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住まいと暮らし

種蔵集落の板倉

種蔵集落の板倉

2013年6月5日
語り手:吉田芳人(手仕事フォーラム会員)

 手仕事調査で各地の優れた手仕事の生産の場を訪ねるとき、地域の自然と生産に関わってきた手仕事の歴史が豊かに連鎖している地域には美しい手仕事が多く残っていることを痛感させられます。また、現代的な生活を行いながらも、先人から受け継いだ生産に従事し里山の景観を守り育むことにより地域の魅力が増幅されている場所があります。

風景1 風景2

斜面に建つ板倉群

 富山から飛騨古川方向に国道360号線を1時間余り走ると、旧宮川村種蔵集落があります。周囲を山に囲まれた中腹の平坦地に立地する集落です。歴史も古く宝暦2(1752)年の古文書に奥州棚倉よりの移住者により開拓され、村の名に出身地の「棚倉」をそのまま使っていました。江戸時代、天災・飢餓に見舞われた時、他村へ蓄えていた作物の種を分け与えたことにより、棚倉を種蔵と呼ぶようになったと伝えられています。集落内には石積の棚田と板倉、小屋裏を養蚕に使っていた木造3階建ての民家が点在する美しい山村風景が残されています。資料によるとこの地域では百姓でありながら米を自給できる家も少なく山腹を切り開いての水の確保も難しい状況でした。この状況から抜け出したい思いで、集落住民が昭和15年から昭和27年頃まで、戦争を挟んで12〜13年の時間をかけて用水と棚田が築かれ現在に至っています。

石積の棚田

 旧宮川村の棚田と板倉の景観保全への取り組みは2001年に環境省の「かおり風景100選」に選定され、景観保全の意識に拍車がかかり2006年に「種蔵を守り育む会」が結成されました。かつて種蔵には23戸の家があり、現在は13戸しかないのに板倉が20棟、土蔵1棟が残っています。他の地域に移住する場合でも家は処分しても倉は残すと言います。先祖代々暮らしを支えた倉を大切に思っている証と言えます。

木造3階建ての民家

 板倉は食用としての収穫物と種を保存する場所で、ほとんどが母屋から離れた山の斜面に建てられています。傾斜地を利用して建てているため、地形の段差を利用し内部は3層になっている倉もあります。1階には穀物や農具、2階には家財道具が収納されています。これは、火災時に財産を守ることと、種の保存のため水はけがよく風通しの良い高台が適していると共に田畑の近くにあると農作業の利便性に富んでいるからです。石積棚田と散在する板倉が作る風景は四季に応じた美しさを見せてくれます。

右側は落し板倉、左側は貫板倉

 板倉の造りは柱を建てて、その間に厚板を落し込んだ落し板倉と2尺間隔で建てた柱に貫を通し内に板をはめ込んだ貫板倉があります。区別ははめ込まれている板の木目がヨコかタテかで区別がつきます。屋根は元々、栗のへぎ板を並べ、石で押える石置き屋根でしたが現在は棟頂部に三角の雪割り棟を設けた鉄板葺きとなっています。中に収納される穀物や家財道具を守るため、軒の出は1.2m程度出ており、雪の荷重にも耐えることが出来るように、屋根垂木、棟木、桁に太い材料を使い外観からも堅牢かつ、素朴な印象を受けます。このような繁柱を使った倉は雪の荷重や収納物の重さは柱で受け、風や地震などの横方向の力には板が踏ん張って支えるという構造的にも明快な仕組みを持ち、柱や壁を受ける土台もひと回り大きい材料が使われ、置石の上に立つ倉はまさしく地についた建物と言えます。

屋根に雪割り棟を持つ板倉

 柱や梁、板材は強くて腐りにくいクリ材が多く使われ、柱と貫は楔で、隅柱と胴差はほぞ差し鼻栓打ちでしっかり固定され、木の伸縮に合わせて簡単に調整もできるようになっています。釘を使っていないため、簡単な手直しは家人でも対応できるくらいです。倉を長く受け継いでいくための知恵と言えます。

柱・貫間隔が狭く間に板をはめ込み堅牢な造りの外壁

 

柱と胴差は隅柱に鼻栓打ちで固定されています。

 種蔵集落に見られる棚田と板倉の景観は、その場所で生活する人々が共有する意識の表れとして考えなければならないし、風景の魅力は単体としての建築や自然が作るものではなく、一つ一つの建築、一つ一つの景観要素が集まって作り出す空気感に美しさを感じるものと言えます。

板倉の土台回り

 

板倉入口の錠前飾り金具は宝袋で縁起の良い形