほとんど土練機(どれんき)でつくっていますが、機械でつくると粒子が細かくてきれいになりすぎるんです。唐臼でつくるほうが粒子があらく、かえって粘着性が出てのびがいい。機械より手作業のほうがつくりやすいいい土になる。小鹿田のよさはそういうところにもある、ということです。

腰継ぎ
 大きなものをつくる場合、途中までひいたものを乾かして、さらにその上に継ぐというやりかたをします。継いだところでどうしても段差がでますが、それをどれだけおさえられるかに、技術のうまいへたがでます。

窯焚き
 小鹿田は鉄分が強い土ですので、温度が高いと焼き損ねが多く出ます。だから火力のない焚きものを使います。ふつう他のところでは松などを使いますが、松だと火力が強くて焼成温度が高くなりすぎるので、廃材や杉などの半端な材料を使います。こういうところにも安くできるための大きな条件があります。
 ふつう窯焚きのときにはゼーゲルという温度を測るものを中に入れておいて、それが倒れたら窯があがったということになるんですが。ここの人たちはそんなものを使わずに、眼で火の流れを知ります。

小鹿田焼の実物を見て、 同じ技法ながら、十人十色のちがいがあることを知る。

柳瀬朝夫さんの大壷
 今から25年くらい前につくったもので、最上級品に近いものです。これとめぐり合ったときには、すばらしくいいかたちだなと思いました。今はこれくらいの大きなものはあまりつくれない。つくっても重たくなるんです。
 これは焼くと22%から22.5%縮むので、つくるときはもっと大きい。下からぐーっとつくっていって、一度とめて少し乾かして、また柔らかいものをのせてまた乾かして、というふうにして全部で4回継いでいます。継いだところがあまり顕著に見えず均一にのばしたものがよく、そこに技術のうまいへたがでます。そして、「せんべい壷」のときにも言いましたが、縁がきちんとしまってるかどうか。そこに造形的な差がでてきます。
 これは地肌のうえに化粧土をかけて刷毛を打っていますが、刷毛を打つときは、成形のときとは反対に轆轤がまわっています。古いつくり手の人たちは成形するときは、右で蹴って勢いをつけて、左でまわしながら調整します。窯業学校は電動轆轤で全部時計まわりなので、お父さんと息子で轆轤の回り方が逆の場合がよくあります。どちらでもかわらないというけれど、刷毛を打ったり飛び鉋を使うときは右手を使うというしぐさのために、時計回りがやりやすいということがあります。
 柳先生は、「あったもの」からものを選んでいます。工人にこういうものをつくってくれと言っても、意識してしまうのでなかなか思うようなものができないことが多いのですが、小鹿田の場合は意識しながらも無意識の人がいっぱいいる。そこが小鹿田のおもしろさです。

坂本浩二さんの大壺
これをつくったとき浩二君は、27、8歳でした。彼にさまざまなかたちを見せながら壷の理想形の話をしました。もったときに軽くなければならない、これは小鹿田の伝統です。日田の街からやきもの買いの人が来て、馬の背にのせておりて行くとき、軽いものから売れた。「うすづくり」というのは、いかに容量をいっぱい入れるかということでもあります。しかし、うすいからといって割れては困るから、しっかり焼いてないといけない。そういうさまざまな話をするなかで、浩二君にうすづくりで手がけてもらった壷です。
 なぜこのようなかたちになるか。轆轤径がだいたい33センチで、底の寸法が決まってきます。そこに容量をつけようとして膨らませると、自ずとこういうかたちになる。そこに技術の差が出てきます。蓋をのせても沈まないで耐えて、この大きさにするのはすばらしいです。
 ところが近年民藝館で小鹿田焼のものが賞をとってもかたちが悪かったりする。選ぶほうの人間は、小鹿田の壷はいいと思ってるから、そのことに気がつかない。つくった人も見るほうも、理想形を知っていればいいけれど、知らない人が多すぎて、かたちに対する視点を失っていく。こういうことが続くと技術が伝承されずに、気がついたらすぐれた伝統が消えてしまい、ただものをつくればいいということになる。
 実際、こういう壷をつくる簡単な方法があるんです。厚くひいておき、あとで鉋で削ればいい。しかし、そういうことがまかりとおると、1日何個もできていたものが、日数がかかり、それが10万20万という値段になり、それでも買っていく人がいればいいじゃないか、ということになる。大切にしてきた伝統の技術、そのすぐれた技術がどこから生まれたかということを伝えていかないと、気づいたら技術がなくなり、ただ小鹿田という名前とこんな壷ができるということで終わってしまいます。
 今はそういう時代にはいったということです。いいものにはきちんとした裏付けがあるんだということを押さえておいてほしいですね。

