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Kuno×Kunoの手仕事良品

石村英一さんの漆器

石村英一さんの漆器

2012年10月25日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏 / 写真:久野康宏

日本民藝館の茶たく

 日本民藝館本館に入って左側、現在は染織品を展示する部屋の片隅に小さな引き戸があり、その内部は台所になっている。私が昭和50年(1975年)くらいから日本民藝館に出入りするようになった頃、その8畳間ほどの空間にスタッフの皆さんが集まり、お茶を飲んだり、お昼ご飯を食べたりする控えの間だった。
 当時は来館者が少なく、ここで10時や15時からお茶を飲む時間がたっぷりと設けられていた。濱田庄司さんの大きな土瓶にお茶を満たし、湯呑み茶碗で飲んでいたのは、さすが日本民藝館と驚いた。私はそれらの物を「佳いなぁ、佳いなぁ」と感心して観ていた。
 湯呑み茶碗を置く茶たくはツバ縁が赤朱で、窪んだ内側には黒の漆が施されていた。その頃の私は焼き物ばかりに眼がいっていたのだけれど、小田原に府川 晃(ふかわ・あきら)という拭き漆の小田原伝統の木工品を手がけるつくり手と知り合い、年齢も近いこともあってか親しくなった。そうして、彼のもとに通うようになっていた。そのうちに木工品にも眼がいくようになった。彼がつくるのは拭き漆の物だから、茶褐な製品だった。

 日本民藝館の茶たくは4寸5分ほどのたっぷりとした大きさで、持ちやすく、窪んだ造形と色合い、毎日使い込まれたことによる味わいに惹かれた。日本民藝館職員の田中洋子さん(現在は擁子さん)に、いつからある物なのか尋ねると、知る限り、かなり古く、明治あたりの物だろうと答えた。

 これは柳宗悦先生が昭和6年以降、京都にしばらく居た際、東寺の弘法市で見つけた物で、全部で10数枚あり、それをずっと使っているのだという。民藝館で展示したり、コレクションにするほどの物では無いけれど、使いやすい。自分たちも欲しいから、骨董市で同じ物を探してはいるのだけれど、見つからないのだという。自分で知る茶たくのなかでもこれがいちばん良いと田中さん。

 黒田辰秋(京都で柳宗悦先生とともに上賀茂民藝協団を立ち上げ、素地つくりから塗り、加飾まで一貫した木工品制作を志した)の茶たくはどうなのかと聞くと、黒田さんの物は重たくて、もったりとしていて、どこか作品的で使うのには仰々しい。しかし、宗悦先生が見つけた茶たくは使い込まれた物でとても良いとか。その話を聞き、私も欲しいと思った。

弘法市で出合う

 それから2週間後のこと、私は山陰から九州へと出かける途中、友人がいる京都に一泊した。翌日なんとタイミングよく21日の弘法市に出会えたのだ。すると、会場を回り始めて10数分ほどで、なんと民藝館で使われている茶たくに出合った。まさかそんなにあっけなく見つかるなどとは思っていなかったので、自分の眼を疑った。しかし4枚しか無いという。  値段を聞くと、1枚あたり750円くらい、4枚で3000円ぐらいだった。当時の自分には1枚3000円では厳しい金額だったが、4枚でその額と言われて驚き、買うことにした。すると売り主のおじさんが「若いのに、思い切ってそんなに買うなんて・・・、よし、2000円にしてやる」と値引きしてくれた。

 私は嬉しくて仕方が無くて、大事に持ち帰った。そして2週間後に、この茶たくを携え、民藝館に行き、田中洋子さんに見てもらった。

 田中さんをはじめ皆さんが驚いた。「これ弘法市で見つけたの!? まだ売っているんだ〜」と、田中さんは良い物を見つけたねと握手してくれた。

 私は偶然見つけたのだが、骨董趣味の人たちは目利きが見つけたととらえるようだ。私は目利きではなくて、それが欲しくて頭のなかで覚えていたから眼に入ったのに。
 弘法市で手に入れた茶たくを、民藝館の茶たくと大きさを比べたら、一回り半ほど小さかった。やはり民藝館の茶たくの方が朱の色が佳かったし、活き活きとしていた。不思議なものだと思う。ただ、同じような形態の物と言っても過言ではないだろう。

 この時に衝撃だったのは、まず、この茶たくを佳いと言って見てくれた人のスタンスだ。骨董美というかたちで物を観ていくために、これを見つけた僕の「眼力」を褒めてくれた。私はこれを使い込んでみたい、こんな物を使ってみたいという気持ちでさがしていたら、偶然見つけたのであった。その温度差にショックを覚えたのだと思う。

