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住まいと暮らし

白峰の商家

白峰の商家

2014年4月23日
語り手:吉田芳人(手仕事フォーラム会員)

 手取川上流の山深い地に、縄文時代中期から人が住んでいた痕跡が発見されています。前面に川、背後に丘陵地が連なる、狭い河岸段丘に集落が作られていたとされます。平安時代より加賀、越前、美濃の三国に跨る白山は、多くの人の信仰を集めていました。それぞれの信仰拠点で白山に対する宗教、経済、政治勢力の争いが絶えず、江戸時代寛文8年(1688)に白山麓18ヶ村が幕府直轄の天領となりました。幕府は代官所を置かず、各村の庄屋のうち資産があり、人望の高いものを大庄屋として村の取締りを任じました。このため、白峰は隣接する藩からの影響を受けずに産業、文化が独自に発展していくことになります。
 経済を支えるのは養蚕業、薪炭業と出作り農家で、養蚕は江戸後期に全国有数の生産量を誇っていました。それらの産業を支える様々な業務が白峰集落に発達しました。冬は雪に閉ざされ、平野部から遠く離れた白峰集落では、経済が地区内で循環し、周辺の集落を合わせた経済の中心として、各地から物資が集まり商業が発展し続けたと考えられます。幹線道路に沿って南北に細長い街区が形成されたが、限られた河岸段丘上の限られた平地に限られていたため、集落が大きく広がるよりも、軒を連ねるように密度の高い町並みとなっていきました。中でも商いを行う豪商の住居は、白山ろく民族資料館と白峰の町中に点在する商家に、白峰の民家の特徴が表れています。
 杉原家は代々、酒造業や養蚕、米、衣類等生活用品を扱う商家です。外観は、黄土色の壁とタテ長窓が特徴です。雪深い土地では建物の強度を保つため、柱を半間から1間間隔にて建てる為、窓もタテ長になります。さらに柱と柱を繋ぐ貫の部分にも窓を設ける家もあり、この地では「マドヒジ」(窓肘)と呼んでいます。窓が柱間隔から解放され、自由な大きさの窓が設けられるようになったのは、屋根の構造変化によります。木造の屋根は小屋梁、束母屋、垂木で構成されています。白峰の民家で使われている構法は折置組みと呼ばれ、柱の上に直接小屋梁を架け、その上に軒桁を渡す方式です。小屋梁と軒桁の接合に渡りアゴと呼ぶ仕口にて接合部の剛性を高めています。これに対して柱の上に軒桁を渡して、蟻落しと呼ぶ桁に掘られた溝に梁を落し込む方式を京呂組みと呼びます。必要な窓開口から柱位置が決まり、窓開口の制限を受けないことが特徴です。建物の強度から柱が多く、梁と柱の接合に優れている折置組みは土蔵や倉で主に使われてきました。現在、多くの和小屋が京呂組を用い、加工の難しさから折置組で小屋を造ることは余りなくなりました。

杉原家全景、正面妻側に玄関があります

 

黄土色の土蔵壁とたて長窓、中央に貫が通っているのがみえます

 

雪の重みで軒先が傷まないように、板で補強されています

 

折置組の小屋組み

 屋根は出作り民家で見られる茅葺きから、上層農家から石置き屋根になっていきました。元々小屋裏は養蚕を行う部屋でしたが、江戸後期から明治期に大規模な養蚕を行うため建物を階層化することによって、1階を居住空間、2・3階を薪炭の収納、物置、養蚕に活用しました。これにより、白峰の民家の大型化が進み独特な景観が形成されました。
 屋根葺き材は、栗のコバ板(繊維に沿って板状に剥いだもの)を用い、河原石を置いて板を押えています。棟の押えには棟ごろと呼ぶ丸太の下側を屋根の勾配に合わせて削ったものを置き、棟木の突付け部分に同様の丸太を乗せ雨仕舞としています。この板葺きを維持するため、毎春雪が融け、天気の良い日にクレ返しと呼ばれる屋根の手入れが行われています。冬の豪雪でズリ落ちた葺き板を並べ直すと共に、割れた葺き板や傷みのひどいものを新しい葺き板に交換することにより何十年も使われています。手を掛けることによって自然の恵みを最大限に生かす習慣が根付いています。さらに、雪おろしやクレ返しために屋根に丸太を半分に割って作ったオオハシゴが通年掛けられています。家柄のシンボルと共に白峰の民家の特徴となっています。

石置き屋根と棟の棟ごろ

 

丸太を半分に割って作ったオオハシゴ

 

白峰行勧寺庫裏のクレ返しの様子

 織田家は元々白峰の街道に面して建っていました。食料や生活用品を扱う小売店でした。 街道に面し、1階を店舗・住宅とし、2階を薪等の物置、3階を養蚕のために使っていました。農家に限らず商家でも貴重な収入源である養蚕を行っていました。妻側に2階への出入り口が設けられ、2,3階で行われていた養蚕作業のため、桑の葉を搬入するほか繭等を搬出するための階段が設けられています。屋根は切妻造り、コバ葺き石置き屋根で1階のミセ前には、持ち送りで支持するコバ葺きの下屋が付くのが特徴です。

織田家妻側、2階出入口への階段

 

薄紅色の土壁とコバ葺きの下屋

 

下屋を支える持ち送りのあるミセ前

 

ミセ小壁内側に揚戸が収納されています

 街道に面し、踏込み土間と板敷きのミセが並び、ミセには左右の柱内側に溝を切り、これに沿って横長の板戸を上げ下げし、解放時は上方の小壁内側に格納する揚戸が備えられています。ミセにはわらじ、ほうき等のワラ製品・木桶、和傘、ミソ甕・醤油樽などが置かれ、当時のミセの様子を伺うことが出来ます。かつて、これらの商品は近隣の山村集落にて農閑期に作られたものです。原料の調達から加工、製品化する工程がこの地域で循環する仕組みとして出来ていたことは、山の資源の豊かさを実感するものであり、手仕事の日常品が生活と結びついていたと考えられます。

1階イロリのある居間

 

商品が並ぶミセの様子

 最後に天領である白山麓18ヶ村の事務を司る大庄屋の山岸家が、白峰の町中にあります。街路に面し石垣と門を配し、宅地内には土蔵、庭などが往時の様子が今も保たれています。建物は土蔵造り切妻3階建ての主屋に、2階建ての仏間棟が連なって建っています。屋根は石置き屋根でしたが近年瓦屋根に葺き替えられています。土蔵造りの土は、近くの畑土を用い専門の左官職の他、近くの住民の協力で壁が仕上げられたといわれています。また、壁の下地となる竹や葦等の木舞の材料となる材料が少ない為、壁下地にナルと呼ぶ雑木の小枝を組み木舞の代わりにしますが、竹木舞より凹凸があるため壁の塗り厚さも厚くなりました。このことで、土蔵壁は生活者にとって寒暖の変化に影響を受けない断熱性・吸放湿性の高い屋内環境が保たれ、山間地の環境に適した構造となりました。

山岸家主屋と石垣・塀重門(へいじもん)

 

米蔵・板蔵、妻側に下地の土壁が見えます

 これらの商家を見ると、地場で手に入る材料を適材適所に用い、生活文化の独自性が保たれてきた歴史を知ることが出来ます。また、生活を知ることは手仕事が生まれる背景を知ることに繋がると思われます。