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手仕事調査:関東地方

再生ガラスで吹きガラスを作る東京・青梅の「Rainbow Leaf」を訪ねました

再生ガラスで吹きガラスを作る東京・青梅の「Rainbow Leaf」を訪ねました

2019年3月
訪問地:東京都青梅市


「Rainbow Leaf」の定番製品『ヒッチーグラス(小)』。「ヒッチー」は沖縄の方言で「しょうちゅう」を意味する

沖縄那覇市の「奥原硝子製造所(以下、奥原硝子)」にて名工・桃原(とうばる)正男社長のもと7年半、職人として働き、独立した平岩愛子さんのスタジオを訪ねました。奥原硝子と同じく再生ガラスを原料に用いて、ひとりで日用のガラス製品を作る平岩さん。再生ガラスに惹かれる理由、奥原硝子での経験、そして現在の仕事についてお話を伺います。


スタジオ内のショップに飾られるオーナメント

 

透明なものに惹かれて


沖縄から生まれ育った青梅に戻り、グラススタジオを開いた平岩さん

幼いころから透明なものに心奪われていたという平岩さん。武蔵美短大の美術科で油絵を学んだのも、透明感をいちばん出せる画材だと考えたから。ところがある日のこと、工業デザイン科の先輩がFRPで制作した作品を目にして、透明なものはやはり良いなぁと実感。しかし、この素材は自分には合わないと思い、ふと頭に浮かんだのはガラスでした。
「ガラスは毎日のように使うものなのに、どうやってできているのかまったく知らない。俄然、ガラスへの興味が強まっていきました」

手吹きガラスの原料となる生地。紀元前数千年ごろに誕生したとされるガラスの主成分は地殻を構成する珪砂(けいしゃ)。製品化した後も「動いている」と平岩さん。その性質は固体か液体か科学者が論争するほど神秘に満ちている

 

リサーチの旅

1952年に奥原盛栄さんが創業した奥原硝子のロングセラー製品である保存容器『斤瓶(きんびん)』。美しい色合いと素朴で力強いかたち。奥原硝子が再生ガラスで作る日用品は大らかな沖縄の風土を思わせ、健やかな美を宿している

図書館でガラスについての文献を調べていたときのこと。琉球ガラスの職人、宮城嗣敏さんの仕事を紹介する一冊に出合います。
「宮城さんの言葉が素敵でいっそうとガラスに惹かれていったんです。それで、いきなり宮城さんを訪ねてみようと(笑)。この時点ではガラスをやろうとはまだ考えていなくて、行ったことのない沖縄の文化への関心もあり、まずはリサーチというつもりでした」
インターネットで情報を集められない時代。本に書かれた宮城さんの工房「牧港ガラス工場」の住所だけを頼りに現地に足を運んだものの、その場所は駐車場になっていました。周辺で尋ねても、ガラスの工場は無いと言われてしまいます。せっかく来たのだからと、平岩さんは観光客向けの琉球ガラスを作る工房をいろいろ見てまわったのですが、自分が良いと思えるものは無かったそうです。さて、どうしようと思案した平岩さん。本には宮城さんが独立する前は奥原硝子に勤めていたという経歴が載っていたので、次はそこを目指そうと、那覇市与儀にあった工房を訪ねたのでした。

 

リサーチの旅

桃原社長が仕上げた菓子入れ。再生ガラス特有の温かみを引き出した、独特の味わいがある

奥原硝子の工房に並ぶものを見て、「あっ、私がやりたいのはこういうガラスだ!」と気づいた平岩さん。赤色やきれいなブルーの琉球ガラスではなく、素朴でシンプルなもの。奥原硝子の製品は色味、趣き、重さが理想のガラスでした。ただ、そのかたち、色が再生ガラスから生まれるとは知らなかったとか。すぐに想いを伝えたくとも、アポなしの訪問。作業に集中する職人に睨まれ、腰が引けますが、このまま帰ったら意味がないと休憩時間まで待ち、話しかけます。応対してくれたのは2代目の社長、故・桃原正男さんでした。
「じつはこういうことで興味を持ち、宮城さんを探していました」と話すと、宮城さんは3年前に亡くなり、奥原硝子では先輩にあたる人だったと桃原社長。
「牧港の工場も閉じたよーと聞くと、もうここしかない!と。すぐではないけれど、入りたいと社長に懇願しました」
最初は内地から来ていること、女性であることに戸惑っていましたが、「まぁ、気が変わらず、またやりたいと思ったら来たらいいよー」と社長は返事してくれたのでした。
そうして翌春に再訪した平岩さんは見習いで働けることになったのです。以降は入社希望を断ることが多かったため、人手が足りないというタイミングだったのでしょうと平岩さんは振り返ります。しかし、平岩さんと向き合い、朗らかで、実直さを感じさせる気質に接すると、桃原社長は何か可能性を感じ取り、採用を決めたのではと私は想像できます。

