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手仕事調査:関東地方

知られざる名陶工 木村三郎さんの昔益子物づくり

知られざる名陶工 木村三郎さんの昔益子物づくり

2012年1月22日
訪問地:栃木県益子

 4月に発刊予定の『グラフィック社・民藝の教科書 器編』の取材のため1月22日、ライターの萩原健太郎氏と益子各窯を廻りました。各窯といっても私久野が現代民藝の器づくりの窯として視ている窯です。ですから有名な窯や個人作家は含まれてはいません。私の意図するところは北関東の伝統を今も伝え、日常雑器を作りつづけてきた職人さんたちの平常無事な品々を紹介するということです。

 最初に訪れた窯はこのコーナーやブログその他でもこれまで紹介してきた木村三郎さんです。木村さんの仕事ぶりを視て、結局のところ彼一人しか今は益子の本来的なつくりを継承しているつくり手はいないこともわかり、したがって他の窯元や作り手を訪ねて、あえて力の無い今風の民藝陶器を紹介するより木村さんのつくる様々な器から、益子本来の伝統の技を報告するということにこの場で決めてしまったのでした。その理由の一つは、昔からここ益子でつくられてきたいわば関東の台所用品として使われてきた甕づくりを視たからです。まず木村三郎さんにお願いしたことは、皆川マスさんで知られる山水絵土瓶の大土瓶のつくりとそれに関連した今、頻繁に使われる木村さんのいわずと知れた急須づくり、そして細長の徳利、瀬戸本業窯で焼かれた石皿と並んでここ関東で使われた同じ形の砂皿と呼ぶ縁が丸縁でしっかりした平たい重厚な皿でした。それに「峠の釜飯」の本来的な釜づくりです。

急須の蓋つまみづくり 土瓶の本体、急須の注口・持ち手
釜飯の容器

 以前『DiscoverJapan・残したい日本の手仕事』で紹介した木村さんの急須づくりの中でも述べましたが、木村さんとの出会いは益子陶芸メッセに釉薬の比較見本として展示されていた6釉薬の甕からです。その甕をここでまたつくっていただくことにしました。まるで機械製品のような規格品のごとく、どの甕も全く同一の形で、これがロクロ作業で作り上げた物とは思えないほどぴったりの容器です。その甕は蓋付きで8升入りのものでしたが、今日はこれに向いた陶土が用意されてなく、精一杯つくっても6升(約11L)入りのものとのことです。あらかじめその容量に応じた土塊をほぼ感で土練機より取り出しロクロ台に据え付けます。ロクロ台の上にはハマ板(九州ではカメ板)とよぶ正方形の板を載せます。これはロクロ台に陶土がくっつきはずせないと困るためのことからの一般的な作り方です。玉造りと呼ぶ成型法ですが、この玉造りでつくられる大きさの限界もあって、木村さんによれば、益子の陶土では6升入りくらいがせいぜいだろうと。それより大きな物は紐づくりとなるそうです。10年ほど前までは、蹴りロクロでしたが木村さんも老齢には勝てず電動ロクロで今は作業しています。いきなり右手の拳で土塊を平坦にし、あれよという間に両手の親指に力が入り上に引き延ばしていきます。道具はコテ一つ。水引きもほとんどせずに布に水をしみ込ませあてがいながら上へ引き延ばしていきます。いわば土管の形にしたところで縁を返し2重にしてしっかりと掴みます。さらに仕上げベラを用いてロクロ目を消して仕上げベラを用いて形を整えていくのです。日本各地のカメづくりや壷づくりを視てきましたが、6升甕といっても今の世の中では大物に近い大きさ。それを何となく視ているうちに出来ているような早さでした。

うっかり成形するまでの時間を計っていなかったので、もう一度作ってもらうように依頼するとすぐに取りかかってくれます。そして何とあろうことか成形したてのその甕を紐ですぱっときってしまいました。なんてことをと我々声を上げてしまいましたが、立ち上げの厚みを見せてくれたのです。腰の部分、縁の部分は厚くつくられていましたが、立ち上がりは一様に均一の暑さです。容器の用を成形そのものがきちんと守り伝えていることが一目瞭然でした。

感心している間にまた仕事が始まります。今度は計ってみました。すると6分45秒で成形したのでした。そこで小鹿田の坂本浩二君に電話しました。「今、木村さんの窯にいて木村さんに6升甕をつくってもらったけれど君ならば何分でつくるかな」と尋ねると「15分くらいかな、あーちゃん(柳瀬朝夫さん)の若いときなら13分くらいかな」と。木村さんは6分45秒といったら「是非見せていただきたい、教わりたい」と叫んでいたのが印象的でした。そのことを話すと笑っていただけで「来るといいよ」と。

木村さんのこのような技こそ、日本の誇れる伝統の職人芸であり、かつてこの国ではこのような職人が当たり前のようにいたのかもしれません。今ではこの木村さんが益子の代表格として残っているのかもしれませんが、これまで民藝と関わりながら著名な作陶家や民芸派作家をめざす技術をたいして持たないつくり手に目を奪われてしまい、肝心な技術を見て来れなかったが民藝同人に最も欠けた視点ということを私も認識したのでした。

 

手仕事フォーラム 久野恵一