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学習会・イベント報告

土曜の夕べ・月例学習会「小鹿田焼 後編」

土曜の夕べ・月例学習会「小鹿田焼 後編」

2010年2月27日
語り手:久野恵一・大橋正芳

大橋VS久野

大橋:今日は僕が久野さんをいじめないといけない役割らしいんだけど、特にそんなことはないです。
僕は別に民藝が好きでやってるわけでも何でもないんだけど(笑)、民藝にかかわることになったときに、その民藝についてよく知らないので、僕の師匠から「あの男につけ」と言われて久野さんに教わることになった。それ以来もう8年のつきあいになります。
もちろん、民藝の人たちが何を求め何を美しいと感じてるのか、ということはわからなくはないし、興味もあるし、共感するところもいっぱいありますが、久野さんが今日のようにバーッと熱く語っていくと、一言で言い切れないことをいろんな言葉でいろいろ言うから、矛盾もいっぱい出てきます。だから僕がそれを時々質問すると、聞いてる人にもわかりやすくなるということなので、こういう役回りをしています。
今日は、小鹿田のことにとことんしぼりこんで、しかもビデオで制作工程を一通り見て、そのなかで出てきたものをまた現物で見て、いろんな言葉で説明されてました。いや、今日はわかったなあというか、そうとうに濃厚でいい話だったと思います。

久野:ありがとうございます。

(会場拍手)

大橋:僕たちはここで何を見ていけばいいのかということですが、技術にしろ、土のことや、つくり手のことにしろ、ひとつでも知識があったほうがよりものを理解しやすいし、そのための勉強会でもあると思うんですが、久野さんはひたすら自分が美しいと思ってる基準に近づいてくれと言ってるんだよね。これがむずかしい。これは言葉で言い尽くしてもたぶんついていけないところなんです。もう、ここで求められてることはただ一点、「俺の美意識についてこい!」ということ(笑)。それはほんとにわかりにくく、もっとも伝えにくいことなんじゃないかなあ。でも今日は、1つの流れのなかで小鹿田の仕事を濃縮して見ることができたので、わかったような気になったと思います。その上で、もう一度小鹿田を見ていけば、いろいろ見えてくるものがあると思います。そして小鹿田一点がわかってくれば、それ以外のところもまた理解できるようになってくるんじゃないかと思います。
それから最後に、「民藝はお茶と同じなんだ」と言い切ってたけど、いいの?

久野:うん。

大橋:おお! いいんだって。たいへんですよね。お茶の世界のものと民衆が民衆のためにつくって日常に使っていたものとは、両極端なものだと思うけど、どこが同じなの?

久野:今のお茶の世界を想定したらぜんぜんちがうんですよ。僕がいいたいのは「茶の湯の始祖」です。茶の湯を茶道にもっていくときに、それに関わった人たちのものの見方というのは、先入観がなくて、ほとんど使い込まれたものなんです。出光美術館にあるような名品もよく見ると、みんな使い込まれた美しさです。最初から美術品としてつくられたのではなく、ほとんどは日常品として使われていたもの。そういうもののなかに何か人を惹きつけるよさ、気持ちが入れ込んでくるような流れを感じるものがある。お茶の始祖の人たちはそういうかたちで取り組んできたんだろうと思うんです。当時はあるレベルの人たちにしか行きわたらなかっただろうけど、その人たちに共通する何かを感じる。とくに戦国大名がなぜあんなにお茶にこだわったのか、茶碗1つのために戦争までして、秀吉の朝鮮出兵も多少かかわりがあると思うんだけど、なぜそこまでやったのか。死とか極限状態に直面している人間が、お茶の茶碗1つに命懸けになるというのは、そういうものにメンタルな部分で依拠しなきゃならないような共通する認識があるんだと思うんです。そうでなかったら、ただムードでお茶碗がいいと騒ぐわけがない。茶碗や壷に命までかけるなんて、僕らには考えられないですよ。そういう部分が茶の世界にはあったんじゃないかと思う。柳宗悦にしてもそうですよね。柳はあれほど大々的に「民藝」ということを言ってるけれども、その内実はものすごい矛盾です。民衆の無名の陶工の、無名の職人によってつくられたものというけど、無名じゃない人のもいっぱいあるわけだから。だけどそれを無視してあれほどアジテーションを高めたのは、生き方にぶつけられるような何かがあったんじゃないか、という気がするわけです。簡単にお茶と同じだと言い切ったら大きなまちがいかもしれない。だけど、もともとのはじまりは同じだと思うし、僕らがこういったものにのめりこんでいく姿を見てると、お茶人たちがいいというのと同じようなことを言ってますからね。これは何も私一人が言ってるのではなくて、私と共通する人がいっぱいいて、それをつくりあげたのが柳宗悦だということです。柳宗悦の範疇のなかでしか僕らは生きてないけれど、何か共通するものがある。そこに普遍的なものがあるかどうかはわからんけれど、同じ地方へ行くと、普遍的なものを感じるんです。「これがいいからこれを信じろ」と案外、柳先生と同じような感じで言っちゃってるところがあるかもしれないな、と。

