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手仕事調査:関東地方

間々田紐

間々田紐

2009年10月8日
訪問地:栃木県小山市

小谷真三さんのガラス玉を通す紐を探して

 

 今年(2009年)6月、鎌倉「もやい工藝」にて、倉敷ガラス、小谷真三さん の近作展「吹きガラスの会」が催されました。会場で真っ先に私の眼をとらえたのは、ループタイ用のガラス玉でした。漁師がかつて用いていた漁網用のおもりに似た、ころんとした素朴なかたちと、ガラスのもつ透明感に惹かれ、買い求めました。その晩、店内で小谷さんを囲んで酒宴が開かれるというので当然参加。おいしいお酒や料理を味わいながら、つくり手に制作秘話をあれこれ質問する至福の時間を過ごしたのでした。
 その際、小谷さんが首に掛けていたガラス玉付きのループタイがとても洒落ていて、数多くの魅力的な小谷さんの吹きガラス製品の中から、自分がガラス玉を選び出したことを改めて嬉しく思えました。なにしろ日常的にあの美しい吹きガラスを身にまとえるのですから、小谷ファンにはたまりません。
 自分の胸元にガラス玉がある様子を想像すると、心が浮き立ち、「もやい工藝」では扱っていない紐(ひも)ついて小谷さんにうかがったのです。
 しかし、小谷さんが以前、頼んでいた紐はもうつくられていないのではという返事。もちろん、ループタイ用紐はインターネットで検索すれば、着物関係の店が扱ういくつかの製品が見つかり、通信販売でたやすく手に入れられます。それでも、つくり手自身が気に入った紐があれば、それを選びたいという考えから小谷さんに尋ねたわけです。
 答えに少しがっかりしていた私の前に、「もやい工藝」店主であり、手仕事フォーラム代表の久野恵一さんが驚くべきコレクションを広げました。
 それは小谷さんのさまざまなガラス玉をループタイに仕立てた物。いずれも、小谷さんの工房を訪ねた際に譲られた玉だとか。私はそれらの造形と深い青の色合いに見とれ、しばらく恍然と眺めていました。そして、久野恵一さんにも同じく推奨できる紐について聞くと、間々田紐がいいのではとの答え。
 「ままだひも?」 初めて耳にする名です。有名な長野県、真田紐(さなだひも)の聞き間違えではないかと一瞬、耳を疑い、問い直すと「栃木県無形文化財の紐で、柳宗悦も推奨できる手仕事品に選んだ物」とのこと。栃木県小山市で今もつくられている紐で、手仕事フォーラムメンバーの鈴木修司さんが先日、インターネットで注文したというではありませんか。
 柳宗悦が認めた紐、しかも小山市なら、私の暮らす神奈川県三浦半島から気軽に出かけられる場所。酒宴が盛り上がる中、ひそかに頭の中で日帰り旅行の計画を練っていました。一刻も早く、小谷さんのガラス玉を身に付けてみたい。宝石のごとき美しい、吹きガラスが放つ魔力に取り憑かれ、そんな強い情念に突き動かされていたようです。

 

 

中央の透明なガラス玉が「吹きガラスの会」で入手した物。
左右は私が近所の砂浜で拾い上げた陶製の重り。
かつて漁師が木綿の漁網に通して用いていた。
海底の岩にぶつかっても壊れにくい素朴な造形と、
小谷さんのガラス玉がもつ雰囲気は似通っているよう私の眼に映った
久野恵一さんが所蔵する、
小谷真三さん作のガラス玉コレクション
小谷さんのガラス玉や、黒田辰秋系の木工職人が手がけた
タモ材の造形物を間々田紐に通す。
これも久野恵一さんが所蔵。
紐の先端はタモのパーツで留めてある
ガラス玉を通したループタイを
首に掛ける小谷真三さん

充実のホームページに驚く

 帰宅して早速、インターネットで調べると、間々田紐のホームページをすぐに発見。歴史や製品について記述されているだけではなく、在庫している紐の色やその色見本まで掲載されていて驚きました。ホームページ上である程度の知識が得られる詳細な内容で、しかもネット販売にも着手していることが意外に思えたからです。ホームページのレイアウトから察するに、プロのデザイナーによる仕事とは思えず、つくり手自身が手がけたものではと想像しました。しかし、職人が手仕事に打ち込むかたわらで、物の魅力をホームページで伝え、同時にきちんと商品管理もおこなうのは容易ではないはず。間々田紐に加え、つくり手にも興味も抱き、ますます店舗を兼ねた工房を訪ねたくなったのです。とはいえ、仕事の様子を果たして一見の客に見せてもらえるか不安です。
 そこでホームページ上で募集もしている、組紐体験を妻に予約してもらうことにしました。どのような道具を体験の場で用いるのかはわかりませんが、30分間ほど工房の中へお邪魔する間に、素材や製法のことなど、つくり手から紐に関して詳しい話を聞けるのではと淡い期待を寄せたのです。

