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住まいと暮らし

橋立の町並み

橋立の町並み

2017年8月16日
語り手:吉田芳人(手仕事フォーラム会員)

 加賀市橋立は、北陸自動車道片山津ICから海岸に向けて車を7分ほど走ると、南北に大聖寺往来と呼ぶ旧街道が日本海に向かい、海岸道と交わる西側の丘陵地に橋立があります。
橋立集落は海からの潮風を避けるように、丘陵地の谷筋に沿って形成されています。以前取材した三国町のように廻船問屋が建ち並ぶ商家と違い、橋立は北前船の船主・船頭・船乗りが住む集落として発達しました。現在も往時の姿を留める家屋が多く残り、街路敷地の形状も大きな変化がなく平成17年(2005)に「伝統的建造物群保存地区」に選定されました。


集落のあるある丘陵地がすぐ海に面し、谷筋に集落が点在している様子がわかる

(町並みの歴史)

 江戸中期までは谷筋に小さな茅葺き農家が建ち並ぶ半農半漁の集落でした。江戸中期を過ぎると、橋立の漁師の中から近江商人に引き立てられ、北前船の船乗りになる物が生まれ、北前船の交易の発展に伴い、独立して北前船の船主になる物が現われた、船主は一族や村人を船頭や船乗りとして雇い、村は廻船業で潤い谷筋に沿った街路に新しい屋敷が次々に建てられるようになった。この時期に橋立独特の切妻造妻入り、瓦葺きの屋根を持つ「北前船主型」の家屋形態が定着し時代と共に発展進化し、洗練された廻船業の集落として変化しました。明治5年(1872)に橋立は大火に遭って集落の6割を焼失したものの、この時期が北前船の最盛期に達していたことと、江戸時代から続く家作に対する制限もなくなっていたことで、船主達は以前に増して豪壮な屋敷を競うように建て始めました。もともと港がない為、港町ではなく元々の農村集落を原型とした農家型の発展形でした。そのため通りに面して建ち並ぶ町屋型とならず、農家集落の景観を色濃く残しています。北前船の交易に頼っていた橋立の船主は、明治末期の海運業・鉄道・通信の普及により、近代化の流れに取り残され斜陽化となります、一部の船主は北洋漁業に乗り出し拠点を北海道に移ってしまいました。昭和の敗戦後、かつての名家が次々と没落し豪壮な屋敷が次々と失われ、屋敷跡地の崩れかかった石垣や階段が残りかつての栄華を偲ぶだけとなりました。


明治3年に建てられた、蔵六園(旧酒谷家の分家)
 

明治11年に建てられた旧北前船主酒谷家本家、現在は北前船の里資料館として見学できる
 

主屋は失われたが、付属屋と石垣・階段が残る西出家跡地

(建物の特徴)

 谷間の起伏に富む地形のためそれぞれの屋敷に高低差があるため、各敷地が石垣で造成され明確な領域性を持って区分されています。この石垣は近隣の深田地区から算出される深田石を下石に用い、その表面に福井産の笏谷石を太い釘で張る工法や柱状の笏谷石を横に寝かして積み上げる工法が多く用いられた。この石垣の上に多くは板塀が建てられました。上部に格子開口を持つ低い縦板張が敷地の道路沿いに、それ以外は外部からの視線を遮る高さの板塀が多く見られます。高台に面する屋敷では海に面する北側に防風のためスダジイ(ブナ科の常緑広葉樹)が植えられています。


柱状の笏谷石を横積みとした石垣、石の上部が面取りしてあり石積に深い表情をつけています
 

石積の額内側を目粗し仕上げとし、縁部分を平仕上げとし釘で止め易くしている
 

深田石を下地積みし、厚さ5cm程度の平石を釘留めしている断面状態が良く解る
最上部は頭押えのため柱状の笏谷石にて固定しています
 

石段の両側に笏谷石を積み上げた石垣と防風のために植えたスダジイが残る久保家跡地

 主屋の外観は切妻造の二階建てで、正面、側面に連続した下屋根を設けます。屋根には赤瓦が葺かれ、笏谷石を加工した石置棟となっています。この赤瓦は北陸で多く見られる黒瓦より古い製法で石州、越前から製法が伝わったと言われています。これは、北前船の交易が茅葺き屋根から瓦屋根に移行するときに技術が先駆けて伝わったことを示しています。外壁は海に近いため潮風から建物を守るため縦板張で壁面を覆い、開口部をほとんど設けない構えとなっています。


天保年間(1830〜1843)築で、当初から赤瓦葺きで建てられた、橋立最古の忠谷家
玄関部分の格子開口を持つ縦板塀が復元されました
 

笏谷石を加工した石置棟、端部が舳先のように反り上がっています

 主屋以外に附属屋として土蔵・納屋を持つ家が多いのが特徴です。特に土蔵は外壁を白漆喰で仕上げた後、養生として縦板を折釘金物で支える掛戸になっており、火災時にすぐ外せる様に工夫されています。納屋は切妻造り一階建てで道路・敷地境界上に建てられ外壁の縦板張は塀と連続した役割を果たしている。この縦板に船板を再利用して使われています。


新しく復元された土蔵外壁の掛戸、雨切りが良いように下から上に板を張り上げます
 

腕木を設け屋根に瓦を乗せた敷地境の縦板塀

 北前船の交易は物資の供給に加え、船による人の交流により多くの情報が船で運ばれたと言えます。陸の街道より早く各地方の技術が他地域に伝えられたと言えます。原料が運ばれ、技術がもたらされれば、地域の食文化、手仕事の技術が地方に馴染んだ形として変化し定着して地域の個性が造られる。文化の伝播役として北前船の果たした役割は大きいと言えます。

参考文献 航空写真 国土地理院
     加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区保存計画
     加賀橋立北前船主集落パンフレット