大橋:お茶の人たちも既成の美の基準というものは、どの時代にもあったと思うんです。その時代その土地で、誰かに教えられたりして共通してもっているもの。そういうなかで、いいものや美しいものやおいしいものを見ていた。ところが千利休は、そこを全部取り払って、まったく誰も美しいとは思わなかったものから美を選び出したんだとすれば、つまり、朝鮮半島で日常的に使われて誰も見向きもしなかったものからあえて美しさを見つけ出したんだとすれば、今日いろんな話を聞きましたけれども、あれは全部忘れていいことになりますね。先ほど、知識があったほうがよりものの理解に役立つと言いましたが、それを全部消し去っても、ふと見たときに「美しい!」と思うものがあるはずなんです。それが柳さんも久野さんも言ってるところなんだと思うんです。ただそこにたどり着くにはとってもたいへんなんで、こういう勉強会は一歩進むためにも必要だと思います。柳さんは「知識なしにものを見ろ」と言ったらしいですけど、それでは見ることができない私たちがいる。そこなんだと思うんです。お茶の世界と共通するのは、きっとそういうものを全部取り去っても、はっとするような美しさを見つけ出してほしい、感じとってほしいということだと思うんですが。

久野:そうですね。僕は自分がものが見えるとは言い切れないし、最初からそういうことは思ってなくて、自分の場合は経験だと思います。数多く見てきたんです。よく「民藝館へ100回来て見ろ」とか言うけど、そんなことはできっこないし、100回見てもわからないものはわからない。ただ訓練度があると思います。自分自身も経験の積み重ねによって、こういったものがいいんじゃないかと思うようになって、気がついてみるとそれの虜になっているわけです。
ただ、今あまりにも「民藝」という言葉が蔓延して、心地よい言葉によってすべて解決してしまうような風潮があって、きちんとした民藝を知らないままに終わってしまうのではないかという懸念がある。「民藝」という言葉をつくった人たちの大きな流れを理解してもらわないと、民藝が一人歩きしてそのまま消えてしまうんじゃないかと思うわけです。3年ぐらい前から女性の雑誌で民藝といわれだして、今新聞まで動き出していますが、もう少しすると廃れて、きっと魯山人、川喜田半泥子の世界になっていきます。そしてまた30年後に静かなブームに入ってくるかもしれない。だからこそ製作者には大事な伝承の技を身につけてもらいたいし、何がいいのか悪いのか、どういった技術を保存することが自分たちに大事なのかということを問いかけたい。そして見る人にもそれを少しでもわかってもらいたい。同時にそういう製作者を勇気づける立場になってもらえれば、僕らがやってる「手仕事フォーラム」にとってもこんなにいいことはない。
彼(大橋先生)はもともと「民藝ではない」と断言してるけど、一緒にまわることによって、少しずつ職人のつくり方や職人のあり方に対して、ある種の共感を得てるわけです。そして自分自身でははっきり言わないけど、僕らが何をいいというかということもおそらくもうわかってるはずなんですね。それが生活体験に出るか出ないかというのはまた別の話だけど。結局ここに加わってる人は、一緒にまわり一緒にものを見て感動することによって共通する認識が得られれば、僕らの言おうとする本筋をわかってくれるんじゃないかな、と思っています。

