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手仕事調査:九州地方

偉大な陶工の引退宣言 皿山の茂木さん さようなら

偉大な陶工の引退宣言 皿山の茂木さん さようなら

2010年5月16日
訪問地:大分県日田市

福岡県朝倉市秋月野鳥(のとり)にできた手仕事フォーラムのお店「秋月(あきづき)」開店を祝った翌5月16日、小鹿田の皿山を訪ねた。小鹿田焼の青い釉薬よりももう少し深い緑に包まれた窯場では、各庭先に成形された品物が並び、うららかな日差しを受けていた。ギギーッ、ゴトン。のんびりと、規則正しく土を打つ唐臼の音。姿は見えないけれど、聞こえてくる小鳥のさえずり。ちょうど窯焚くきが行われている窯から立ち上る、白い煙、黒い煙。普段、めまぐるしく変化する時代を見つめ、翻弄される人々を追う生活をしている身には、小鹿田の人たちがこれほどまでに頑なに仕事の仕方を変えずに守ってきたことが、奇跡のようにうつる。

唐臼のそばで土の話をする茂木さん(左)と小谷さん

 フォーラムメンバーの若手陶工・坂本浩二さんの窯に新しい看板をかけ、やはりメンバーの一人黒木昌伸さんの仕事を見学したりするうちにお昼近くになり、「坂本茂木さんが待ってるぞ〜」の一言で、そば茶屋に。「11時半では遅すぎる!」と、11時にはもう飲み始めていたという茂木さんはすでに頬を上気させていた。
 「せっかく九州まで来たのだから、ついでに足を伸ばそうか」「せっかく集まったメンバーがまた散り散りになってしまう前に、小鹿田の長老を囲んで一杯」。そんな、ごく軽い気持ちでの小鹿田訪問だった。和気あいあいと喋って、飲んで、お祝いムード一色で解散するんだろうな、と思っていた。茂木さんの挨拶を聞くまでは。

 フォーラム代表の久野恵一さんに促され、居住まいを正した茂木さんは、紅潮させていた頬もすっと素面のように戻して、切り出した。「実は、この4月に孫が(修業先から)戻ってまいりまして、私はこの窯を最後に、今日を持ちまして、隠居することになりました」

 突然の引退宣言だった。

 みな、下を向いて黙り込んでしまった。茂木さんと長年のお付き合いがあり、内実をよく知っている久野さんは、それでも少しはロクロの仕事を続けることができるのではないかと、淡い期待を持っていたという。一瞬息が止まったようになり、茂木さんを見つめて涙ぐみ、言葉を継げずにいた。その直前まで、小鹿田の一子相伝の伝統について私たちに語ってくれていた浩二さんも、茂木さんが完全に身を引いてしまうとは知らなかったらしく、戸惑ったようだった。そして、さっきまで「(小鹿田でとれた鹿肉の皿を指して)これ、何の肉か分かるか。こっちが馬で、こっちが鹿だ。ば、か」などと大声で冗談を言っていた柳瀬朝夫さんが、うつむき、唇をかんでいた。「残念だ」とか、「寂しい」なんて言葉では表せない、いろんな思いが交錯していたのだと思う。

団子汁を食べながらお別れ前のひと時を過ごすフォーラムメンバー
会の締めくくりに皿山の歌を披露する茂木さん

 誰よりも無念なはずの茂木さん自身は、ふっきれたように淡々とお話しされ、そんなわけで最後の火入れのために「秋月」の開店に駈けつけられず申し訳なかった、と詫びられた。そして、記念すべき日に手仕事フォーラムの皆さんにお越しいただいた、と感謝された。その後は、和やかに鹿肉をつつき、団子汁をいただき、倉敷ガラスの小谷真三さんと記念撮影をしたりしたのだが、茂木さんの衝撃的な宣言がどこかのしかかったような、どうにも名残惜しい散会となった。

小谷さん(右)と記念撮影する茂木さん
(左から)茂木さん、小谷さん、久野さん、朝夫さん

 まだまだ意欲も、力も、周囲の期待もある中で引退しなければならないのは、部外者の私たちから見ると惜しく、理不尽な感じもする。が、柳宗悦に見出された小鹿田のよさ、ひいては民藝の精神をずっと先頭に立って守ろうとしてきた茂木さんが、最後までその姿勢を貫いた結果の引き際なのだろう。二人といない陶工としての天性のセンス、図抜けた技術は「kuno×kunoの手仕事良品」に詳しい。久野さんは「本人はそんな(自分こそが民藝を守ってきたという)意識はないんだけどね」と仰るが、茂木さんとすれば、間違いなく確信的に守ってこられたのだと思う。そうでなければ、冒頭私が「奇跡だ」と書いた風景は、とっくに違ったものになっていたはずだからだ。

茂木さんの最後の品物が焼かれている窯

大阪に帰り、茂木さんが話したり書かれたりしたものを探していると、20年前、小鹿田焼の組合長だった当時の茂木さんがこんなことを語っていた。「ここは美術品を作るところではない。暮らしの道具を作るところなのです。茶器などはできるだけ作らない。まして、作家や芸術家というような者は出さない。我々は陶工なのです」(1991年7月29日付朝日新聞西部本社版)
知られざる一人の偉大な陶工の、引退宣言。期せずしてその場に居合わせたことも何かの巡り合わせだろう。切ないけれど、ご本人の言葉を聞くことができて、行ってよかった、と思う。心からお疲れ様でした、の気持ちと、「一つの時代が終わってしまった」という感慨だけで終わらせないことが、縁あってあの日皿山に集った私たちの役目なのだと思っている。

 

手仕事フォーラム 大部優美