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Kuno×Kunoの手仕事良品

横田 安さんの磨き土器

横田 安さんの磨き土器

2012年8月30日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏 / 写真:久野康宏

北関東の焼き物

 関東の焼き物の地域は栃木県の益子と、益子に隣接する茨城県笠間がよく知られている。ほかにも明治時代までは各地に窯元があったのだろうが、大産地となったのはこの2ヵ所である。益子は濱田庄司先生が窯を築いたことにより現代民窯として生き延び、笠間は益子に影響されて昭和40年くらいから陶芸家を目指す若い人たちが移住して、陶芸活動をする地域になった。益子は昔ながらのものを受け継ぎつつ、現代の安価な日常雑器をつくる窯も多いし、多種多様だ。笠間は新進気鋭の作家、あるいは高齢となった作家、意欲的な陶芸家達が町の各所に窯を設けて、自由気ままに闊達な仕事をしている。
 かつて、この二つの日用品づくりの焼き物産地だけでは、関東の広範な農業地域で用いられる容器の需要をまかないきれなかった。関東には関東ローム層という独特の土質で、この土は焼き物には向いていない。そのために焼き物の産地が少なかったともいえる。しかし、高温度焼成ではできないが、低温度ならば焼ける土が採れる場所が関東にはいくつも存在。そのひとつに筑波山麓の真壁で、細々と続く土器づくりの窯がある。

土器に惹かれる

 この窯の存在を知ったのは、この仕事に入って間もなくの頃だった。民藝の同志たちの家を訪ねると、ベンガラ色や黒色の磨かれた大きな火鉢や焼き物の椅子が置かれていた。焼き物の椅子は中国では「トン」と呼ぶ物だが、それらは、かたちも昔ながらのかたちというよりも新作風。手作業でかたちをならしていて、とても風情がある土器だった。聞けば、それは栃木県の曲島(まがのしま)という窯でつくられていたが、この窯は現在、無いという話であった。
 こうした物を見聞して土器の火鉢に惹かれるようになった。磁器の火鉢だと、熱の伝導率が高くて手が当たると熱いが、土器の火鉢ならば熱の伝導率が低いため、表面が熱くならない。また、どっしりとしたかたちで関東地方の住居の部屋に置くと、非常にマッチする感じがする。

近藤京嗣さんの調査

 平成になってから、日本民藝協会による手仕事の調査が始まり、平成5年には「手仕事の日本展」を催すことになった。そのための調査で私を中心に委員のメンバーが全国を回った。委員のなかには、近藤京嗣(きょうじ)さんという方がおられた。水尾比呂志先生と同年代で、柳宗悦先生が病床に伏せていた頃の学生時代から日本民藝館へ頻繁に出入りしていた。お茶の世界でも高い位の先生になった方で、民藝協会の茶人とも呼ばれた。近藤さんは関東から東北の窯場をずいぶんと回られた。たとえば会津本郷焼にはかなり関わられて新作展開に功績を挙げた。また、丹波へも頻繁に足を運ばれ、奥田康博さんが去った後、民窯の窯元に深く入り込んで、現代的な物へと展開されたことも聞いている。

 近藤さんが得意としたのは北関東周辺と南東北。この地域を調査して大きな成果をあげてきた。そして、茨城県真壁にある源法寺(げんぽうじ)の磨き土器を調査結果として提出された。曲島の土器とどう違うのか尋ねると、土も似たような物で、製法も同じだという。曲島はこの仕事を辞めたけれど、源法寺は昔からこういう物をつくっているということで、茶人向きの花立てや香炉などを展示用にと持って来た。これは日常生活には少し違和感のある物だったが、大先輩ゆえ、メンバーは皆、大目に見て手仕事日本展の展示物に入れ、茨城県から出て来た焼き物として紹介した。