大橋:民藝ブームなのかどうか、いろんなマスコミが取り上げて、久野さんも取り上げられてるんだけど、久野さんは取り上げられるたびに「今のは民藝じゃねぇ」とわめき続けてるんだよね。民藝の一人として取り上げられながら、「冗談じゃねえ」と言ってる。久野さんの立場からすると、今のいろんな視点から取り上げられている民藝はとんでもない、ということです。柳やもっと前の人たちが、美しいものの本質はどこかにあるはずで、それを見つけようと言ったことに、見る目があって気づくことができれば、もう「民藝」とか「お茶」だとか一切の言葉はいらないと思うんですよ。そうなるとどこに寄り添っていけばいいか、人に伝えていけばいいかわからないので、「民藝」という言葉を使ってるんですけど、僕は「民藝」という言葉があるかぎり今のようなことが繰り返されると思い、「手仕事フォーラム」を立ち上げるときは「民藝」という言葉を封殺したんです。それで、苦肉の策で「手仕事フォーラム」という言葉を使ったんですが、美の本質は、「手仕事フォーラム」という言葉ではぜんぜん伝わらないと思います。今はどちらかといえば「民藝」のほうに近いんだと思うんですが、ただ、「民藝」という言葉を使わないで同じことを伝えられる方法があれば、逆に「民藝」といわれているもの以外のもののなかからも同じ視点で美しいものが見つけ出せるんじゃないか、と思うんです。ここでは日本のある時代の伝統にのっかったものを求めてますが、世界中、どんな時代のものでもあるわけですよね。それと同じように、これからの時代にも誰も気づかなかったものを発見する誰かが出てくるかもしれない。そこに共通するものを今は「民藝」と言ってるけれど、それが伝わるものを僕たち自身が見つければ一番いいと思うんです。「民藝」という言葉にまつわりついてくるものをもうちょっと振り払ったほうが楽なんじゃないかと、そう思って僕はあえて民藝を「関係ない」と言ってるんだけどね。

久野:○×△・・・・・

大橋:銀座のお菓子屋さんで芹沢C介のデザインをパッケージに使っているところがあるんだけど、そこが新聞広告に大きく「民藝」という言葉を使ったことがあるんです。「民藝の心をもったお菓子なんだ」という感じで。それを見たとたんにこの人(久野さん)が怒ってね。怒った意味はわかるんだけど、その言葉に僕はびっくりした。「僕たちの民藝を勝手に使ってる」って。こいつすごいなあ、と思った。1つの本質はそこだなと思った。ちょうど久野さんとつきあいはじめた頃だったけど、僕はそこに入り込みたくなかったんで、「民藝」という言葉は使いたくなかった。そんなことがありましたね。「僕たちの民藝」という気持ちはわかるんですけど、それをもうちょっと出ないと、新しい世代には伝わらないものが出てきちゃうんじゃないかと僕はそんな気がしました。

久野:いや、そのとおりだと思います。それまではのめりこんでましたが、追い出されたというか、そういう集団からちょっとはずれたことによって、今までと分野がちがうかたがたと知り合い、そこからインターネットとか聞いたこともないようなこととどんどん出会った。「何それ!?」って。「手仕事フォーラム」をするなかで、人にアピールすることができるんだな、ということがわかったし、さまざまな人とのかかわりとか共感を得るようになったことは大きなことだと思うんです。よく考えたら自分もここで工藝店をやってるんだな、と。このままでいいんだな、このなかでどうやってみなさんにアピールしていくかだなと思うようになった。以前は、工藝店をやってると、利益追求のためにこんなことをやってるという人も多かったけど、今はそんなこと関係なしに、しなきゃいけないような状況が迫ってきてるんだという強い意識です。
大事なのは製作者の問題なんです。先ほど製作者の人たちのおもしろおかしさを話しましたが、こういうおもしろおかしさがそのままつながるような人物がこれからもまだまだ出てきてもらいたい、という願いがあるんです。ここに関わってる人たちが、製作者の幸せのためにともにやっていく道をつくるのが僕らの使命感じゃないかな、と思うんです。ですから、民藝にのめり込んでる僕らを冷ややかに見ながらも、やってることの大切さを知ってるこちら(大橋先生)を頭領としてやっていきながら、皆様方にも気持ちをわかってもらえれば、と思います。
それから現場に行くということが大事なんですね。そこからつくり手の本音を引き出して、何がいいのかということが少しずつわかってくれば、製作者の人にも元気を与えることができるんじゃないかなと思います。

