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手仕事調査:関東地方

小田原の桶屋「桶辰」

小田原の桶屋「桶辰」

2015年5月、12月
訪問地:神奈川県小田原市

 小田原城箱根口の近く、箱根駅伝の際には小田原中継所で賑わう国道1号線沿いに小田原の桶屋「桶辰」はある。明治の初めの頃から三代続く桶屋である。2013年10月にも手仕事フォーラムのメンバーが聞き取りに訪れており、それ以来3年ぶりの訪問ということになるだろうか。まだまだご健在のご様子であり、気さくに話に付き合ってくれた。熟練の老職人の達観した話しぶりには、ある種の爽快さが感じられた。(以下の報告は、昨年の5月と12月に訪ねた際の内容をまとめたものである。)

昔は各町内に一人や二人はいたという桶屋だが、今はすっかり見かけなくなった。かつては生活必需品であった木製の桶や樽も、安価なプラスチック製品の普及で、随分前から見かける機会がめっきり少なくなった。
桶辰では「大きいものでも小さいものでも、棺桶以外は何でもやる」とのこと。桶、漬物樽、味噌樽、お櫃(ひつ)、飯台、湯桶、風呂腰掛け、箱風呂、小判風呂、特大ひのき風呂、手桶、花桶、酒樽、土産用の小ぶりの樽…。材料は主にサワラやヒノキ、青森ヒバや高野槇や杉を使う。
国道沿いに店を構えており、時折客も来る。遊んでいても仕方ないから続けていると話す桶辰さん。「贅沢さえしなければ、何とか食ってく手段はあるわけ。どうしても桶屋が好きだって人は生き残れるから」。

しかし、実際の手間と時間に見合うだけの値段は付けられないのが実情である。
「ちっとやそっとや貰ったって合わないんですよ。ちゃんと勘定すればえらい高いものになっちゃってお客さんからとても貰いきれない。ほどほどの値段付けさせてもらってんだけど、そんでも高けえなんて言うお客さんがいるもんだから、ハハハ。」
安価な物が簡単に手に入り、壊れればいくらでも新品に買い替えられることに慣れてしまった時代である。手間暇かかる作業工程を見聞きしたり、手仕事に興味があれば別だが、なかなか手が出ないことも理解できなくはない。

基本的に作り置きはしていない。ほぼ受注生産であるため、出来上がるまで待つことも必要である。待つこともまた楽しみであり、近所なら様子を見ながらちょくちょく訪ねて話を聞くのもよいだろう。
なるべくうるさいこと言う人は避けてんだけど。何か月もかかっちゃうからね。味噌の桶なんかね、一年前に注文してくんなくちゃやだよって、一年干しとくと木がちぢまるから。ちぢんだとところで仕上げる。あんまり濡れたままで作るとスイテきちまうからね。一年以上前に注文くれって言ってんだけど。材料だけ仕入れてね、死んじまうかもしんねえ。アハハハ」。

 

職人仕事は職人がいる限りは、修理しつつ何十年でも使い続けることが出来る。自然素材なので、当然のことながら箍(たが)が緩むし板が透く。扱いが悪ければ朽ちることもある。
訪ねた際にも、修理された飯台(すし桶)が置かれていた。

今なら銅で箍も作るところを、金属の針金を捩じって箍にしてある。昔は銅が高価で出回らなかった。その他、様々なポイントから推測して、作られた時代は戦前まで遡るかもしれないとのこと。
はたして、この桶が次に修理を必要とする時、職人は健在だろうか。

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作業場には数多くのの道具が所狭しに並ぶ。表に出ている道具類の他に、店の裏手の作業場には、木取りなどをするための木工機械が数多く並ぶ。

良い仕事をしたいと思えばピタリと合う道具を使いたくなるもの。また、仕事も楽に出来る。例えば、鉋(かんな)ひとつをとってみても、桶の内と外を削るために鉋は二本でワンセット必要となる。そのため、桶の大きさに合わせて鉋の数だけでも相当な数になる。その他、各工程で使用する道具をそろえる必要がある。外丸鉋(内側を削る)、内丸鉋(外側を削る)、外銑(せん:両側に柄の付いた鉋)、内銑、底まわし(底板を仕上げる鉋)、錐(きり:竹釘用の穴をあける)、鉈(なた)…。
以下、幾つか道具を見てみる。