 

格好いい桃原社長

後列中央のシャツを着た人が桃原社長。その左隣が平岩さん。奥原硝子にて2000年に撮影

ガラスを吹く人、竿を付け替える人、筒状の型を開閉する人など、分業のチーム体制で一日にたくさんの日用品を作る奥原硝子。この工程のトップが、かわるがわる工人が持ってくるガラスを受け、仕上げをおこなう桃原社長でした。炉の火で熱せられる暑い空間なのにYシャツとスラックス姿で革靴を履き、麦わら帽子をかぶり、涼しげな顔をして魔法の手さばきで、次々に製品を生み出す仕事ぶりがじつにクールで格好いいのです。
「石原裕次郎が大好きで、彼の映画が上映されると一番に観に行く。格好つけるのも裕次郎の真似。20代のときはテンガロンハットをかぶって作業していたって言っていました。火から顔を護る役目もありますが、帽子をかぶるのはスイッチが入るみたいな感じですかね。だって、ふだんは帽子をかぶっていなかったから。普通は逆ですよね、ふふふ」と笑う平岩さん。そばで社長の仕上げを見続け、高い技量にも感嘆しましたと振り返ります。
「私はいまだに同じものを作っていても、しょっちゅうサイズやバランスを確かめますが、社長は手が覚えているのか、さっさっさっとやって、出来上がったものもすごくバランスが良い。よく考えているふうには見えないのに本当にすべての動作がきれいでした」
奥原硝子で7年半くらい働いても、自分はまだまだ。家庭の事情で青梅に戻らざるを得なかったけれど、技術の習得は全然足りていないと謙虚な平岩さん。
「それでもやるしかないので、やれることから始めています。社長には聞きたいことがまだいっぱいあります」としんみりとした表情を浮かべました。

桃原社長の成形技術を見こんで、故・久野恵一さんが発注した『ペリカンピッチャー』と、私が愛用する脚付きコップ

 

ガラスは最初が難しい

吹き竿に巻き付く「下玉」

ガラスは最初の入口が難しい、と平岩さんは言います。吹きガラスの工程では、まず溶かしたガラス生地を吹き竿に巻き取っていくのですが、この作業がとても難しいのだとか。竿の先に巻き取ったガラスのかたまりを「下玉(しただま)」と呼ぶのですが、桃原社長にも「下玉が基本だよ。下玉がきちんとしていないと、厚みも均等にならないし、そのあとの作業が大変になる。きれいに取れていれば、あとはガラスが勝手にやってくれる。ガラスの口も素直にさーっと開いていくよ」と再三、説かれていたそうです。再生ガラスは製品化されたガラス原料よりも固くなる時間が短く、そのぶんより速やかに作業しないといけません。逆に言えば、冷める時間も短いため、効率よくたくさんの製品を作れることになります。奥原硝子のようなチーム体制では、このメリットを存分に活かせるのですが、すべての工程をひとりでおこなう平岩さんは瞬時の判断で作業をよりスピーディに進めることが求められます。速く、正確に、短い時間で均一のかたちに成形していけるか。これが吹きガラスの職人にとっての技術レベルの基準になるのかなと思いました。
「私はコップを6〜7回(作業炉に戻しながら)で仕上げましたが、社長はほぼ1回で仕上げていました。毎日同じコップを作り、手が覚えているのでしょう。1回で仕上げたもの全部がきれいに揃っていましたね」と平岩さん。熟練の技術をそばで見つめ、肌で感じられたからこそ、自分の現況と目指すべきことを素直に把握できているのでしょう。

窓ガラス(板ガラス)はライトラムネ色の製品を作るときに用いる

回収業者に分けてもらった廃瓶を吹きガラスの原料として活用。瓶は水に浸してラベルを剥がす

ガラスを成形する作業は「ベンチ」に座っておこなう。使うのは「洋バシ」やハサミ、サイズを計る道具など

熱したガラスを入れ、吹いてふくらませる「型吹き」用の型

ガラスを吹く吹き竿(ガラスの大きさにより太さが違う)と、吹いたガラスを付け替えて口を仕上げるためのポンテ竿

ガラス表面に筋模様(モール)をつけるための型。筋の本数と大きさによって型を変える。ガラスが硬いとねじれにくく、まっすぐ気味な模様になる。桃原社長からは「モールは飲み口のところに掛からないように吹け」と教わった

 

作業の流れ

@1,300〜1,400℃に熱した溶解炉で溶かした原料を吹き竿で巻き取り「鉄リン」という器具に転がし丸みをもたせる

A巻き取った「下玉」を吹いてふくらませる。「宙吹き(ちゅうぶき)」という技法だ

B再び溶解炉に下玉を入れて、ガラスをさらに巻き取り、製品サイズに合わせて下玉を大きくしていく

C再び鉄リンで下玉のかたちを丸くする

D型でガラスの表面に筋模様(モール)を付けたあと、型吹き用の型に入れる。ねじりながら吹くと筋模様もねじれる

Eガラスは2分で硬くなるため、作業炉(再加熱炉)で何度もあぶり、焼き戻しながら仕上げの工程へと進む。作業炉を奥原硝子では「鉄砲」と呼んでいた。ほかに「ダルマ」、「グローリー」という呼称もある

