手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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学習会・イベント報告

宗廣邸訪問記

宗廣邸訪問記

2010年6月12日
後藤薫

宗廣邸訪問

IMG_1906.JPG 2、3年着て身体になじんだころにさらに美しさを増す、といわれる郡上紬。女と生まれたからには着てみたい着こなしてみたい気持ちはやまやまですが、何かを少しがまんすれば手に入るというものでもありません。しかし高嶺の花だからこそ憧れはいっそう強くなる・・・。
 6月12日、その郡上紬の織元である宗廣陽助さんのご好意によって、工房や仕事に根ざして集められた質の高いコレクションを見せていただける機会に恵まれ、手仕事フォーラム、桂樹舎、倉敷本染手織研究所のメンバーが郡上八幡にある宗廣邸を訪問させていただきました。

 


久野:吉田さん、宗廣さんのこのコレクションを見た感想を。

吉田:ただただ、びっくりするだけで腰ぬかしてるよ。めずらしいもの、大物が多いですね。これだけの大物を集めるということは、たいへんなことです。ほんとうにたいへんなことです。労力も、お金も、置く場所も、何を見てもみんな立派ですよ。ひと言何か言いたいねぇ。
 これは円空様でないけれども、円空さんの手法を受け継いで・・・。宗廣さん、これ説明して。
IMG_1976.JPG 宗廣:僕思うに、お宮をつくるときに、こういうものが好きな大工さんが古材でつくったと思うんですわ。タッチが荒々しゅうて細かい文様がなくて。そういうのが僕ちょっと好きで、円空さんじゃないと思いましたけど。

吉田:こんな円空様があっても、世の中はやかましくいってるの。ここに何体もありますよ、円空様。たいしたもんですねぇ。私もぜひ一体ほしいと思うけど、ちょっとも手に入らん。どうしてこんなに手に入ったんかねぇ。1、2、3、4、5、6、7体もありますよ。
 それから芹沢先生のが多いですね。これ芹沢C介。これも芹沢C介。芹沢C介の「春夏秋冬」の下絵です。どうしてこの家にこんなに下絵があるのかねえ。下絵ばかりでないの、ほんとに染めた屏風とか着物も。去年、県立美術館で宗廣さんのコレクションになる芹沢C介の作品がざーっといっぱい展示されていました。私の知ってるかぎりではこの何十倍も。どこに待たしてんの?

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宗廣:(笑)来年、渋谷の松濤美術館でやります。

吉田:おっ、松濤美術館! 渋谷の?

宗廣:はい。民藝館の近くやで慎重にやらんと。

吉田:東京渋谷の松濤美術館といえば有名ですけれども、そこで来年、宗廣さんのコレクションで芹沢C介展をやりますから見に行きましょう。私行きますから、あなたがたもぜひ来てください。

宗廣:この間の県立美術館とはまたちがったものですから。(古い小さな厨子を見せて)これにも円空さん入っとるよ。

吉田:これ四国じゃない?

宗廣:松山のほうかな。

吉田:おばあちゃんがおってね、こういうのをつくってる。今はもうできませんよ。こういう素朴であって、古いほうのかたちをもってる厨子ですから。あ、中にお年玉が入ってるわ。(厨子の中からとり出して)あ、ここにこんな小さな円空様! へぇ〜、これいいなぁ。いやぁ、いいねぇ。何とも言えん。

久野:これは松山じゃなくて、香川の“御厩”という窯のもので、今はもうないですけど。

宗廣:ああ、そうかな。久野さんには勝てんわ。ええ勉強になった。

メンバー:このお家はいつ頃建てられたものなんですか?

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宗廣:100年くらい過ぎたものを、僕が20代のときだから、もう40年ほど前にもってきたんです。高山と美濃の間の庄屋の家で、二階で糸をつくってみえたようやけど、天井の梁もみんなそーっとそーっと壊して、全部もってきたんです。畳だけ替えましたけど。まだリフトのないときで、たいへんやったです。大型トラックに人力で載して赤い布まいて。あんまり車が通ってないから持って来れたですけど、トラックの前も後ろも突き出て、違反や。

メンバー:金具がすかしてある箪笥はどこのもんですか?