大橋:僕も今一生懸命やってるのは、つくり手がいなくなったらすべてなくなるわけですから、これを保つ環境に少しでも役に立てばと思ってやっています。今、一番厳しいところですね。

久野:ホームページの「久野&久野」に野田利治のかごの話が出ていますが、私はもう2、3年あとで、野田さんの仕事がこれだと思ったときに出すつもりだった。ところが懇意にしていた竹細工の人がやめてしまったり、50代の人が倒れたりして、すごくショックだった。そういうこともあって多少早くても今のうちにこういう方たちを紹介したほうがいいなと思って出したんです。
まだ日本各地の街の中には、竹細工をする人や鍛冶屋さんがいて、地域の人たちのお役に立つような仕事をほそぼそとしてるんですね。「まだいる」ということが大事なことなんです。ところがこれだけ急激に社会が変わってる中では、来年はいなくなってしまうかもしれない。だからこそみなさんにそういうものの発見をお願いしたいと思うし、そういうものの中からいいものを選ぶ眼を磨いてもらいたい。あるからいいんじゃなくて、今のわれわれの生活や未来の生活につながるようなものをつくってもらえるような方向にもっていきたいわけです。今後もこういう勉強会に来て話を聞き、一緒にまわりながら眼識を獲得していってもらいたいと思います。

質問コーナー

Q:小鹿田焼は素焼きしないんですか?

A:大きいものは生掛けです。小さいものは今、だいたい素焼きします。小鹿田皿山といっても、もともとは小さいものはつくってなかったんです。大きな壷か鉢しかつくってなかったんです。
生掛けできる土というのは、鉄分が強く、非常によく縮む土です。九州は鉄分が多く、酸化鉄を多く含むので、火をくわえると鉄分がふき出してそれによって縮んでしっかりしたものができるんです。
小物でも生掛けするのは、沖縄、鹿児島の龍門司焼、昔の苗代川焼です。

Q:「飛び鉋」というのは、鉋をあてるだけでああいう文様ができるのですか?

A:そうです。「飛び鉋」というのはあとから出た言葉で、「飛ばし鉋」と言ったんです。さっき映画で、バーナード・リーチさんが「飛白文(ひはくもん)」をもとめて小鹿田へ来た、と言ってましたが、「飛白文」は宋の時代の文様のことです。まだリーチさんや濱田先生もそんなに日本各地を見ていなかっただけで、実は「飛び鉋」は日本各地にあった。土を成形して削って形を出すときに、硬すぎると鉋をはじいて飛ぶんです。それが文様になったもので、瀬戸にも信楽にも、内地にいっぱいあった技法です。内地の文様がむこうへいったということです。それは回り職人が伝えたのかもしれませんが、おもしろいからやってみたということでしょうね。
小鹿田の場合は、皿山の下に大鶴という村があるんですが、そこの井上さんというお医者さんが小鹿田に持っていってつくらせたそうです。

Q:さきほど小鹿田の壷が塩壷に向いてないとおっしゃってましたが、どうしてですか?

A:向いてないのは、白い化粧土をかけたものです。小鹿田の土は黒く、その上に白い化粧土をかけますが、乾くと収縮率がちがうので隙間があるんです。使ってるうちに隙間の中に塩分がはいってくると、固まって飛び出してくる性質がある。化粧掛けしたものは向かないけど、地肌そのものに関しては問題ありません。白掛けしたもので、焼きしまってないと、そういうことになる可能性が強いということです。