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手仕事調査:関東地方

小田原市 桶辰

小田原市 桶辰

2013年10月23日
訪問地:神奈川県小田原市

 小田原市の国道1号線沿いに老舗桶屋の桶辰(おけたつ)はある。同じ小田原で桶屋をしていた本家から分家したのが明治の頃で、今でも三代目の杉山孟(はじめ)さんが仕事を続けている。孟さんは昭和9年の生まれ。小さい頃は桶づくりが盛んで、家では何人もの職人が働いていたそうだ。どうやって桶づくりをおぼえたのかと聞くと、「生まれついての桶屋だからね、小学校に入る前から職人さんの周りで遊んでた。門前の小僧で、誰にも教わらないで桶屋になっちゃったから、肝心なところが抜けてたりしましてね」と、笑顔で答えてくれる。
 時代は変わり、需要も減って今は息子さんと細々と続けていくのがやっとだ。「この歳になってみると競争相手はいなくなるし、つまんなくなった。けんども、桶が欲しいとなれば、探し探してうちに辿り着く。そんな時代になったもんでね」。

木曽のサワラ
 伝統的な木材加工技術には「刳物(くりもの)」、「挽物(ひきもの)」、「曲物(まげもの)」、「指物(さしもの)」、「結物(ゆいもの)」がある。桶屋の仕事は結物であり、おもにヒノキ、スギ、ヒバ(アスナロ)、サワラを用いて短冊状の側板をつくり、それを円形に並べてタガで締め、底板やフタをつけて桶や樽をつくる。
 桶辰の木材は、信州・木曽産のサワラを使用する。サワラは、ヒノキ科の針葉樹で、湿気に強く、木の香りも少ないため、おひつや風呂桶などに使われてきた。また、他業種であまり使われず、建具屋が使うぐらいなのも、サワラがよく使われる理由だ。若い木は油っけがあり、古くなるとだんだん油っけが抜けてくる。おひつなどの食べ物を入れるものは、油っけが抜けたほうがよく、風呂桶などの水をいつも入れて使うものは、油っけがあるほうが保ちがいいそうだ。「そんなこと言ったって、今は木材をまとめてとって、こっちは風呂に、こっちはおひつに、これは何にってやれるほどの注文がないわけ。昔は丸太で買ってきて、やったんだけどね」と、現状を語る。

代々受け継がれてきた鉋で削る杉山孟さん

町場の桶屋
 昭和30年代から、あらゆる生活用品がプラスチックなどの工業製品に変わり、桶屋やその道具をつくる鍛冶屋が減少した。さらに最近は、中国産の安価な製品が輸入されている。桶辰でも、家庭で使うおひつや、寿司屋の飯台、温泉地の風呂桶など、桶の注文はほとんどない。「店開けてても風呂の注文が年に何本っていうんじゃあ食べていかれないわけ。そうすると、歳も歳だし店締めちゃって、あとは年金で暮らすっていうような桶屋さんが続々でね」。
 現代生活で木の桶を使うことは稀になった。この状況で桶辰が続けてこられた理由は、安定した収入源が別にあったからだ。熱海や箱根という観光地に近く、土産物用の小さな容器づくりの仕事がそれだ。「お土産用の小さい雑な桶。よくお中元とかお歳暮で、漬け物とか梅干しとか塩辛なんかが入ってるのがあるでしょ。そういう桶をつくってて、今もそれで飯を食ってるわけ」。
 一時期は、土産物用の容器のみで桶辰は続いていたが、この不景気では土産物もあまり売れない。「私も桶なんて全然触らないで、二足のわらじなんて履けねぇや、なんてでっけぇこと言ってたんだけど、そのうちこれだけじゃ食えなくなっちまいましてね。じゃあ昔やってた桶屋に戻るかあ、なんて言ってね」。
 さまざまな時代を乗り越えて、桶辰は今でも町場の桶屋だ。
 四代目は桶屋を続けていけるのだろうかと聞いた。「道具やなんか残ってんから、跡を継げりゃあいいんだけんどね。私も見よう見まねの桶屋だから、息子が見よう見まねで桶屋を継いでもそりゃあ一向に構わないことで。ちょっと苦労すれば桶屋になれるんだからね」。先ずは景気の回復が待たれる。そうなれば、桶辰は続いていくかもしれない。しかしなによりも、私たち使い手が、木の桶のある生活を取り戻すことはできないものだろうか。

木曽サワラの味噌桶

 

手仕事フォーラム会員 坂本光司