Fベンチの「エンダイ」に吹き竿を載せ、回転させつつ洋バシでかたちを整える

G洋バシのグリップ部を底に当てて底面を平らにする

H底面の中央にポンテ竿を付ける

I口側となる吹き竿の接点をハサミで切り離す

Jポンテ竿に付いたガラスを作業炉であぶる

Kポンテ竿を回転させながら洋バシのグリップ部で縁を平らにしてから縁のまわりを押し広げ、かたちを整えていく

Lポンテ竿をはずして製品の完成。これはシンプルやストレートの「S」 を意味するSシリーズのコップ『S200』

Mガラスは急速に冷ますと割れてしまうため、500℃ほどの徐冷炉に製品を入れて徐々に冷ます。翌朝には80〜100℃くらいに炉内の温度は下がり、製品を常温に出しても大丈夫になる

 

使いやすいガラスを作りたい

私が購入した『ヒッチーグラス』。安定しつつも軽い。感触、口の反り、適度な重さバランスがお酒をおいしくさせる。この小(120mL)のほか、中(180mL)、と大(340mL)がある

生まれ育った青梅にグラススタジオを設けて9年が過ぎた平岩さん。もし自分が沖縄出身で家族も沖縄に居たら、奥原硝子でずっと働いていたと思いますと言います。しかし、独立したからには、デザインを含めて独自のものを作らなくてはとも考えたそう。確かに、ひとりで全工程を担う「スタジオグラス」スタイルで仕事をする作り手は個性を前面に押し出す人が多いかもしれません。けれど、平岩さんの作る吹きガラスを見渡すと、奇抜なものは目に入ってきません。同一シリーズでサイズのバリエーションがあるコップや皿、小鉢など毎日のように使いたくなる日用品ばかり。柔和な透明感をまとったすっきりとしたかたち、健やかな佇まいは、奥原硝子の製品に通じるものがあるなぁと感じました。
「自分で使ってみていいな、使いやすいなと思ったものを商品化しています。そうして試作を重ねていくと、似ないようにと意識しても、かたちや大きさが奥原硝子に似てきてしまうんですね。奥原硝子のものはやっぱり使いやすいってことなのでしょう」
私がひときわ惹かれたのは『ヒッチーグラス』。テーブルに透過光がゆらめく美しい景色、どっしりと安定していながら持つと思いのほか軽いバランスに心がときめきました。
「このかたちになるまで3年くらいかかりました。石膏で型を起こして太さを試しながらようやくこのバランスに行き着いたんです。女性が洗いやすいことも重視しました」
大・中・小と3サイズありますが、それぞれどんな飲み物で満たすか、情景が思い浮かぶ絶妙なボリューム。これも日常で使う場面を考え抜いて決めた容量なのだそうです。

容量が200CCの『S200』。たとえばこれでワインを気軽に味わいたい。具体的なシーンがかたちから目に浮かぶ

平成26年度(2014年)日本民藝館展で奨励賞を受賞した『口巻モール皿』

淡い浅黄色の花瓶。今後は自分の好きな色だけに色数を絞っていこうと考えているそう

安定感抜群のボトル型の一輪挿し。花がとても好きな平岩さんは花瓶を多様に作っている

 

目標は脚付きグラス

終始笑顔を絶やさない明るさに初対面の緊張が大いに緩んだ。これからの展望を尋ねると、きりっとした顔になった

今後、目指していることを最後に伺うと、これからも奇抜なものは作れないし、今の延長でもう少しスキルアップしていきたいと真摯に語る平岩さん。具体的な目標として掲げているのが、ひとりで脚付きのグラスを作ることだそうです。
「再生ガラスを使うハンディもあるけれど、そこを言い訳にせず克服しなくては。ありがたいことに脚付きのグラスを見たいという方がけっこういらっしゃいます。そういう方々に自信を持って出せるようにしたいです」
真面目で、えばらず、使い手のことをよく考える平岩さんのこれからが楽しみです。

Rainbow Leaf
東京都青梅市新町2-34-10
HP: www.rainbowleaf.jp
Instagram: https://www.instagram.com/rainbowleaf_2009/
Facebook: https://www.facebook.com/Rainbow-Leaf-154847681376911/

※スタジオに併設するショップは月末にオープン。SNSで告知しています
※世田谷区尾山台「手しごと」が6月に催すガラス展で平岩さんに注文した製品を販売します

 

手仕事フォーラム会員 久野康宏