弘法市で出合った茶たく。木を柾目で取っている。
調べていくと、これは京都でしか見られないかたちであることがわかった。
京都の料理屋が茶碗蒸しの受け皿として使っていた物で、ある時期に流行し、相当な数がつくられたそうだ。
これを茶たくとして活用したのが、柳宗悦先生で、さすがだと思う。
当初、本人はこれが茶碗蒸しの受け皿であることは知らなかったかもしれない。
湯呑みを置くための茶たくは近代に登場した物で、分厚い茶たくの原型は黒田辰秋さんが自らの作品でその方向を示したといえる。
当初の茶たくは煎茶を嗜むための物で、薄いつくりでよしとされていた

使い込まれた良さ

 この物に私が惚れた理由は何だったのだろうか? 当時、各地民藝館の展示品や、各地の民藝品店で販売される漆器は朱や黒に塗りつぶされていた。ところが、この茶たくは木目が見えていた。使っているうちに木目が出てきたのだろう。

 当時は根来(ねごろ)がずいぶん流行していて、漆器を手がける人は猫も杓子も根来塗りに飛びついていた時代だった。これは使い込んでいくうちに黒が剥げてきて下の朱が見えてきたりする味わいに美しさがあった。ところが、意図して剥げやすくした塗りも見られ、それは逆に嫌味な物だった。

 私が見つけた茶たくは根来の技法によるものなのか、当時、民藝館の主事・学芸員、佐々木潤一さんに尋ねると、これはメハジキという技法によるものと言う。毎日触れているうちに形や厚みなどの良さに感心した。

 以来、木目が自然と出てくる漆器の美を意識し、その良い印象を頭の中で抱き続け、漆器を見ていくようになる。そして、いずれは、その良い漆器を新しい物へと展開していきたいという気持ちが募っていった。

過飾を嫌う

 数年後、出西窯の多々納さんの尽力により、出雲の民藝館で私のカゴ・ザルの会を催していただいた。そのときに、多々納さんが石村英一さんという松江で漆器の仕事をしている初老の人を紹介してくれた。

 松江は八雲塗(やくもぬり)の産地だけれど、この塗りの過飾な漆器を目指すのではなくて、民藝本来の日常の暮らしの物を漆で制作している人だという。

 私は当時、小田原との関わりから、てっきり拭き漆の物なのではと思ったが、黒や朱の漆をしっかりと塗った物で、そういった物が民藝には当たり前にあるのだとわかった。

 早速、松江の石村さんの仕事場に寄ると、欲しかった目弾きの色の製品がたくさん並んでいた。なぜ、目弾きの仕事をするのか問うと、八雲塗は松江の伝統的な漆器産業となっているけれど、塗りつぶした上に絵付けをして過飾なものにして、装飾性を求めたもの。自分はこういう木製品は硬くて、腐りにくく、木目が良いケヤキが一番だと考えるが、今、漆器づくりをしている人たちはその強さだけを求めて、塗りつぶして仕事をしている。輪島はとくにそうだ。

 木というものは木目を出すべきものである。もともと木地師がいて、仕事をしてきたものだから、漆はその上から適度に塗ればよい。塗り固めるのは貴族社会の文化なのだ。木目の美しさというものを活かして使い込んでいってもらって、さらにその木目がよく出てきて剥げてしまったら、また塗り直せばよいというスタンスで自分は仕事をしているのだと石村さんは言った。特に欅の木目をそうすべきだと思っていると。

 私はこの意見に賛同し、初めて漆器を捉えた話を耳にできて感動した。それで石村さんに目弾きの漆器をお願いするようになった。

 しかし実際に、つくってもらった品物を自分ではとても買えない。お椀が1個で3万円以上はする。国産の漆を用いて下地もしっかりして、中塗りも上塗りもしてしっかりと出来た物はとくにケヤキを素材にしたら、最低でも5万円くらいはする。だから、3万円でも安いのだが、それは中塗りをしない目弾きの仕事だから、その分安いのだという話も聞いた。

民藝の美の視点に沿う、目弾きの漆器をつくる石村英一さん(写真/鈴木修司)

3万円の漆器を買う

 石村さんの漆器には手が出ない。かといって、小田原の府川がつくる安価な拭き漆の汁椀は色が茶色で、味噌汁と同じ色のため、飲んでいてもおいしく感じない。民藝関係者でもしっかりとした暮らしをしている人はやはり、朱と黒の椀を使っているのだ。吸い物は黒の椀、味噌汁は朱の椀というふうに使い分けている人もいる。

 聞けば、内側を黒く塗った物は昔から吸い物椀であり、朱色に塗った物は味噌汁椀と分けてきたのが漆器業界なのだという。そのくらいの約束事くらいは知っておかなければ駄目だよと日本民藝館の佐々木さんから言われた。

