手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

ホーム>手仕事調査>東海・近畿地方>皆地笠(みなちがさ)

手仕事調査:東海・近畿地方

皆地笠(みなちがさ)

皆地笠(みなちがさ)

2009年12月7日
訪問地:和歌山県田辺市本宮町

 5年前に世界遺産になった熊野古道は、紀伊山地の霊場――高野山、熊野三山、伊勢神宮を結ぶ修験道の総称である。このうち、メインルートともいえるのが、和歌山県南部の田辺市から熊野本宮大社〜熊野那智大社〜熊野速玉大社を結ぶ道で、「中辺路(なかへち)」という。ところどころに厳かな雰囲気を醸し出す石畳が残っており、またある部分は、農道や集落の中を通る現代の道と共通する。が、その道のりのほとんどは、いくつもの峠を越え、谷を越えながら行く、険しい山道だ。

 

都会の薄汚れた空気と、息詰まる仕事のストレスから離れるべく、夫が熊野古道を歩きに行く、という。それなら、と、以前から気にかかっていた和歌山の皆地笠の手仕事調査をすることにした。皆地へは、大阪市内から車で5時間近くかかり、そういう機会でもなければ、なかなか行くことができない場所だ。ネットの地図で目的地を探すと、わき道からさらに外れた山の中を指し示した。ちゃんとたどり着けるだろうか。

山に抱えられるようにして立つ芝さんの家。
お庭にはピンクや黄の秋の花

朝一番に夫をスタート地点まで送り、夕方、本宮大社で出迎えることにして、中辺路に並行する国道311号を車で先回りする。霧雨煙る山中の一本道を走り、旧中辺路町を抜け旧本宮町に入って間もなく、本宮大社までもう一息というところに、皆地集落があった。その辺から神様か仙人かがひょいと降りてきそうな山々に抱きかかえられるように、簡易郵便局と50軒ほどの民家がある。地図を頼りに、集落の突き当り近くまで進むと、「皆地笠 芝安雄」の文字と矢印が手書きされた看板が見つかった。無事、到着。

皆地笠は、皆地に隠れ住んだ平家の公達が編み始めたと伝えられる檜の笠で、熊野詣での人々に愛用され、産地として継がれてきた。しかし、つくり手は、芝さんただ一人が残るのみで、訪ねてみるまで、続けておられるかどうかも定かでなかった。笠のほかに、山仕事に使われた「イドコ」という腰籠が特に秀逸だと、前に久野恵一さんに聞いていた。

 軒先に、笠作りの職人を描いた子どもの版画が並び、そこが作業場だとすぐに分かった。中から声がすることに安堵して、呼びかけたが、応えがない。何度も大声で呼びかけると、ようやく出て来られた。突然の訪問をお詫びして「笠を見せていただきたいのです」と伝えると、快く座敷に招き入れてくださった。

大正10年生まれ、88歳の芝安雄さんは、91歳の奥さんとともに作業にかかったところだった。お二人とも耳が遠いそうで、おのずと大声での会話になるが、矍鑠としていて、笠のこと、そのほかの籠のこと、褒章を受けた思い出、訪ねてきた芸能人の話などをはつらつと語ってくださった。

芝安雄さん(右)と奥さん 作業場には、笠が積み上げられ、
様々なかたちの籠が並べられているほか、
褒章や賞状がいくつも掲げられている

 座敷に重ねられていた笠は、檜の肌色、木目が美しく、編み目は幾何学模様のように寸分の違いもない。当たり前のようにつくられているが、材料が吟味されているからこその、几帳面な仕事だ。補強用に用いられたてっぺんの桜皮と3本の竹が、アクセントにもなっている。造形の美しさもさることながら、軽く、油分を含むため水にも強いことから、雨の日にも使うことができ、農業や釣りにも重宝されたという。

薄く整えた檜の皮を紐状に編んだもの。
笠の内側、頭を載せる台に使われる
行者笠(ぎょうじゃがさ)。
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち、吉野山〜熊野三山)
の修験者が用いた
笠の内側の頭を載せる部分 つくられてから何十年も経たもの。つやのある飴色にかわる

「和歌山で表千家の大会があった時に、千個注文が入ってよ。そらもう、朝から晩までつくったなぁ」という花器など、形の違う小ぶりの籠を見せていただき、ふと、「大きいものもありますか」と尋ねてみた。

「あるよ」と、ビニール袋から出してくださったのが、この籠だった。

農作業用の腰籠「イドコ」。もうつくることができないという

幅4センチほどの縦ヒゴと1センチほどの横ヒゴで編まれた、口の直径25センチほどの腰籠。口は、編みあげられた縦ヒゴを外側に折りたたみ、横ヒゴとカズラで止められている。四角い底の四隅には、桜の皮が入れられている。これが、久野さんが仰っていたものだろうか。昔からつくられてきた形だといい、腰に下げて山へ入り、採ったキノコなどを入れて使われていたという。

「これは売り物ではないんですか?」と訊くと、見本としてとってある最後の一つだ、との答え。曰く、材料が揃えられず、もうつくることができない。訪ねて来る人来る人、皆、「このカゴがええなぁ」と言った。もうつくれんようになって、つい先ごろまで二つ残っていたうちの一つを、遠方の眼医者の奥さんが持って帰った……。本当にひとつしか残っていないようだ。「どうしても、無理なんですか?」としつこく確かめると、「つくってほしいという人はあるけど、10万円くれると言われても、もう無理や」。

ただ一人残った笠職人・芝さんに後継者はいない。「みんな『(伝統が絶えるのは)もったいない』と言ってくださるけど、ね」と、寂しそうに言った。

皆地笠の先っぽの部分を手に語る芝さん

小一時間、あれこれお話しする中で、芝さんがパッと表情を輝かせた瞬間があった。私が「竹やほかの材料でつくられたカゴは見たことがあるけど、檜のカゴをこんなに拝見したのは初めてです」と言った時のこと。「竹やなんかと違って、檜は年月が経つと飴色に光ってくるんよ」と語気を強めた姿に、仕事に対する芝さんの誇りを感じた。

細々とながら元気に仕事を続けられる芝さん夫妻にお会いでき、嬉しかった半面、私たちの財産とも言うべき貴重な手仕事がまた一つ、人知れず消えてゆくことに、途方もない無力感を感じた手仕事調査だった。

(大部優美)