手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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住まいと暮らし

散居の風景

散居の風景

2016年5月29日
語り手:吉田芳人(手仕事フォーラム会員)

 地球環境問題は今、多くの人々の関心を集め環境の保護や自然との共生が話題になることが多く、環境にやさしい暮らしを模索する動きも活発になっています。持続可能というサスティナブルという言葉が広く知られるようになり、将来にわたって自然に寄り添い、自然と共にある生活を大切にする社会をサスティナブル社会と言うようになりました。

 利便性を高める技術に囲まれた現代の生活の中で、かつての暮らしに戻れる訳でもありませんが、伝えられて来た生活の知恵を学ぶことはできます。環境にいい生活をするだけではなく、自らが健康で快適なライフスタイルを心掛けなければなりません。そのために、地域固有の生活がどのような背景で生まれてきたかを知ることがヒントになります。なぜなら、手仕事の品々もこのような生活の中から生まれたものが多いからです。今回は散居村を中心に考えてみたいと思います。

・屋敷林

 5月になると富山県西部の砺波平野では、田植えの頃になると田に水が張られ水田となります。水田の中に緑の森が点在し水の中に浮かぶ小島のように見えます。日没近くなると水面が夕焼けに照らされ赤く染まります。夏には稲の緑に囲まれ、秋には黄金色の稲穂に、冬には田に積もった雪面の中に屋敷を守るように緑の群生を見ることが出来、富山の原風景と言われます。

 

 豊かな水と肥沃な土地に恵まれ、砺波平野では古くから稲作が盛んでした。それぞれの農家が屋敷の周りの田を耕作して米作りを行ってきたことにあります。田植え後の水の見回りや肥料の散布、刈り取った稲の運搬など効率の良い農作業が出来ました。1年を通じて西風が吹き、春には南からの局地風、冬には富山湾からの季節風などから家を守るために、屋敷の周りに屋敷林をめぐらせました。富山ではカイニョと呼びます。屋敷と田の境に石垣を積み足元を固め、風が吹き付ける西側と南側に防風のためスギ、ケヤキ、カシなどの高木を植え、北側にはスギに雑じってモウソウ、マダケ等の竹やぶが多くあります。夏には適当な風通しがあり、日陰でジメジメしがちな台所尻部分で水を吸って過湿を防ぐ役割をします。家の正面に当たる東側にはカキ、クリ、モモ、イチジクが植えられています。杉の小枝や落ち葉は、炊事の煮炊きやいろりで燃やされて冬の暖房に使われました。また、スギやケヤキは家の建築材料に、タケノコを食用とし、竹材は生垣、籠、ザル等の編組品の材料に利用されました。四季の果樹はおやつや保存食になりました。屋敷林の日陰に生えるフキ、セリ、ミョウガ等の山菜は四季の食卓を彩りました。散居村の農家の人々は、住まいの周りの農地を耕して米や野菜を作って生活の糧とし、日常生活に必要な資材を屋敷林から調達する循環型の自給自足の生活を送っていました。環境面からみた屋敷林は、夏には木々の葉が持つ蒸散作用で周囲の気温を下げる働きをします。冬には冷たい風で住まいの熱が奪われるのを防ぐ効果が大きく地域全体の気温にも影響を与えています。木々の枝や葉は、騒音を吸収し、汚れた大気や塵を取り込む役割を果たしています。この環境は虫、小鳥、小動物が生息する多様性も提供していました。こうして屋敷林は生活と一体となって受け継がれてきました。ただ、屋敷林を取り巻く環境は大きく変化しています。燃料が電気やガスに置き換わり、家屋も防風効果に優れたアルミサッシやトタン等の新しい建築材料が普及し住まいの改修が行われ、屋敷林を建材として使うこともなくなりました。生活用具や農機具もプラスチック等の化学製品や鉄で作られた農機具に代わってしまい、屋敷林の役割が薄らいで、落ち葉の処理や枝打ちなどの手間の大変さから、樹木を伐採する家が増えています。実用性、経済性の物差しで見ると屋敷林の役割は終わったと意識する面はありますが、環境面からの役割は無くなったわけではありません。村落景観の統一、緑の保全、木々に囲まれた良質な住環境は贅沢とも言えます。

