手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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Kuno×Kunoの手仕事良品

小田中耕一さんの型染

小田中耕一さんの型染

2011年11月29日
岩手県盛岡
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏 / 写真:久野康宏

 この仕事に入って40年、鎌倉佐助に店を移転して25年が経過した2011年11月14日、私自身の地元、鎌倉で手仕事フォーラムの集まりを初めて開くことができた。私には制作者の方々とこれまでのいきさつや今後について語りたいという願いがあり、皆さんを全国からお呼びし、鎌倉手仕事フォーラムにも参加していただいた。この集まりの前日には祝賀会的なセレモニーを催した。せっかくのことだからと倉敷ガラスの小谷真三さんに宙吹きで小さなコップを制作してもらった。この貴重なコップをくるむフキンを小田中耕一(おだなかこういち)さんに制作依頼したものだった。
 手仕事フォーラムが事業も含めてここ数年間で急成長した理由として、私どもの集まりや制作上において極めて協力してくれたつくり手の存在が挙げられる。秋田のあけび蔓カゴの編み手である中川原信一さんのように集まりのたびに参加していただいて実演してくれたり歌ってくれ、結束力を高めてくれる人もいる。そのなくてはならないもう一人の協力者に小田中さんがいる。
 手仕事フォーラムのブログやホームページ、雑誌「暮らしの手帖」「ディスカバージャパン」などで手仕事フォーラムを象徴する挿絵など型染の絵柄をつくってくれているのが小田中さん。手仕事フォーラムには無くてはならない存在だ。
 彼についてはさまざまな表面的な部分をフォーラムメンバーには今まで書いてもらったが、今回は彼の内面について語りたいと思う。

小谷真三さんの吹きガラスのコップと、これを包む小田中さんのフキン

鎌倉手仕事フォーラムの壇上に、全国の優れたつくり手とともに上がる小田中さん

おもしろいギャップ

 手仕事フォーラムは、よい手仕事が集まってくるようにという願いをこめて四つ葉のクローバーを手で持つシンボルマークを小田中さんに描いてもらった。このマークの意匠の簡潔さが彼らしさを示している。単に型染そのものがよいというだけではなく、物を直視して、具体的な絵柄に昇華している。この仕事ぶりから彼が優れたつくり手であることがわかる。
 しかし、おもしろいギャップも小田中さんにはある。このシンボルマークのように、かわいらしく、わかりやすい絵柄を提供できる優れた面がありながら、彼自身が個性を発揮して染色の仕事に取り組んだ作品を見ると、私たちが好きなものがあまり無いのだ。

雨ニモ負ケル、風ニモ負ケル

 小田中さんは岩手県紫波町(しわちょう)の出身。ここは盛岡の郊外で、盛岡には私と非常に親しい及川隆二さんらが経営する「光原社」がある。「光原社」ではさまざまなイベントで小田中さんの型染をずいぶんと活用してきた。

 この店は宮沢賢治とゆかりがあるということで宮沢賢治記念館的な小規模なスペースもある。そこには宮沢賢治について型染で説明する展示がいくつもあり、その中には「風の又三郎」の「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」の有名な言葉の文字を小田中さんが描いて雰囲気を出した、とてもよい制作物がある。しかし、彼は彼は先日の鎌倉手仕事フォーラムの壇上で「この言葉が嫌いだ」と言った。雨にも風にも負けていいと。そんなに頑張らなくてもいいのではないかという態度で仕事に臨んでいると話した。
 通常、制作者はかなり気張っているし、突っ張っている側面もある。ところが小田中さんは素直にそのような気分で仕事をしたくないと仕事の方向性を表す。

鎌倉手仕事フォーラム前日の「もやい工藝40周年」祝賀会で紹介される小田中さん。手前は浜松の染色家、山内武志さん

芹沢C介先生も褒めた文字

 彼は「萬染物処(よろずそめものどころ)」という代々続いてきた老舗染物屋を継いでいる。山村の紫波町にはきれいな川が流れていて、かつてはその美しい川の水で染め物を洗っている。この地は日本酒をつくる杜氏集団のひとつ南部杜氏(なんぶとうじ)発祥の地で、造り酒屋がずいぶん多かったらしい。こうした酒屋さんが多数あり、お祭りの盛んさから法被やのぼりの需要が多かった地域だった。