<外丸鉋(内側を削る)>   <内丸鉋(外側を削る)>

鉋を持たせてもらったが、見た目よりも意外と重量がある。腕力だけではなく鉋の重さを上手く利用して当てて引くのだとか。刃を作る職人に関しては、まだいるそうである。もちろん打ち刃物の鍛冶屋は随分と減ってしまった。刃物の質としては、昔のように、何番の鋼で何回焼き入れするといった熟練の勘に頼った製造法ではなく、炉でコントロールできる時代になったため、刃物の当たり外れは少なくなり、大抵良く切れるそうである。

<底まわし(回鉋ともいう)>

<底まわしで、底板の側面を削る>

 

<正直台で短冊状の側板(榑板・クレ)の側面を削る>

説明が前後してしまうが、桶は木工加工技術の中で“結物”(ゆいもの)と呼ばれる。『民藝教科書B木と漆』から抜粋すれば以下のような説明となる。「おもにヒノキ、スギ、サワラを用いて短冊状の側板をつくり、それを円形に並べ箍で締め、底板やフタをつけて桶や樽を作る技術、または製品」(28頁)。
さて、ここにも受け継がれてきた技と工夫がある。実は、クレとクレを合わせた中央付近に、わずかな窪みが出来るように、正直台はわずかに湾曲している。そうすることで、箍で締めた際に、窪んでいる箇所同士がガチッとより強く締まる。隙間のない真っ平らに削った状態で締めると、無理な力がかかり隙間が出来る。乾燥した際に上下に隙間が出来て水漏れの原因になったり、箍が外れる原因ともなる。

 

クレとクレが接合する部分に隙間を作ると言われて見せられても、目視ではほとんどわからない。

 

<正直台を機械化したもの>    <クレの角度を決める自家製の当て木>

クレの側面を削るときには機械も使うが、それだと真っ平らになってしまうため、あらかた機械で削っても仕上げは昔ながらの正直台で手作業で削りをかける。「大したことじゃないんです。勘所さえ押さえとけば漏らない桶が出来んだけども、桶屋になったころには漏る桶ばかり作ってましてね、ハハハ」。

<クレの側面の角度をより正確に決めるカマの束>

クレの背中の丸みを鉋で初めに削っておき、クレの側面を削れば隙間のない水漏れしない桶が出来る。
「書かれている数字は直径です。何センチの桶を作る道具だっていう。42なんてのは42センチの桶だね。それに合わせて削るわけです。それに当てて削ると角度が決まってピタッと。あとそこにカマって言って一枚一枚検査する道具があります。長年やってますといろいろ道具を考えてね。何百年か昔からやってるから、先輩たちが色々考えてくれてるから。」

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裏の作業場に案内してもらうと、サワラの丸太が組まれて乾かされていた。乾かすほどに狂いが少なくなる。左は15年程度経過。右は5年くらい経過している。

丸太を角度を変えて木取りすることで、柾目と板目の板を取る。

 

「糠みそや味噌の桶なんかは板目にするわけです。板目は狂いが多いんだけんども、塩っ気だとかアルコールっ気が抜けないわけなんです。柔らかい夏目の部分は塩っ気だとかアルコールっ気が抜けちゃうんです。木の柔らかいところを通って。冬目が防波堤になって塩っ気を止めているわけなんです。だから板の状態で仕入れるわけにいかないから丸太で置いとくわけ。」

 

<板目のクレを金属製の箍で仮留め中> <外丸鉋と内丸鉋で更に1ミリ程度削り仕上げる>

<味噌桶。三枚の板は底と蓋と中蓋>

 