重ね焼きの技法
 小鹿田皿山といいますが、北部九州ではやきものをつくっているところは皿山といって、小鹿田では皿をつくってなかった。鉢、瓶、壷で皿をつくる技術がなかった。昔は、棒の上に台をおいてその上にのせて焼いたんですが、高台がないんです。べったりつけると重くなるので、中をくりぬく。これを内高台といいます。これがもともとの小鹿田あたりの皿づくりの根本です。やがて一般的な皿づくりを取得してくると、高台をつけた皿になります。
 なぜ高台をつけるかというと、重ね合わせをしたときに便利がいいからです。量産化のために積み上げて焼く。そのためにヌクということをします。小鹿田は土のきめが細かいので、釉薬をかけて削り取ってのせてもくっつかないんです。粗い土のところでは重ねることができないので、蝋引きということをします。
 昔から積み重ねの技術は地域地域で工夫され、さまざまなものがあります。しかしこういうことも、のぼり窯だからこそ意味があることです。灯油とか電気とかガスという近代的な窯になると、均質にやけたほうがいいということになり、色とかデザイン的なもののほうに視点がいくと、そちらのほうがきれいに見えるという人たちも多いと思う。しかし、私たちはこういう素朴性にすごく心がひかれるんです。


坂本浩二君の飛び鉋、櫛描きの大皿
 これは坂本浩二君がはじめたばかりのときのものです。縁の櫛描模様が慣れてないからヘタクソなんです。でも、必死になっておさめようとする気持ちが見えてる。しかも若いから元気がいい。こういうのに僕らは惹かれます。美しい美しくないを超えたところの心意気というものを大事にしていきたいと思います。

柳瀬朝夫さん30年前の壷
 柳瀬朝夫さんが30年くらい前につくったものです。岡山の骨董屋さんで買ってきたんですが、これは松本で展覧会をやったときに私が出したものです。

柳瀬朝夫さん25年前の壷
 その後朝夫さんはがんばって、今から25年前に共同窯ができたときに焼けたものの一つがこれです。なぜこの壷に段がついてるかというと、わざとではなく理由があるんです。朝夫さんのおじいさんは右手が弱かったので、ろくろのときに一気にのびきらず、いったん押さえてひきのばすんです。それでこういうかたちになった。その壷を濱田先生がほめ、民藝店の人たちが「あれと同じ壷を」と注文を出す。やがて朝夫さんがやるようになると、朝夫さんは「こういうものをつくんなきゃいけない」と思ってつくってる。それが伝統なんです。家の伝統を身体で覚えると、そのかたちをつくっていくんですね。
 今の時代にこの壷を何に使おうかというとき、梅干壷とか味噌壷にいいんじゃないかと思うかもしれませんが、小鹿田の土は塩分に弱い。そういう特性も知っておかなければなりません。
 この壷を今つくれる人がいない。浩二君にもつくれない。浩二君は仕上げがきれいだから、こんな乱暴なつくりを得手としない。浩二君がつくったら作品的なものになってしまうかもしれない。そういう可能性を秘めているのが実は黒木昌信君なんです。

黒木昌伸さんの打ち掛けの皿
 昌伸君にはじめて「打ち掛けの皿をつくってみないか」といってできたのがこの皿です。同じ文様が二度とできない皿です。こういう皿に打ち掛けをするとなると、どの平面に何をおくのかという意識が働いて、みんな縮こまってしまう。昌信君は小鹿田唯一のインテリゲンチャでありながら素朴なんですよ。茂木さんとか朝夫さんがもっていた小鹿田の素朴性を、案外昌伸君が体現してくれるんじゃないかという可能性がこの皿から見えた。これができたとき僕は喜んで、どうしてもとっておきたかった。
 これよりいいのがもう1つあります。100、200とつくらなきゃいけない雑器類で、「これよりいいものがある」というのはおもしろいでしょう。そこなんです。そこが民藝のおもしろさです。