 

・灰納屋

 散居村の農家の多くは屋敷林に囲まれた母屋を中心として納屋と土蔵・灰納屋・祠があります。屋敷林と一連の建物群が一体となり散居村の風景を特徴づけています。着目したいのが、屋敷入口に建つ1坪にも満たない位の灰納屋です。用途は日常の囲炉裏の煮炊きの後に出る灰を収納する建物で、防火と農作業の便に配慮し屋敷入口脇に建てることが多く、屋根に瓦を葺き、上部壁は真壁、下部は腰板張りが多く小さいながらも母屋と同じ造りです。妻を正面に上部に片引き込み板戸、下には落し込みの灰出し口が設けられています。生活の中で出る灰はワラビやフキのあく抜きに使ったり、春先雪の上に灰を撒いて消雪材として使ったり、人肥と混ぜて畑の肥料として使われていました。灰納屋も母屋の造りに合わせて変化しています。 初期の灰納屋が見られるのは、旧中嶋家で代々村の肝煎を勤めていた家柄で屋敷は江戸時代後期(1880年代)の寄棟茅葺きの民家です。灰納屋の壁は荒壁と下見板で造られ、四方柱の土台も玉石が用いられている素朴な造りです。床を受ける足固めは地面からの湿気を避ける為1尺程度高い位置に取り付けられた高床式の造りです。

 

 旧金岡家は時代が下がり明治4年に建てられた寄棟茅葺きの屋根廻りに瓦葺きの下屋が設けられています。旧中嶋家・旧金岡家共に、「屋根おろし」といって茅葺きの屋根を取り払い瓦葺きにする以前の民家の特徴を残しています。灰納屋は四隅の柱下にろうそく石を置き、上部壁が貫を通した真壁、下部壁が下見板張となり母屋と同じ造りをしています。
納屋の内部は1室で燃え残りからの発火を防ぐため、内部壁、天井すべて壁で塗り込め防火対策が施されています。軒の出は、小建築でありながら2尺程度屋根を張り出し、深い軒を備え雨の日でも灰の出し入れに支障がないような工夫も見られます。

 

 富山市民俗工芸村の陶芸館は明治27年富山の平野部に建てられた豪農の民家で、「アズマタチ」造民家の典型となる民家です。妻側を東向きにし、切妻造りの妻側は幾重にも重なる梁や束、貫を組んで間を白壁で仕上げています。本々茅葺きであった農家が明治以降に切妻瓦葺きに改修しアズマタチと呼ばれる造りとなりました。母屋は玄関から入った広いワクノウチ造りの広間を中心として、座敷、茶の間、寝間、台所を配置した広間型の間取りです。灰納屋は全体的に骨太な部材を使い、灰入れ口の板戸の貫飾り、破風板下のしゃくり等母屋の造りに負けない位手が込んでいます。納屋であっても、火を敬う気持ちと家の格を示す建物として生活に密接な役割をしていたことが想像されます。毎日出る灰を必要に応じ利用する自給生活の中から生まれた循環型生活を形で表している建築と言えます。近代になり化学肥料を使うようになり、灰納屋は急速に姿を消してしまいました。

 

 環境の変化を考える場合、サスティナブル社会の構築と言う言葉を耳にします。内容には大きく3つのポイントがあります。先ず自然エネルギーを使い、二酸化炭素の排出量を出来るだけ少なくした低炭素社会、次に人を含めた地球上のすべての生き物が自然の恵みを受けながら生きていける自然共生社会、最後に限りある資源を繰り返し使えるように工夫する循環型社会、この要素が組み合わさった社会を意味します。この視点を持ち合理的に地域に受け継がれてきた屋敷林、灰納屋が次々と姿を消してしまうことは地域固有の風景が消滅することに繋がり、環境への警鐘を鳴らしているように思えます。エコロジーの観点からも、私たちの身の回りの変化を注意深く見つめることが必要です。

参考文献 富山写真語-万華鏡        ふるさと開発研究所
     旧中嶋家住宅移築修理工事報告書 砺波市教育委員会
     旧金岡家住宅修理工事報告書   砺波市教育委員会