吉田:おそらく北朝鮮です。島があって、その島で専門につくってるバンダチです。非常にこまかい細工がしてあって、珍しいです、あれは。

久野:半分開くと書いて、半開(バンダチ)といいます。バンダチは階層によって脚の形がちがうんです。高い階層の両班(ヤンバン)の人たちのものは猫脚になってたりします。これは一般のふつうのお宅のです。

吉田:これはタイです。チェンマイの方面でつくられている籃胎食籠(らんたいじきろう)。お料理を入れて持って出かけるわけですが、これだけ大きいものは、王様たちが使うものです。竹の上に漆を塗ってありますが、立派ですねぇ。

久野:日本の竹とはちがうけど、竹の皮、バンブーが貼ってありますね。

吉田:ここにある椅子(持ち上げようとして)、メキシコです。ふつう豚革は弱いから、ぼろぼろに破れるんですが、これは破れてません。

IMG_1961.JPG  むこうにあるのは、西アフリカのドゴン族の小屋の梯子です。あれを立てかけて裸の男が登っていく。
あの渦巻きの壷は中国の約3000年から4000年前のもので、あんなに大きく立派な文様がついてるのは珍しいです。ふつう、もっと小さいです。アンダーソンというヨーロッパの学者が発見したから、アンダーソンと呼ばれています。
棚の上にある嘴の長いのは、サイチョウという鳥を神様に見立てている部族のご神体です。

波賀:コートジボワールという国のセヌフォ族という部族の。

吉田:その壷。

波賀:こちらはナイジェリアの壷でヌヌマの壷といいます。男性のみが触れられる壷で、狩りの道具などを入れて保管するものでして、女性が触ると効力が失われるといわれています。

吉田:あんなに大きなのはたいへんなものです。

宗廣:ありがとうございました。

久野:しかしお聞きしたいのは、宗廣さんがどうしてこんなものを集めたくなったかということですよね。

吉田:うん。それは大事なことだなあ。

宗廣:蒐集のことも仕事のことも紙に書いておきましたで、それ以上でも以下でものうて、あれ見てもらうとしゃべることないと思っていたんですが、まだみなさんの手元にいっとらんかもしれません。

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IMG_1958.jpg 日本のものでは民藝館に柳先生が集められたものがたくさんありますもんで、もしあったとしても高こうなってますので、それ以外のものを集めようと思いました。もともと織物が専門ですもんで、織物の参考品を求めることからはじまったんです。一番はじめに台湾の高砂族の織物を見まして、どういう生活をしたらこういうきれいな織物ができるのかと興味をもちました。あるいは、こういうものをつくる人はどういう人やろう、ということで東南アジアをまわりました。そのときに古い参考になるような布をもってまいりました。今は陳列してなくて箪笥に入っとるんですけど。

 

 そうして東南アジアをまわってるときに、織物がないようなときには、やっぱり好きですので、やきものとか木工品とかでも、こういうのに通じるものを求めたんです。さきほども言いましたが、日本のものは柳先生が買われて名品がありますもんで、まだ先生の目の届かなかったものを探せばええと思ったし、だからといってヨーロッパとかあんまり遠くへは行けませんので、東南アジアを中心にまわって集めてきたというのがはじまりです。

IMG_1974.JPG  そういうわけで自分の好きなものを集めましたもんで、高価なものとか複雑な細かいものはないんですけど、ひとつ参考に出しますと、これもタイの箱なんですけど、螺鈿が入ってます。ひとつひとつきちんとしてないけど、自由で全体を見ると品があって、僕はこういうのが好きなんです。今のものと比べるとぜんぜん動きがちがいます。今のものはきちんとしすぎて息苦しい。

吉田:ほお〜、これは・・・。

宗廣:これはどちらも日本の瀬戸のもんです。制作した年代も何年かしかちがわんのですけど、最初は右のように描いていたのに、同じ値段で売れるとなると手を抜くんです。私の仕事でもそうですけど、縞をもう1本増やしたほうがええと思ってても、同じ値段で売れるとなると、手間がかかるから増やさずに売る。あるいは経に織りやすい糸ばっかりいれるようになる。経糸に紡いであると立体的でとくなるけど、織りにくいんですよ。だから問屋が同じ評価しかしないとつくるほうも簡単なほう簡単なほうへいって、気をつけないと結局つくる人の技術は落ちていく。買う人のほうの目もないと、だんだん職人の技術も廃れていくということです。これはほんとに何年かしかしか違わないんですけど、つくったものの味がぜんぜんちがってくるという例です。織物やってる人は気をつけてください。自分が使うものやと思ってつくっていれば、まちがいないです。

質問:魚の絵のお皿はどういうものですか?

