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手仕事調査:東北地方

東北・南会津檜枝岐の曲物細工 星寛さんの仕事復帰

東北・南会津檜枝岐の曲物細工 星寛さんの仕事復帰

2011年9月9日
訪問地:福島県南会津

 福島県南会津山奥、尾瀬沼へ至る檜枝岐村を初めて訪れたのはこの仕事に入ってまもなくの頃だから、38年前だったと記憶している。谷川を挟んで集落が縦列に連なり、尾瀬方面登山者相手の民宿や素朴な土産雑貨屋がぽつぽつとあったていどの簡素な街道筋だった。路傍の墓石や地蔵がまとまって各所にあり、セイロ組みという形式の板壁小屋、桧材を多く用いた骨太の民家がこの村の存在感を引き立たせ、美しさがまだ残っている山あいだった。当時は「シシミノ」と呼ぶ雨蓑、栃の樹を剥りぬく「ハンゾウ」と呼ばれる木鉢、檜の曲物。水辺の草・イワシバで編む背負いカゴ「スカリ」、山ブドウ蔓皮で編む山刀入・砥石入れやスカリ。モウダ皮(シナの木)腰カゴなど、山の生活道具を作る人々が何人もいた特異な集落だった。また地域性豊かな芸能もあって文化の薫り高い村落でもあった。何度か訪ねるうちに、それぞれの「つくり」の上手なつくり手を探しあて、一年に一回ていど立ち寄ることになっていく。日本民芸協会の平成手仕事調査では、民藝館に集う若者逹を率いて村落をくまなく歩いたものだ。20年ほど前のその頃、ハンゾウづくりが数名、木杓子は二名、曲物三名、樹皮細工はもういなかった。それからも数年に一度ていどは立ち寄ってはいたが、ハンゾウの材料となる栃の木が森林保護の条令によって伐れなくなり、やがて消えてしまうと予想されたことや曲物細工は名人・星寛さんに注文すれば送ってくれるので、東北からの帰途にはついつい寄らずになったままになっていった。

 6年前だったか、星さんの奥さんからの電話で、ご主人が交通事故で瀕死の重傷となり、仕事はもうできないとのことであの三角メッツや小判型メッツ、若水桶が消えてしまうのかと落胆したものだった。一昨年新潟長岡の帰りがけ、村に立ち寄り、星さん宅を訪れると、なんと居られ、仕事はまだまだだが、リハビリがてら手は動かしている様子。以前作ったオボケが、まだ残っていて譲っていただけた。それからも時折連絡してはいたが、材料の手配と在庫分の材料に良材がないとのことが続き、またあきらめることになってしまっていた。昨年はさらに身体の具合も悪く、すっかり廃めてしまうのだろうと。ところがさる7月に東北の手仕事を収集の帰途、顔を見たさに寄ってみると仕事をしていたのでびっくり。春に昭和村の苧織の方々からオモケの注文が5個入り、身体を動かしがてらとりくんだらなんとなく出来たと。さっそくいくつか頼んだところ、材料の状態はそのままだから期待しないで、と言いつつもやる気ありだった。

 母屋の裏にある小さな作業場に入ると、星さんは段ボールの中から丸メッツを4個ほど取り出し、今これしかねぇんだよと。どうしても譲ってほしいので強引に頼んだところ仕入れることができた。また、オボケの残りも2つほどあり、それも「東北の手仕事展」用にといただけた。

 目を天井に向けると、ありゃあの三角メッツがあり、これはというと、実は頼まれていて送らないままのものだからこれはこらえてくれてといわれてしまった。さらに三角メッツの本体が3つほどビニール袋に入ってぶら下がっており、それはと聞くと、カビがつかないようにということと、最も難しい三角メッツの蓋となる重ね箱にいい材料が無く、出来ないでいるままだからだというのであった。

作りおきの本体

 何とかいい材料はないのかとただしたが、上手く見つかればなあといわれ、もし出来あがれば送ってあげるからという約束で、年内にはあと一度は来るかなと告げて帰ることにしたのだった。それからわずか半月後、この完成した三角メッツが届きお礼の電話をしたところ、何とかいい材料をみつけてたった4個しか出来なかったが送ったんだよとの話だった。この4つの貴重な三角メッツのうち2つは新宿ビームスと神戸ビームスに展示販売し、あとの1つは「もやい工芸」逸品の会に、残りの1つは私の見本として今まで取り置いてなかったので、私の手元に。

 やはり東北の人々は粘り強くそして素朴な気質と相まって、手仕事の伝統がまだまだ続けられて行く要素があるのだと、つくづくと感心したのだった。

 

手仕事フォーラム 久野恵一