手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

ホーム>手仕事調査>関東地方>日光下駄

手仕事調査:関東地方

日光下駄

日光下駄

2013年12月4日
訪問地:栃木県日光市

 日光下駄とは言うものの、下駄ではなく「草履」。でも、見た目は「下駄」。そんな少々ややこしい草履についてお話くださったのは、栃木県伝統工芸師の山本政史さん。日光木彫りの里工芸センター(※)で日光下駄を製作実演されている。
日光下駄とは、真竹の竹皮で編んだ草履の下に下駄を縫い付けたもの。そのルーツは寺社の神官・僧侶の正式な履物「御免下駄」にある。神社仏閣には正式には草履でないと上がれない。江戸時代に東照宮を新しくした際、全国から格式の高い人が来るだろうからと、草履では歩きにくい雪道や山道に対応できるように草履に下駄を縫い付けたのが始まりらしい。あくまでも草履であって下駄ではない、と強調されるのはこの由緒ゆえである。

作りは、まず竹皮で草履を編むが、この時点で鼻緒も一緒に編みこんでしまう。次に、編んだ草履を丈夫な麻糸と大きな針で下駄部分に縫い付ける。鼻緒を留めて縛った結び目が草履の裏と下駄の間に隠れるのだ。一般的な畳表つきの下駄は、畳表を接着剤や釘で下駄に貼り付け、最後に鼻緒を通して下駄の裏で縛る。このため「日光下駄は下駄屋には作れない。草履屋でないと作れない」と山本さんは言う。
 また、形状の特徴として、歯が上部から下部に向かって末広型になっている。このため安定性に富み、降雪時に雪もつきにくいのだそうだ。ただし、普通の下駄のように返りが良くなく、殿様のように悠々としか歩けない。(ただし、下駄部分については現在の需要のほとんどが「右近型」であるため、本来の御免下駄の形状とは異なる)
 元々は女が草履を編み、男が縫い付ける分業だったそうだが、山本さんが教わる頃には製作者も減少していたため、師匠とその夫人から仕事を教わり、下駄部分以外の全ての作業を一人でできるようにならざるを得なかったそうだ。作業場の傍らには鼻緒を作るためのミシンも置かれている。編みも縫い付けも自分でできるおかげで、より良いものが作れるのだそうだ。

 材料は、筍の皮が自然に剥がれ落ちた竹皮を用いる。かつては近郊ものを用いたが、現在は九州・大分あたりから取り寄せる。山本さんは「商売ものだから」と一番いい材料しか使わない。主にシロ竹、カシロ(皮白)竹という種類だが、注文しても山本さんが欲しいような竹皮を得ることはなかなか難しく、30kg、50kgと送ってもらっても使えるものが全然入ってないことさえあるそうだ。これを濡らし、硫黄でいぶすと繊維が丈夫になり、さらに色も白く美しくなる。基本はそのまま用いるが、バリエーションとして赤や茶や黒などに染めたものも用意し、客のリクエストに応じて用いる。
 また、下駄部分は茨城県結城の木工屋から仕入れる。木材は時代によって変わるもので、朴、ハンノキ、サワグルミと、その時代その時代に近くの山に沢山ある軽い木が用いられてきたが、昨今は桐しかないそうだ。桐は軽く柔らかく割れにくいが、削れ易いため磨り減るのが早いという特徴がある。
さて、この日光下駄は、素足で履くと足に心地よい。竹皮なので吸湿性、殺菌性があるのだ。もちろん足袋を履いても足裏に当たりが優しく、滑りにくいため疲れにくい。また、しっかり編んでいるので濡れても問題ない。極めて実用的である。だが、残念ながら現代においてこの草履(下駄)を履く人は地元でも少なく、一部の愛好家のみが購入層となる。しかし、たまにテレビなどで紹介されると、遠方からわざわざ求めにやってくる方もいるそうだ。
最後に、山本さんの言葉から。「こういうものは作るのはそんなに難しくない。誰でもやれば作れる。特別な技能や才能がなくても。だって元々日用品なんだから。」「全て自前なので、見れば誰が作ったかすぐわかる。材料からぜんぜん違う。竹皮の裂く幅も違う。編み方も全然ちがう。だから面白い。毎日同じことやってるように見えるでしょ。でも二度と同じ皮はない。」伝統について問われれば、「どういうふうに作っていくかはお客さん次第。お客さんがああいうふうに作ってと言えばそう作る。履いてくれる人が欲しいものを作らなくちゃならない。」いかにも職人らしい言葉である。手を抜くことなく実用のもの作りに携わる人の、飄々とした受け答えは実に爽やかだった。

 

※木彫りの里工芸センター 栃木県日光市所野2848 電話0288-53-0070

 

手仕事フォーラム会員 指出有子