宗廣:なかにあった魚の皿は、何百年も前に中国の磁州窯からタイへ職人を連れてきまして、タイで花開いたひとつですけど、スコータイといって昔民藝でやかましかった皿です。釉薬の色と魚は似てますけど、これはタイの魚になってますけど、もとはそこにある磁州窯の大きい鉢で、それがスコータイというタイの文化になったわけです。

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久野:磁州窯ってわかる? 中国の宋時代に磁州窯という窯があって、鉄で絵文様を描いて、日用品にもあったわけですけど。見てもわかるように非常に細かくて、これがもともとのはじまりで、そこから陶工をタイへ連れて行ったか、招いたかして、俗にいうスコタイです。私どもがこの仕事に入ったときは、この魚の皿があると、「わあスコタイ、買わなきゃ」という感じでした。

宗廣:そう。けっこうウルサイもんでした。

久野:僕もひっかかりそうになった一人なんですけど、いいものはもっともっと上にありましてね。ちょっとあっただけで、買いたくなるのが僕らそのものなんですけど、源流を見るとまたぜんぜんちがうなと思いますね。
 いわゆるやきものもそうなんですけど、ものがよくてそれが広がっていく流通経路もふくめて「万人が認めるもの」というのがきっとあるんじゃないかなと思いますね。今の魚の絵も、口が細かったりふくらんでいたりいろいろあるんです。その文様のおもしろさを見るんです。

宗廣:私は織物が専門やで話しますけど、これはテサージといって沖縄の織物なんですけど、これは中国よりもずっと、僕が先生にしとる台湾の高砂族の影響があると思うんです。これは30年くらい前の琉球の偉い先生のもので、びっしり文様がはいっとるけど、僕らやっぱりぜんぜん勝てんということわかるんですけど、古くて色焼けとるけどぜったいこっちのほうがええ。織物というのは古いものを参考にしても材料もちがうし、まして売ろうと思ったりしてつくると絶対勝てん。自分のものにつくるとか、殿様のためにきれいにつくらんと命が取られるとかでないと。僕も人のやで言える。自分ではようつくらん。

吉田:女の人が彼氏のためにつくるんです、これは。しかし、何でもあるな。

久野:(笑)吉田さんとこも何でもあるけどね。

質問:宗廣さんが東南アジアを旅されていたのはおいくつくらいの時からですか?

宗廣:だいたい22、3からです。

質問:どのくらいの期間をかけてまわられたんですか?

宗廣:岡村吉右衛門さんについて行ったのは、だいたい1カ月から2カ月。台湾は2カ月を2へん。久米島も沖縄も1カ月から2カ月。ほかのとこも20日から1カ月。あんまりあちこち行かんようにして、1つの村にして。

吉田:これは沖縄のどこ?

宗廣:竹富島で、筬(おさ)を使わずに手じめで織ってます。竹富も今は筬を使ってますけど、手でしめてるだけなので、ちょっとでれでれしてますけど、より立体的に織れるわけです。これも古いんで今のよりずっといいですけど、絣がいきいきしてクレヨンで描いたみたいでしょ。
これは久米島の王家の注文でつくったものですけど、田圃で鉄で染めたとこだけ色が抜けてますけど、黄色だということは王家の注文品だということです。

質問:アフリカのベッドが何本もあるんですけど、いいのがはいったら、また次買うというかんじですか?