 そんな地域で彼の家はずっと染め物を手がけてきた。彼は若くして人間国宝であり、染色工芸作家の芹沢C介先生に入門した。その学んでいた時代に芹沢先生は小田中さんの技量を認め、彼の文字を描く感覚が非常に優れているとあちこちで話されていた。芹沢先生に認められるのは大変なこと。

 大先生の門下生はたいていどこでも先生の影響下の仕事を履修するのが当たり前。ところが芹沢先生自身が自分の型染めの絵ではなく文字を褒めたということは大変なことだと思う。なぜなら、芹沢先生の文字はとてもさりげない書き方なのだけれども、柔らかさの中に力強さがある優れた字だと思う。そのような字を書ける超一流の工藝家が褒めたということは、小田中さん自身が持っている内面的なものも認めていたということになる。

BEAMSフェニカでの沖縄やちむん展用の型染

嫌な仕事

 芹沢先生の話ずっと私の頭の中にこびりついていたため、手仕事フォーラムを設立した時、ぜひ小田中さんを仲間に引き入れたかったのだ。彼が長い間培ってきた技術をどうやって導入するかもあったけれど、まずは彼の才能を開かせたいという意識があった。それまでは光原社を主体とした仕事を受け、自分の仕事もしながら、さらに染色作家的な方向として芹沢門下生の流れの中で創作活動もおこなってきた。

 そのため国画会(日本最大級の公募展)への出品物も私は目にしてきた。私はこの国画会の出品には不快なものを感じるものが多く、作品向きの仕事をする人は嫌だなと感じた。実際、国画会の染色部門に出品する人はそういう方向に仕事をする人が多いとみる。何か無理に自分を出そうとする。何か出すことで自分自身が世界の中で特殊なもののように訴える嫌なムードがあるのだ。

 そういった物が中心になっているから焼き物も、木工についてもふだん使いの物をつくれる人が無理して自分を出そうとするから私どもとは違和感を覚えるのだ。

 この会の名称に惑わされて、民藝関係者が今でも出品することは非常に歯がゆい。日本民藝館展くらいは同じ公募展でもそうした物は阻止したかった。誰もが平素無事に使える物で、なおかつそれが暮らしを豊かにしていったり、豊かな感性を味わっていける物という日本民藝館展の理念は不変なもので、柳宗悦による創設以来の流れなので守らないといけないと思ってきた。
 ところが数年前から私の力不足というか、人望がなかったのかもしれないけれど、国画会に出品されるような系統の私にとって嫌な物の見方しかできないような方々が審査員に推薦されたため、これでは日本民藝館展は絶望的な気分となってしまった。

 しかし、いずれは変わるとは思うのだけれど。日本民藝館新作展こそ日本の本質的な手仕事が発表される場だからである。日本民藝館の健全な伝統を守ってもらいたいと私は心から願うばかりだ。日本民藝館新作展こそ日本の本質的な手仕事が発表される場だからである。

型染をする小田中さん

これはもやい工藝の企画展示用のデザイン

お任せしない

 話はそれたが、そんなわけで、国画会に小田中さんが出品しようとすることには私はよくは思わない。その出品物を見ると、無理に個性を出そうとしている部分があって、彼の持っている本質をその中に感じられないのだ。そういう視点を持ちながらも、彼自身が持っている良さというものを見せたいし、それを手仕事フォーラムの方向に位置づけていきたい。そんな想いがあって、小田中さんには仲間に加わってもらい、あらゆるものに関わっていこうと思ったのだ。

 それで最初はどんなものを頼もうかなと考えた。その矢先に、手仕事フォーラムのメンバーで隠岐の島に移住した田中浩司君が隠岐の島で塩づくり販売の営業で相談に来た。その際にパッケージの話になって、手仕事フォーラムかもやい工藝でオリジナルのパッケージをつくって販売させてもらえないだろうかと私は尋ねると了承してくれた。