柳瀬朝夫さんの青土瓶
 これは朝夫さんが20年ほど前につくった青土瓶です。青地色が非常にきれいでしょう。青い釉をつくるときには藁灰を入れるんですが、藁に農薬が含まれるようになってから、日本全国の青の色が悪くなったといわれています。しかし有機農法の藁を使って実験してもかわらないんです。楢岡焼の小松さんがいうには、農薬は水に溶けて流れるので、悪いのは藁ではなくて土壌そのものだそうです。有機農法でやっていても土壌に化合物がはいってると、そこで育った稲は、なかなかもとにもどらないんだということです。

柳瀬朝夫さんの三合壷
   このかたちはふっくらしてすばらしくいい。大きな壷のかたちとほとんどかわらない。こんなに小さくても魅力のあるものをつくれるということがわかります。
 この三合壷は砂糖壷にちょうどいいという話になったとき、不便だから、穴をあけてスプーンを入れるようにしたらどうかと言う人がいた。僕はそれにすごく抵抗したんです。日本全国どこでもやってることだけど、これに穴をあけてスプーンを入れるようにしてしまったら、おしまいじゃないかと思った。たしかにそうすると使いやすいかもしれないけど、それによって何か失うものがあるんじゃないか。たぶん柳瀬朝夫さんや坂本茂木さん、黒木力さんはそういうことはぜったいしないと思うんです。柳瀬朝夫、坂本茂木、黒木力という人たちは、不思議なことにそういうものを受け入れない体質をもってる。その認識は大事なことじゃないかと思うんです

坂本一雄さんの一合壷
 浩二君のお父さんがつくったもので、こんなにいいものなので大事にしてるんです。だけど、蓋のつまみがちょっと大きい。大きいほうがもちやすいという人もいる。もう少し小さいほうがかたちがいい、という人もいる。そこが接点でむずかしいところです。

坂本茂木さんのぐい呑
 これはどこに出してもいい一級品です。たまたますばらしいんです。小鹿田へ行ったとき、市川君が「茂木さんのぐい呑みはすばらしい」と言ったら、「こんなものは100、200つくるもんで、俺はいっこうに興味がない」と。つくってる人は、心をこめてつくったものでもなんでもない。200注文くれば、400つくる。できあがったものの中に僕らが美を見出してしまう。グッとくるものです。焼き上がりの調子がよくて、不純物があって焦げてる具合がいい。こういうところがつきつめていくと、骨董趣味であり、さらにつきつめるとお茶の世界と同じことになっていくわけです。
「美」というものの共通性は、お茶も民藝も同じなんです。僕らのもってる感性的なものは、お茶の世界との共通性を感じられるものがずいぶんある。柳も、「健康で健全なもの」と常に言いながら、選んでいるものはお茶の世界と共通する美しさのものがいっぱいある。そういうところが見えてきますね。

坂本工さんの飛び鉋の小鉢
 茂木さんの息子さんの工君が、はじめのころにお父ちゃんの小鉢を真似てつくったヘタクソなものです。ところがこの飛び鉋を見てください。おもしろいでしょ。ヘタなんだけど、勢いがあって人の心を惹きつけるようなものがある。こんな小さなものでも命のようなものを感じますね。

柳瀬朝夫さんの大皿  この片割れが今から32年くらい前に、日本民藝館展の民藝館賞をとりました。3枚の重ね焼きで、1枚は割れて、1枚は民藝館、あとの1枚が僕のところに来ました。これとまったく同じ調子で焼けたものが、民藝の表紙を飾っています。今の朝夫さんにこれを頼んでもできない。朝夫さんの最高傑作の一つだと思います。

坂本茂木さんの大皿
 これはもう今ぜったいできない皿の一つなんですけど、刷毛の調子といい、飴上がりの調子といい、抜群の冴えです。刷毛の調子をいやみなくわけています。ある意味では個人作家です。ところが個人作家を感じさせない。昔からできあがってるような感じで心を打つ。こういうことができるのは、もう天才です。刷毛の調子、打ち方の勢いを変えてる。ところが作家先生のねらいじゃない。身体でできたねらいです。
 これは茂木さんの唐津のかたちです。腰をはらせてじょうずにひいていく。そして削りがきちんととっている。小鹿田の土はきちんととっても、焼くと土がのびてあまくなるんだけど、茂木さんはガチンととれる。もって生まれたものです。皿の縁を外にひろげてかたちをもたせている。これは何回かつくっていくうちに自分で会得してるものだなということがわかる。こういう皿はやはり、一級品です。

(聞き取り:手仕事フォーラム会員 後藤薫)