宗廣:お金持ちの人はいくらお金があっても貯金するでしょ。吉田先生も同じやけど、これは病気やで、同じようなものがあっても、見所がちょっとちがうと感激して買ってしまって、同じようなのがそろってしまうんです。
 これもミヤオ族がアヘンを売買する時の秤やけど、これも1個あればいいもんやけど、好きで100個ぐらいある。100個同じようなものやで、人がくれとゆうたらやればよさそうなもんやけど、惜しいてやらずにおって。値段は安いもんやけど、そのときそのとこの思い出があって、人にもやったことないくらいやで。文様がちょっとずつちがうんです。

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久野:これはまたちょっと古いなぁ。これいいなぁ。これ形が素朴な、また。ひとつひとつちがうからね、これはあげられないわ。

質問:これはすべて現地で手に入れられたんですか?

宗廣:うん。こういうのが1つの小さな部落から出て、それを買うと、おかしな日本人が来て買ったということで、すぐ偽物をつくるわけ。
 本職の説明せないかん。僕が使っとる糸は「玉糸」といって、こういう糸を使ってる。ふつうはこういう玉やけど、中に2匹も3匹も蚕が入ってて、口が二つあってからむから、艶のない織物ができるんです。

 

石上:何本もで縒りかけするんですか?

宗廣:何十で1本つくったものをまた4本とかで。経はこれから糸をとるし、緯はこれを真綿にして。これ本職や。秤はどうでもいい。

IMG_1969.JPG大橋:2匹3匹入ってても、糸は一緒にひけていくんですか?

宗廣:うん、ひけていく。中で勝手につくっとるから。

大橋:だいたい何個くらい?

宗廣:50個も60個も、いっしょに。経糸は240デニールくらい。

大橋:緯糸も全部玉繭を使うんですか?

宗廣:混ぜるときもあるけど、原則としてこれです。ちょっと艶の出したいものをつくる時は混ぜるんです。

大橋:糸をひくのも宗廣さんの仕事なんですか?

宗廣:これはとっても手間がないので、頼んでまして。

大橋:ご近所の方?

宗廣:近所がなくなってしまったんで、玉糸ひくことは長野県の岡谷のほうに頼んでます。この辺の農家でもみんなやってたんですけど、。

吉田:こんな繭、見初めだな。

石上:撚り合わせてから錬るんですか?

宗廣:そうそう。経糸を撚り合わせてから、錬るのは自分でやります。撚りはまた、こっちになくなったもんで新潟まで頼んでます。よそは精錬屋があるけど、うちは精錬から僕がする。

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石上:藁灰でいいんですか?

宗廣:藁灰でもやるし、慌ててるときは石鹸でもやりますけど。

大橋:経糸も緯糸も太さは同じくらいなんですか?

宗廣:そうですね、用途にもよりますけど、経糸は240くらいですね。

大橋:糸染めるのは専ら宗廣さんが?

宗廣:ええ、柄考えて、精錬、染色、整経、全部やります。織ることだけ別に女の人がやる。

大橋:染料はご近所のものですか?

宗廣:そうはいかんですね。紺とか茶のときはよかったんですけど、赤とかの色めを使おうと思いますと、取らんならんです、やっぱり。

大橋:さきほど繭つくってるところがご近所にまだ2軒ほど残ってるとおっしゃってましたけど、そこからは?

宗廣:昔は蚕がはっててってできたけど、今は、鶏みたいに部屋が決まってて、そこに1匹ずつはいるから。

石上:なりにくいんですか?

宗廣:ならない。箱の中に1つずつつくってるから。何千個に1個たまにできる程度です。そういうのも集めてやるんだけど、なかなかうまいこといかんのですよ。今は、デザインとか色めで見ますから。材料がええとか手間がかかっとるとかは、買う人は見ない。

石上:緯糸の紬のほうは、紡がれる人はいらっしゃるんですか?

宗廣:はい、これも頼んで、岡谷のほうで半分紡いでもらってる。太いのとか細いのとか糸が揃わんもんで、なかなかたいへんなんです。

大橋:今は、どれぐらいの生産量なんですか?

宗廣:私一人で、ひと月だいたい10点くらいですね。前は400点くらい。今ひと月2反くらいしか織らない女の人は、前は18反織ってた。

石上:一度に20反くらいかけるんですか?

