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手仕事調査:山陰・山陽地方

岩美町延興寺窯を訪ねて

岩美町延興寺窯を訪ねて

2005年2月20日
訪問地:鳥取県岩美町延興寺

<鳥取県岩美町延興寺>

 

鳥取県岩美町と言えば、海にまつわるものが思い浮かぶ。山陰の松島と呼ばれる美しい海岸線。夏は海水浴場に、冬はカニツアーなどで関西などからも多くの観光客が訪れる。が、忘れてはならないのが、岩美町は手仕事をする文化が息づいている町でもあるということ。鳥取市の中心部から車で30分。海ではなく山に向かってさらに走らせると延興寺地区に到着。それまでの間家々が絶えることはないものの、目に飛び込んでくる緑の割合が確実に多くなる。目を高い位置にやると、延興寺窯が見えた。

 

 

<山下清志さんのこと>

 

あるじの山下清志さんは、岩美町の生まれ。 一旦は京都に大学・就職するも当時一足先に窯の世界へ飛び込んでいた兄の碩夫さん、そして兄の師匠、生田和孝さん(鳥取県倉吉市出身)との出会いがこの世界に入るきっかけとなった。山下さんは、生田さんから技術だけでなく生き方や考え方など色んなことを教わったという。結局、何かに導かれるように陶芸の世界に飛び込んだ。その後、岩美町に帰り、兄とともに浦富窯を開く。浦富窯から独立して、ここに延興寺窯を築いたのは26年前の昭和54年。ひたすらに、湯飲み、汁わん、コーヒーカップ、花器など生活の中で使ってもらえる作品づくりに打ち込んだ。もの作りをする中で思うのは、年々吉田障也さんの理念が身をもって確実なものになっていくということ。用の美、日常の中で必要とされ生まれてきたものは、使い勝手がよく、無駄がなく、美しい。

 

 

 

<山下裕代さんのこと>

そんな山下さんに一緒に延興寺窯を支える仲間ができた。末娘の裕代さんだ。小さい頃から料理や工作など手を使ってものを作るのが大好きだった裕代さん。高校卒業と同時に、かねてから交流のあった沖縄県読谷村の北窯へ弟子入りし、およそ3年間、雑用から土作り、始めたら3日間寝ずに行われる窯焼きなどの修行に耐え、腕を磨いてきた。 沖縄での修行は、裕代さんの人生観を変えた。自分は決してひとりで生きているわけではない。そして、もの作りを「仕事」としてとらえるようになったと言う。去年の秋に延興寺窯に帰ってからは、もちろん父親の清さんが師匠。一から延興寺焼のスタイルを学んでいる。

 

<親子で作りあげるもの>

裕代さんが窯焼きをしたいと言い出したとき、父の清志さんは、驚いたと同時にこの上なく喜んだ。誰か跡を継いでほしいと3人の娘に勧めたことは一度もなかったが、父の仕事を一番近くで見ていた家族に認められたのが何よりもうれしかったのだ。とは言え、一筋縄で行かないことは清志さんが一番よく知っている。娘を修行に出し、戻ってきた今、もう一度気を引き締めて仕事に向おう…そう思っている。裕代さんにとって父・清志さんはまだまだ大きな存在。一人の職人としてお互いに議論できる関係になりたいと思っている。もの静かでたんたんと丁寧に仕事をする二人はやはり親子、よく似ている。

 

<延興寺焼の特徴は黒と白>

「黒」は、地元で採れる黒石を釉薬として使う。1600万年も前、この土地が海の底にあった時からあったであろうマンガンを多く含んだ石は、「黒」と一言では片づけられない、なんとも豊かな色合いを醸し出す。「白」は、釉薬に籾がらの灰を使う。灰というだけあって釉薬そのものの色は黒っぽい色をしている。が、焼くと温かみのある「白」に変わるから不思議。 もちろん原料の土も山すそで採れる地元のものを使っている。延興寺窯と名乗るからには、 なるべく地元のものを使わなくてはと言う山下さん。だから違和感のない、しっくりとくる器が出来るのだと納得させられる。器は料理などを盛りつけるもの。器が勝手に自己主張をしたり、ひとり歩きしたりしたのでは意味がない。山下さん親子は常にそのことを念頭において日々丁寧に器を作っている。


手仕事フォーラム  岡崎典子