源法寺の窯へ

 近藤さんがその後、脳梗塞で倒れて、動けなくなったという話を聞いたとき、彼が調査した茨城県の磨き土器のその後を知りたいし、明らかにしたいと思った。別に仕入れをしようという考えではなく、実際に物をみたくて源法寺を訪ねてみたのだった。
 源法寺の薪窯「横田製陶所」は裕福な農村地帯の集落の一角に敷地があって、たったひとりの初老の人、横田 安(やす)さんが黙々とつくっていた。茨城弁を丸出しに、こちらが話す前に自身で近藤さんとのこと、民藝との関わり、どこに物を出したかを口にした。
 最近では近藤さんはなかなか来ず、電話で注文指示したり、いろいろな図面や見本の物が送られてきて、同じ物をつくってくれと頼まれたという。その見本はすべて曲島でつくられた物だったのだが、それを真似てつくっても、たいした量は無いし、自分としては近藤さんからの仕事で食べているわけではないので、ぜひともあなたにお願いしたいということから、付き合いが始まった。10年ほど前のことである。
 その後、改めて窯を訪ねると、近藤さんがお願いしたと思われる筒の花立てがあったり、香炉があったり、いかにもお茶人が好むような小物が転がっているのである。それらは商品にできない欠陥品。要するに歩留まりがとても悪いのだ。
 この窯の敷地は元々、田んぼだったという。田んぼの底土を掘ると、陶土になるのだと横田さん。備前焼と同じだとも。素焼きはだいたい800℃くらいで焼成するため、この土を使えるのだと話す。元来、手がけていたのは周辺の農家が使う水鉢や肥溜めだったそうだ。
 土器なので、どうしても水が漏れるのでは?と質問すると、使っていくうちに水漏れは止まるものだという。また、このあたりの冬場は寒く、鉢を満たした水は凍ってしまう。すると、高温度で焼成した焼き物は割れてしまうのだが、低温度で焼く土器は割れない。それで、筑波山麓一帯の農家には、重宝がられ、ほとんどの農家に物を供給してきたという。

 昔は、自分の所だけでなく、源法寺に何軒も窯があったが、昭和30年代に地方にまで生活改善がすっかり行き渡ったために物が必要とされず、ここ以外の窯は無くなった。しかし、自分は他にすることが無かったから、田んぼも持ちながら細々と仕事をしてきたのだという。

源法寺の横田製陶所。敷地は田んぼだった場所のため、雨の後の地面はぬかるんでしまう

張った水が凍っても割れない土器の水甕

自らのアイデアで製品化した、焼き鳥を炭で焼くための火鉢を説明する横田さん

頭のよい人

 横田さんは焼物屋には珍しくおしゃべりで、非常に頭がよい人だ。目先がよく利くのだ。今の時代は何が売れていたり、どんな物をつくったらよいか、そういう外向的なことにとても目が行き届いて、時代のニーズに対応する物を試作したりする。ところが現実的には、そういった物も売れない時代がずっと続いているものだから、60歳を越えてから、現在は趣味的な部分で焼き物の仕事をしている。それが可能なだけの所得が他にあるのだろう。しかし、遊びとはいえ、昔からの職人ゆえに四六時中、仕事をしているのが好きだということもあって、さまざまな物をつくっているのだ。
 こうして横田さんと関わるようになって、私はやはり火鉢をつくってもらいたかったので、まずお願いした。すると、注文通りにつくってくれるのだが、その物からヒントを得て、たとえばこの頃は焼き鳥屋で火鉢を使っているのをテレビで見ると、焼き鳥用の火鉢をつくったりとか、あるいは中央に直火の炭火焼き用の穴を備えたテーブルを製作したりする。そんなアイデアが自分からどんどん出てくるのだ。
 さらにそれらの物を、こんな風にアレンジしてくれと形の修正をお願いすると、いとも簡単にやってくれる。年に4回くらい足を運ぶのだが、行くたびに注文し、また注文外の物を見かける。そんなことを5〜6年しているうちに私もこの土器を何か本格的な物にしていきたいという気になった。