宗廣:今は4反。その時は2反で、手で整経して、九台で織っとった。朝、先代も子どもも弁当詰めて、時間無駄にせんように歩く足跡も決まっとったって。夜糸巻いて、土曜日も日曜日も、朝の7時から夜の7時まで織って、そうして子ども5人も6人も育てて。今は歳とってきたもんでお金いらないし、ひと月に2反しか織らんけど。まだ同じ人が来とるけど、そのころの自分の伝票見て、自分でびっくりしてる。それだけ織ってても、打ち込みが悪いとか色が落ちるとか、傷物は割合できてこんのや。冬は雪降って糸乾かないから、濡れたまま織ってた。ガスや練炭でコワして(乾かして?)、整経だけしてオートバイでもっていったんや。(内職の人が)50人くらい外で織っとるから。

大橋:郡上紬というのは、戦後お父さんがはじめられて、それを近所に広められたということですか?

宗廣:織ってもらうだけな。

大橋:では今、僕らが郡上紬と呼んでるのは、結局は宗廣さんのところで全部やってたわけですか?

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宗廣:初めから終わりまでずっとやってたけど、もうあと3年くらいでなくなる。もうやる人ないから。他のことは知らんけど、織物は民藝のとおりやってると絶対売れていかん。

大橋:織り手がいなくなるということ?

宗廣:売れないから、商売が成り立たん。倉敷の人(倉敷本染手織研究所)に聞いてみりゃわかる。買う人がおらんのや。売る人ばっかりで。

大橋:その最盛期というのはいつ頃だったんですか?

宗廣:昭和30年から40年や。

久野:民藝ブームも、みんな同じなんです。とにかくものがバーッと出た時代。

宗廣:一人から100反以上注文があったんや。よその問屋にとられんように、ここへ来て待っとるで。「うちへくれ、うちへくれ」言うて。あのころ貯金しときゃよかった。今言うてもしゃあないもんね。どの人もどの人もそうや。

大橋:売れないということもあるけど、材料ももう手に入りにくくなりましたよね。

宗廣:しやけど、まず売れないということや。

大橋:戦前、近所で自分たちの家で織ってたというのは、地機ですか?

石上:地機じゃないでしょ。高機?

宗廣:そうそう。これやったら艶がないもんで、絹が禁止されてるときでも木綿の着物や言うてだませるわけや。

石上:今、機をつくる人はいらっしゃるんですか?

宗廣:見本を見せて指しもの屋につくってもらう。とにかく今、手仕事は受難の時代やな。着物やらでも、僕ら分厚う丈夫につくることは得意やけど、薄うつくることは苦手なんよ。インドのほうから透き通るようなやつ入ってくるやろ。ああいうふうにはようつくらん。それでみんなやられてしまう。インドとか東南アジヤから入ってくるやつ。あんなんようつくらんもん。僕らのは孫まで寝間着にして着られるようにつくる(笑)。今、そんなん着る人おらん。

大橋:たしかに、ここで使われてるものはひとつひとつ力強いものですからね、家も含めて。外に50人くらい織る人がいて、宗廣さんのところには何人ぐらい?

宗廣:10人くらい来とった。出機は8反くらいやけど、ここに来てる人は競争やから、18反くらい織る。

石上:これはどこのですか?

宗廣:タイのミヤオ族。日本だったらアイヌの人たち、台湾やったら高砂族の人たちとか、ああいう民族の一途な人でないと。あの辺へ行くとおもしろかった。

吉田:アヘン地帯。

宗廣:何が出てくるかわからん。食べ物もおいしいし。ナイトマーケットでも、着るもんとか、こういうつくったもんとか持って出てくるわけよ。ほいでブローカーの集める人に「僕が来るから他の人に売るな」って頼んどいて。それでないと集まらん。

質問:値段の交渉とかは?

宗廣:値段の交渉はあんまりせん。現地の人は純情なんで、可愛いような、もうちょっとつけてやりたいような値段やで。バンコックへ行くと10倍以上になるけど。(縁側からの風が吹き抜ける)・・・こらいい風が入ってくるで。

石上:いい風ですねえ。いつもこうなんですか?

宗廣:仕事してるといかんけど、仕事しとらなんだらよっぽどいいとこや、ここは。夏でもぜんぜん扇風機いらんですもん。

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2010年6月12日 宗廣邸にて