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住まいと暮らし

白峰の出作り民家

白峰の出作り民家

2014年4月2日
語り手:吉田芳人(手仕事フォーラム会員)

 石川県白峰の集落は、手取川の谷間の狭い河岸段丘上に発達した集落で、周囲を山々に囲まれ江戸時代より養蚕、林産物の生産が行われ、国内有数の豪雪地でもあるため、かつては12月から4月まで雪の中で冬ごもりする生活が昭和初期まで行われていました。
 石川県白山ろく民俗資料館では、白峰独的な雪と共に生きる伝統的な生活資料が家屋と共に展示され、当時の生活を伺うことが出来ます。山間地の生活は厳しく限られた耕地で集落を維持するために出作り農家が発展しました。出作りとは集落の人口増加により耕作地が不足し、山地に耕地を求め夏期山地に建てた住居に移り住んで5月から11月の農耕期に畑作や養蚕・製炭などに従事し、冬期は村に帰る生活形態を示します。村に住居を持たず1年を通じて山地に住み生活する者を永住出作りと呼びます。出作りの住まいは当初は、簡素で粗末な住まいであったと想像されますが、永住出作りの民家となると本格的な民家の造りとなっています。白山ろく民俗資料館では代表的な出作り民家を2棟見ることが出来ます。
 尾田家(びたけ)は標高820mにあった出作り民家で、江戸時代の終わりごろに建てられ、大部分が家族の手によって親子2代に亘って建てられた建物です。屋根は富山県五箇山で見られる合掌集落の屋根と同じ構造をもち、合掌屋根より原初的な構造をしています。屋根は茅葺き入母屋造りで、茅葺き屋根の片方を地面まで葺きおろしたナバイ小屋になっているのが特徴です。この構造は冬期の積雪に強く、まきあげる風により屋根が吹き飛ばされない工夫で実用を重視した形です。棟部分は茅を厚く重ね、丸太と下地を縫い付け棟茅を押えることにより雨仕舞を良くしています。

尾田家全景、左手妻側に玄関があります

茅葺き屋根を地面まで葺き下ろしたナバイ小屋

雪や風に耐えるように丸太の方杖が板壁から見えます

 入口は建物の妻側に設けられ、土間たたき部分からオイと呼ぶ生活スペース、仏間と奥に行くほど重要な部屋が配され、板張の外壁から、仏間は土壁で囲まれた土蔵造りとし、土塗りの外壁を杉皮で囲い雪の被害を受けないようになっています。現在内部床は板張ですが、かつては土間の上に茅を敷いた土間生活をしていたと考えられます。

土蔵造りの仏間を外部から見る。壁を内側に傾け建物の安定性を高めています

 

内部に見える小屋組みを支える方杖

 

穀物の粉引き小屋でカッタリゴヤと呼ばれます

 2階はアマと呼ぶ蚕を育てる部屋で、妻屋根上部に煙抜きの穴が設けられています。江戸時代から、養蚕は出作り農家にとって大きな収入源で、集落の狭い耕地では桑畑の造成が困難なため、山地に桑畑を造り、雑穀の栽培と並行して養蚕に従事していました。冬期に大量に降る雪のため、桑の木が倒木状態になり、桑摘みが女性、子供でも容易になり、作業効率が良く生産量も向上するため出作り農家の増加に拍車をかけたようです。母屋以外にクラ、コゴヤ、カッタリゴヤが移設され国指定重要有形民俗文化財の指定を受けています。

軒先がきれいに切り揃えられた茅葺きを見上げる

 

土壁は下地の荒縄が見えるくらいの素朴な仕事

 長坂家(ながさかけ)は、明治5年に大工によって建てられた民家で、簡素な建物が多い出作り小屋の中でも、太い柱を用いた大型の民家です。尾田家と同様に茅葺き入母屋造り2階建てで、2階に養蚕作業を行うアマを持ち、外壁全体を土壁で塗り込めた土蔵造りとなっています。アマには蚕棚が置かれ、柱・梁・貫はチョンナで仕上げられ外壁の土壁の付着を良くするための荒縄巻きの横貫が現しとなっています。一般には、土蔵造りは内側から壁を塗り耐久性を高めますが養蚕の部屋としての実用性を重視し、下地が現しとなっています。

長坂家全景、左側にクラとセンジャがあります

 

長坂家への道、緩やかに曲がった路の左側に常畑が見えます

 

妻側を見る。1階の石置き杉皮葺きの屋根の部分にふろや流しなどの水廻りがあります

 

側面のツカセと呼ぶ丸太で建物を支えています

 外壁は腰まで板張と杉皮葺きとなっています。主屋の両側面に風に備え、外側からツカセ(支え棒)と呼ぶ丸太で建物を支えています。山間の環境がいかに厳しいか想像されます。当民俗資料館では、付属屋のクラとセンジャ(便所)を移設すると共に、出作り民家の生活風景を再現するため、焼畑地と別に自給用の作物を作る常畑(キャーチ)を再現しヒエ・アワ・ダイコン・キュウリなどの雑穀を栽培しています。

外壁の土壁と板壁、厳しい冬を乗り越えるため窓は最小限の大きさです

 

チョンナ仕上げの柱

 

荒縄巻きの横貫が現しのアマ、手前に見えるのが蚕棚

 2棟共に奥の仏間の横に玄関とは別に「坊さん」専用の入口と控えの間があります。白峰では11月から3月までにホンコサマ(報恩講)が開かれ、親戚縁者が集まり会食することで家同士の親交を深め、地縁・血縁の絆を深めていました。この真宗文化は、長い冬と深い雪と密接に関わる生活から育まれたと言えます。
出作り農家は、江戸後期から明治中期に最盛期を迎え、白峰の総戸数480戸のうち380戸が出作りを行っていたと記録にあります。戦後出作り農家は養蚕から製炭に転換が図られ、車道の整備と共に製材業や砂防工事に雇用の場が広がり、出作りに従事する者がいなくなり消滅してしまいました。耕地の少ない山村での生活は、山からの恵みを里に還元することで集落が維持されてきました。自然環境が過酷であるほど実用本位の暮らしが営まれ、自然と人との関わりが密接だからこそ白峰独特な民家が造られたと考えられます。