器用で、前向きで非常に頭も良い横田さん。
訪ねれば、必ず社会情勢の話題で自分なりに考えを述べる。

前向きな人

 横田さんの窯は、距離的にも私の店がある鎌倉から行きやすいこともあって、手仕事フォーラムのメンバーもずいぶん連れて行っている。
 そうこうしているうちに、それまでは目にしなかった、やたら小さな鉢植え用の鉢や変わったかたちの灰皿、花立てなど小さな物を見かけるようになった。しかも、それらのかたちがモダンなのだ。聞いたら、益子にあるクラフト系のデザイナーが大量注文していた。そのデザイナーの経営する店でよく売れるそうで、そこからの注文がものすごく多いということだった。私としては、もっと本格的な仕事をやってもらいたいのだが、生き延びる道がそれならば、いいだろうと、私たちとは異なる方向の仕事を傍観していた。ところが急速にこの頃はそういう物が無くなった。もうその店も売れなくなったらしくて注文も来なくなったのだという。
 横田さんは巨大な物もつくれる職人だ。なぜかというと、800℃で焼くため、高温度焼成して歪んだり亀裂が入るというケースは少ないからだ。そのため、100kgぐらいの重さの大きな焼き物も造園業者から頼まれたりする。各地から、そうした特殊な注文があるのだ。
 窯では嫌な物も目にする。土器の郵便ポストで、しかもベンガラ(朱色)の物だけでなく、黄色く塗られた悪趣味の物も見かける。しかし、彼はそれを自慢するのだ。これは美意識の問題ではなくて、いろいろな物をつくりたいという気持ちの表れなのだろう。そうしたところが好感を持てるし、何でも対応できて、前向きのつくり手なのだ。
 横田さんには、たとえばこんな物を注文した。島根県出雲市大津という地に窯があり、そこではイカ釣りの漁師が船上で暖をとるための小さなかたちの良い火鉢があった。この窯は無くなったが、私はこのものを所持していたため、その見本を渡したら、まったく同じ物をつくってきたのだ。あるいは、沖縄のアラヤチー(荒焼)の蚊取り線香入れを見せれば、それもいとも簡単につくってしまう。
 そんなわけで、深くというのではなく、浅く長くというつきあいでこの窯とは関わっている。横田さんのつくる物が評価すべき力がある物というわけではない。北関東にあった昔ながらの農家用の物をつくる窯を維持しながら今の時代に適応する物を我々が提案し、つくってもらっている。昔の小さな民窯の雰囲気を今もつなげていける珍しい人ということで、今回取り上げることにした。

土器の郵便ポスト。ちょっと悪趣味だが、遊び心を感じさせる

土器は石で磨いている

横田さんは自身でもち米をつくる。
12月末には餅を突いて冷凍保存していて、それを油で揚げて膨らませて、私たちに出してくれる。
これはなかなかオツなもの。鏡餅にした物もたくさんあり、それを砕いて揚げたおかきもおいしい。
訪ねると山のように出してくれて、土産に頂けもするのが訪問時の楽しみでもある

炭やベンガラを塗った消し壺を乾かしているところ。
金沢の大樋(おおひ)焼のかたちをそのまま利用して、少し大きくつくってもらった。
オリジナルは日本民藝館に所蔵されている

注文したいオリジナルデザインの物について横田さんに説明。その仕様書を真剣に見るその顔は職人そのもの

私が注文した土器。左は消し壺。右の蚊取り線香入れは沖縄のアラヤチーを原型とする物。奥はベンガラを塗った火鉢

これも私の注文品。左は自宅でも使用している米櫃(びつ)。これは10kg用だが、他に5kgと15kg用の物も発注した。
中央が曲島の火鉢のかたちを活用した物。
右が出雲・大津焼(おおつやき)のイカ釣り漁船用の暖炉壺。西洋の騎士の仮面みたいな造形がユニーク

新作の傘立てと、中央で炭を焚けるバーベキューテーブル。そのまわりが中国の「トン」のかたちを取り入れたスツール

窯から出て少し走れば真向いに筑波山の雄大な姿が見える。明るく豊かな農村地帯のとてもよい場所だ