 それで、このパッケージのデザインをしてもらおうと小田中さんに連絡した。ところが小田中さんは「塩の販売のため」と伝えるだけではデザインできない。彼自身のイメージに委ねると、おそらく堅苦しい国画会に出すようなものになる。そこでひとつの提案をした。隠岐の島は海に囲まれているから私の大好きな文様「青海波(せいがいは)」を取り入れてもらいたい。それから塩は硬いものだけれど、それが柔らかく見えるものを考えてほしい。それから隠岐の島の海士町をレタリングにして、すがすがしい海らしいものにしてほしいと要望を伝えて、あとは委ねた。すると、物の見事な素晴らしいデザインのパッケージが出来上がってきた。
 ちょうど東京駅の丸ビル地下に置いてもらったら、その意匠が評判になり雑誌にも紹介された。このことがきっかけとなって、いろいろなものを展開し始めたのだった。
 おもしろいのは彼独自にまかせるのではなくて、具体的な案を出しつつ依頼すると結果がとてもうまくいったこと。やはり彼は職人なのだ。独自に作家的な方向を持つのではなくて、さまざまな意見を聞きながら、それをかみ砕いてつくっていくのが彼の才能を活かせる仕事の進め方なのだ。
 雨にも負けてもいい、風にも流れていこうという仕事の方向が優れているのである。

隠岐の島でつくられる「海士ノ塩」。そのパッケージデザインを小田中さんに委ねた。
半円形を三重に重ね、波のように反復させた青海波の文様が描かれている

年賀状をデザイン

 私が彼と知り合ったのは30年ほど前になる。盛岡光原社に招かれて九州民窯展を催したことがあった。その時に光原社の経営者のひとり、及川隆二さんがポスターを誰かに発注したいということになった。この時、仙台と盛岡それぞれの光原社で催したのだが、仙台では柚木沙弥郎さんにポスターを依頼した。盛岡では小田中さんが力強い文字を中心としたポスターをデザインしてくれた。催しが始まると、私は多くの制作者を盛岡まで連れて行き、小田中さんも出てきてくれて初対面を果たした。おとなしい人というのが第一印象だった。そこから付き合いが始まりここ7〜8年前から一気に煮詰まってきた。

 ある時からもやい工藝の年賀状のデザインを小田中さんにお願いしようと決めた。20年くらい前のことだろうか。この年賀状のデザインに関してもまったく彼に委ねるのではなくて、こんな感じでつくってくれないかと私が発案して、彼が型染めする。このようなつきあいが細々ながらも20年間あったので現在の流れになったといえる。いきなり小田中さんを登用したのではない。小田中さんの仕事のよさを当初から感じていたからである。

  彼が最初から現在の手仕事フォーラムと関わるような仕事をしたいと言ってきたのではなくて、小田中さんの仕事ぶりに20数年間に渡って私たちが少しずつ関わってきたということ。その延長線上で小田中さんも私たちがやっている仕事を見ていたということ。

 こうして互いにキャッチボールをしてきたことが今回の仕事に結びついてきたのかなと思う。 この流れはとても大事にしたいし、小田中さんの柔らかな流れというものを尊重しながら、これからもいろいろな仕事をしていきたいと思う。とくに手仕事フォーラムのひとつの事業としてカレンダーづくりは今後も推進していきたい。

 きれいな型染が12枚の用紙に描かれるこのカレンダーの良さは広く伝えていきたいし、小田中さんにもカレンダーづくりを通じてさまざまな提案をしながら手仕事フォーラム、もやい工藝の両方とも彼に制作物をつくってもらおうと思う。

小田中さんが制作した九州民陶展ポスター

柚木さんが制作したポスター

もやい工藝の年賀状は私の提案するデザインをもとに、小田中さんが型染している

これは小田中さんからの年賀状。右端の虎の絵柄には彼らしい柔らかさがにじみ出ていると思う

2011手仕事フォーラムカレンダー

小田中さんに制作してもらった、手仕事フォーラム・オリジナルの卓上カレンダー。
きれいな型染が12枚の用紙に描かれるこのカレンダーの良さを広く伝えたい

優れた職人

 小田中さんはひとりの工藝家というよりは、優れた染色の職人だと小田中さんをとらえた方がいいと思う。その優れた職人の大きな原動力は文字である。それから民藝の良さを彼は体の中に十分に取り込むことができた。それから大事なことは芹沢先生のもとで学んだことが、仕事の姿勢、方向性を会得することにつながり、また、家業の伝統としての立脚点を持った。そして私たちとの付き合いの中で民藝の良さというものを感覚的に取り入れることができた。
 彼の素直な性格と東北人の粘り強い頑固な気質がまだまだこれから染色の世界の中で伸びていく地位を築けるのではと期待しているし、そういうふうになれるように私たちも一生懸命、彼とともに歩んでいきたいなと願う。

雑誌「ディスカバージャパン」の手仕事特集記事用に依頼したもの