風情ある街道沿いの町

 ETC割引の恩恵で混む週末の東北道を進み、渋滞のピーク直前、佐野藤岡インターで一般道に降りて、間々田紐の店舗を目指します。店が面している日光街道まで幅が広く直線的なバイパスを走行。起伏が少なく、空の高い、やや単調な景色が延々連なります。やがて、「間々田」の地名が道端の表札に書かれた交差点にさしかかり、目的の町が近づいて来たことを知ります。
 紐の名の由来となった町名「ままだ」は口にすると、ほのかに情緒を感じます。言葉の響きが耳に心地いいのです。それに、漢字の並びにも知的な気配を予感させます。バイパスに交差する日光街道を曲がり、目的地がいよいよ近づいてきた時、その想いが強くなりました。街道沿いの町並みはゆったりとしていて、何か暮らしの余裕が目に伝わってくるのです。無形文化財が生まれた地という先入観も心に作用していたのかもしれませんが。
 ところでバイパスで途中、思川(おもいがわ)という川を渡ったのですが、この地名にしても風情を帯びています。この川のほとりには思川桜という小山市原産の桜が植わり、毎春、ソメイヨシノと八重桜の中間の時期に淡い紅色の花が咲きます。その枝ぶりが、やわやわと優しいのが特徴だそうです。後から聞いたのですが、この思川桜を剪定した枝からは草木染の染液が取り出されるのだとか。そうした自然の魅力が存在するからでしょうか、思川の地名を口にする地元の人の語感と柔らかな表情にそこはかとなく自然への情愛が含まれているよう感じました。

日光街道沿いにある間々田紐の工房兼店舗

 

柳宗悦が評価

 間々田紐の工房兼店舗に到着して、すぐに組紐体験が始まりました。手仕事フォーラムのブログでその様子を紹介したいからと撮影の許可をもらい、靴を脱いで畳の間の工房へと立ち入ります。体験前、店にディスプレイされた紐を見物。シンプルな無地の他、丸い紐あるいは平らな絹糸の紐の表面に緻密な模様が浮かぶ物もあり、感嘆の声を思わず漏らしました。
 昔は武士が冑の緒や下げ緒などとして愛用した、日本古来の手組み紐は現在、婦人の帯紐、男女の羽織紐、刀の下げ緒、ループタイ、ネックレス、眼鏡用紐、携帯ストラップ、下駄の鼻緒など多種多様に用いられています。
 間々田紐自体の始まりは大正中期にさかのぼります。初代の渡辺浅市が東京の組紐問屋深井誠太郎商店での年期奉公から実家の間々田に戻り、下請けとして店を構えたのです。その後の昭和29年(1954年)に、柳宗悦らが訪問し、「真田紐」の真田と地名である間々田の語呂が似通っていることから「間々田紐」と命名したのだそうです。
 特に益子町の日下田 博氏(栃木県無形文化財技術保持者。間々田紐では現在も草木染を依頼)が染め上げる絹糸を用い、使うほどに風合いを増す草木染作品は柳宗悦から高く評価されたようです。

約40種類の模様があるそう
亀甲柄など伝統的なパターンを組む。絹の光沢感がやや前に出る紐もある

継がれる伝統

 平成11年(1999年)には、惜しくも2代目浅市が病でこの世を去り、伝統の灯を絶やさぬよう、妻の渡邉悦子さんが跡を継ぎ、親族の助言協力を得て間々田紐の伝統を守り続けています。私と妻の訪問に応じてくれたのも、悦子さん。工房には悦子さんとご子息の靖久さん(29歳)、そしてこの日はお休みでしたが、親族の方が作業を進められているそうです。

丸台による組紐体験の準備をする渡邉悦子さん

 前述したホームページの担当は靖久さんでした。実は訪問前、ループタイの在庫状況をホームページ上でチェックしていたのですが、店に並べられている物は画面上の在庫情報通りで、これほど正確に情報を公開できているということは、ホームページの更新がこまめで、迅速なのだろうなと思いました。靖久さんの能力の一端に触れた気がします。
 さて、組紐体験を担当した悦子さんの前には「丸台」と呼ばれる道具が置かれていました。単純な紐から非常に複雑なものまでほとんどの組み方ができる、万能な台だそうです。すべての糸を締めながら組むので、ヘラで打ち込む紐と違った味わいがある反面、使える玉数に限界があるため、柄の種類は少なく、逆に組目の美しさが持ち味となるようです。
 丸台のそばには、畳半分ほどの大きさの、いかにも長年使い込まれた感じの、木で組まれた織り機のような「高台」もありました。
 まず、高台で紐を組む人は台中央に渡された板の上に座り、正面の巻き取り軸に糸を結びつけます。そして台の左右に一段ずつ付けられた粋に玉がついた糸を掛け、符号に従い、竹のヘラで打ち込んで目を整えながら組んでいきます。
 上下二段の糸の色を変えることで部分的に模様を出せ、また玉数を多く使えるため模様の変化も多く、複雑な柄を出せるのが特徴です。