これはお櫃。板目で作られた味噌桶と比較すれば、柾目板が使われているのが分かる。蓋は縮むことを想定して作っている。また、片手でスッと斜めに持ち上がる使い勝手の良さも考慮し、気持ち大きめに作られている。と言っても大きすぎれば頭でっかちで姿が悪くなる。見た目のバランスも大切である。また、フタの箍は上部に二本締めてある。蓋には当然ながら底板がない。底板がないところを箍で強く締めれば無理な力がかかって緩みが出て箍が落ちる。箍を締める場所にも長年使い続けるための工夫がある。
さて、お櫃のクレを見ると目の詰まり方に差があることが分かる。目の詰まったものは天然のサワラ、目の詰んでいない材は人工林のサワラと言われるそうである。肥しの効いていない土地で、鬱蒼と茂らせた、あまり日当たりのよくない環境で育ったサワラの方が目が詰まる。

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小田原にも、戦中戦後には桶屋の組合があった時代もあったそうだ。国鉄の貨車に丸太を山盛り積み込み仕入れて、小田原の桶屋で分けた。その当時から材は長野の木曽のサワラだった。小田原桶職組合の資料は小田原郷土文化館に寄贈してあるそうである。

 

小泉和子氏の著書によれば、『東京市内職工調内訳』によると、明治10年には桶職は対全戸数に対して1%、つまり100軒に1軒の割合であったことになる。修理も含めて絶えず日常的に需要があったことがうかがえる。現代では桶屋は全国でどれ程残っているのだろうか。何百年もかけて職人が磨きをかけて引き継いできた技術が、ライフスタイルの変化とはいえ、わずか数十年で失われるかもしれない危機的状況にあることを思うと暗澹たる気持ちになる。 しかし、桶作りに興味を持ち、職人の道を目指す人もまだいるそうである。 「うちにも桶の作り方おせえてくれなんてきてる。それで一通りおせえてやって。長野に行って潰れかかった木工所を買い取って本気で桶屋やるらしい。アハハハ。」 何とか存続してもらいたいものである。

 

最後に、斉藤隆介の名著『職人衆昔ばなし』に寄せた福田恒存の序文から一部を抜粋し終わりとしたい。
「…しかも彼等の大部分は恵まれない。彼らの製品は大量生産のガラクタに駆逐され、浅薄な洋風に押し退けられて需要は少なくなり、後継者も数少なく、それが一人も無いものさえある。今のうちに何とか手を打たなければならない。私はそう思って首相に建白したが、事は思う様に捗りそうもない。野党にも汚職の悪を糾弾する消極的熱意はあっても、進んで善を行う積極的熱意は今のところ全く期待出来ない。序文としては聊か差出がましいが、再びこの書を建白書資料として政府、議会に提出し、一考を促したい。直ぐに具体案が浮かばぬとあれば、唯一つだけ今年からでも安直に実行し得る名案をお教えする。尤も、これは友人から得た知恵だが、例の首相主催の芸能人招待の園遊会を今年から職人招待に代える事だ。それは彼等にとって励ましとなると同時に、彼らの仕事の意義を国民一般に知らしめる絶好の機会となろう。芸能人はわざわざ首相に紹介されなくとも、国民の誰もが知っている。素人咽喉自慢で踊りだした様な芸能人と一生黙々として誠実に技術を磨いて来た職人と、そのいずれを歓待する事を吾等が首相は名誉と感じるか、それによって紀元節や道徳教育の復活を望む心の深浅も自ずと測られよう。」(昭和四十一年十一月十一日)

 

手仕事フォーラム会員 中村裕史

 

【参考資料】
・久野恵一 監修 ; 萩原健太郎 著. 民藝の教科書. グラフィック社, 2012.12.
・奈良県立民俗博物館 編. 木を育て、山に生きる . 奈良県立民俗博物館, 2007.9.
 奈良県吉野地方の木工職に関してコンパクトにまとめられたすぐれた資料。
 木工製品の製作工程が詳細にイラストで紹介されており良くわかる。
・ミュージアム氏家 編. 世界と日本の大工道具・木工具 . ミュージアム氏家, 2003.4
・小泉和子 著. 道具と暮らしの江戸時代. 吉川弘文館, 1999.4.
・手仕事フォーラム,手仕事調査:関東地方「小田原市 桶辰」
 http://teshigoto.jp/handwork_research/kanto/20131023.html
・斎藤隆介 著. 職人衆昔ばなし. 文藝春秋, 2015.12.