紐からストラップへ

 丸台で妻が組紐体験をしている間、靖久さんに高台での制作風景を見せてもらうことにしました。そのしなやかで流麗な動きは、まるで楽器を奏でているように優美。靖久さんは現在、64玉を使って、亀甲型などの複雑な柄を組むことができるそうです。
 技術的に組紐で難しいと感じることは何か尋ねました。
「1本を通して組み目を揃えなければならないところです。それに加え、ある程度のコシ(固さ)がなければなりません。玉の動かし方、落とし方でコシは変わります。それは組台の前に長時間座り、淡々と同じ作業を繰り返す精神力がなければ出来ませんが、自分はまだまだ精神面が弱いといつも感じています」
 今まで仕込みの部分(染め、糸付け、糸あげ、仕掛け)を主にやってきたので、組む作業は本当に未熟と語る、謙虚な靖久さん。
 子供の頃、父やおばさんたちが淡々と簡単そうに何本も組みつつも、仕上がりはとてつもなくきれいだったことを覚えているという靖久さん。自分がやってみて、それがいかに大変なことだったのか、身にしみて感じると言います。
 「父やおばさんが口にしていたのが『習うより慣れろ』。やはり長年、何本も組んでいかないと技術面の向上は無いでしょう。10本まったく同じものがつくれるのが職人だと言っていた父の言葉にならって、これから地道に仕事と向き合い、そうなれるように組み続けていきたいと思っています」
 彼は大学卒業後、2代目の父親が亡くなったこともあり、家業を継ぐことを決心したそうですが、この仕事には大変さと同時に、おもしろさとやりがいを感じているようです。最近では、県の事業として間々田紐を何かアクセサリーに仕立て、都内のショップへ出せないかと思案しているそうです。
 細やかな模様を安易に出せ、しかも安価で提供できることから機械組が主流になりつつあるなか、手組を大事にしていきたいと、まっすぐとこちらを見据えて語る靖久さん。
 手組の紐は、使うほどに風合いが増し、機械で組まれた物とは違うやわらかさと上品さをもち、帯〆は一度締めると緩まず、着崩れを起こさないそうです。
 素朴でしなやか、凛とした風合いの間々田紐。それはつくり手の人となりをそのまま映し出したような手仕事の良品であると感じました。

高台で注文の「フリーストラップ」を手組する渡邉靖久さん。
技術が熟練すれば100玉を越える糸を使えるようになると悦子さん
竹のヘラで力強く打ち込む

ループタイを入手

 間々田紐は色や模様を自由に指定してオーダーすることができます。豊富な色と模様のバリエーションには目移りしてしまいますが、私はたまたま在庫していた萌黄色、無地のループタイを求めました。また、このループタイには竹や金具など紐先の留め具が用意されています。オーソドックスにシルバーの金具にしようと訪問前は心に決めていたのですが、店頭に紐を丸く組んで玉状に留めるパターンもあることを知り、結局これを選んだのでした。
 ガラス玉の丸いかたちとのバランスが取れ、ループタイの渋みが少し薄まり、カジュアルな服装にも違和感無く組み合わせられるよう思えたからです。
 ループタイの先端に玉を留め方は、何年か前にお客さんが見本に持参した紐がそのような仕様になっていて、同じようにつくれないかと相談されたことが手がけるきっかけとなったそうです。ちなみに、そのお客さんはかなり年輩の方で、持参した無地の紐も相当に古い物だったため、昔どこかの組紐屋さんが考えたのでは、と靖久さん。
 「センスのいいお客様がたくさんいて、とても勉強になり、新しいアイデアが生まれることが多いです。お客様に成長させて頂いていると思います」
 伝統を受け継ぎつつ、新たな展開も試みている靖久さん。たとえば、カメラ用のストラップを注文したり、久野恵一さんのアイデアである白いアイヌ玉で先端を留めてみるなど、何か名案があれば、提案してみたくなりました。
 若きつくり手から今後どのような紐が組まれていくのか楽しみです。

ループタイの見本。先端を竹、金具、あるいは紐の玉で留める 私が選んだ「地味萌黄」という渋いグリーンのループタイ。
草木染か化学染のいずれかの染め方を指定できるが、
汗をかいても色落ちが無い化学染を選んだ
ループタイ先端の玉。
紐本体と同じ地味萌黄にさりげなく、
きなり色を混ぜてもらった
妻が注文したネックレス。
これは草木染。どの色も魅力的だから、
とくに繊細な感覚を備えた女性は
色の組み合わせに頭を悩ませることになるだろう。
間々田紐の新たな方向を示すモダンな製品の一例だ