 そんな話を頭に置きながら、各地を歩いているうちに、輪島に奥田達朗さんという人がいると聞き、奥田さんの仕事の物が東京の備後屋にあるというので見に行った。まず形に驚いた。漆の椀が焼き物のかたちなのだ。それで、奥田さんはいろいろな物を見ているなとわかった。

 漆のご飯茶椀もあれば、汁椀もある。丼椀もある。さまざまなかたちの物をつくっていたのだ。塗りはしっかりしているけれど、やや粗く素朴感があり、民藝の柔らかさに通じるものがあった。

 欲しいとは思ったが、価格的に手が出なかった。しかし、まず自分は石村さんの仕事に惚れたのだからと、とうとう思い切って石村さんの椀をひとつ自分用に購入した。

 家族には買えなかったから、自分の正月用の雑煮椀として使い、ふだんは拭き漆の椀を使っていた。ただ、拭き漆の椀も中国産の漆で7回以上塗っていくと色の調子が変わってきて、とても美しい色になることは確かなのだ。そんな物をつくってもらいたいと願いつつも、その工程を踏むと、とても高額になる。拭き漆の椀でも1万円近くなってしまうのだ。

 それで、ずっと買えずにいて、正月の度に自分用の石村さんの椀を使っていると、家族も欲しいということになった。それで、最初に母親用に買い、翌年は家内用に、だいぶ経ってから息子用に買って、結局家族4人分を揃えた。

 3万円の買い物をしようとすると、新作品よりも骨董品を欲してしまう。または新作づくりに投資したくなる。それで4客以上は増えずに、そのままずっと使い続けて20年以上になる。

自分用に購入し、30年以上使っている石村さんの漆器。朱色が最初に入手した物。黒色は後に使い分けようと買い足した物

左端とその隣が自分用で、他は家族のために買いそろえた物。家族も20年以上使っている。
微妙にかたちが異なる。木は木目と木の質があり、そうした木の味を知る石村さんが、
その味に沿ってつくるから同じような物はできないのだ。これがおもしろいところだ

目弾きの漆器を発注

 漆器への関心が深まるにつれ、こういう活動をしているのだから、自分で目弾きの茶たくをつくってみたいと思った。

 漆器といえば、まず塗り師が思い浮かぶが、塗り師は木地まではつくれない。木地師の仕事がその前段階にあるのだ。では、石村さんはどこの木地師に依頼しているのかと尋ねたら、この連載記事でも以前に取り上げた出雲の森山ロクロ(第67回「森山ロクロ工作所の茶たく」を参照)だった。

 それで、森山ロクロに行くと、石村さんから送られてきた図面がたくさんあった。それらの図面を見せてもらうと、木地師には、どのように注文するのかがわかった。森山ロクロではきれいな図面よりも、スケッチの方がむしろよいというので、弘法市で見つけた茶たくを持参して、とりあえず原寸大で木地を挽いてくれと頼んだ。

 しかし、そうして挽いてもらったけれど、ほんのわずかながら雰囲気が違う。さらにその木地を石村さんに塗ってもらおうと金額を打診したら、やはり高い。10枚も頼んだらかなりの金額になってしまう。

 それで悩んだ末に、親しい盛岡の光原社に塗りを依頼することにした。当時、光原社は漆器づくりの工房があって、佐藤竹治(たけじ)さんを中心にして漆器の仕事を盛んにしていたのだ。佐藤さんに頼むと、手頃な値段で引き受けてくれた。

 こうして漆器の新作は、木地は森山ロクロ、塗りは光原社というパターンをずっと続けてきた。ところが、森山ロクロでは椀は挽けない。成形するまでに時間と手間がかかるのだが、それほどの技術は持っていないのだ。

 そのため、椀の新作の注文が来たときには、小田原の内野勘兵衛商店や大川木工で木地を挽いてもらって光原社に持って行った。

 ところが、そうしているうちにわかってきたのは、木地だけをつくっていればよいというものではなくて、塗りやすさの塩梅を知っている木地師と、塗り師との関係が密接にならないと良い物ができないということ。

 それぞれ木地の特徴もあるし、塗りの特徴もある。木地師は塗りの特徴を持った人からのアドバイスを聞いて、その通りに挽くわけだ。私のように、ただスケッチを持って行って挽いてくれというのではなくて、やや粗っぽくするとか、紙やすりでもっときれいに仕上げるとか、木地師と塗り師とが一体化した仕事をしないといけないのだ。

 また、漆は粗塗りで十分と私は考える。下地して(漆器の塗りの最初の工程で、刻苧(こくそ)・錆漆(さびうるし)などで下地を整えること)、中塗り(下地層に染み込み下地をさらに堅く固める効果のある中塗漆を、中塗刷毛で全面に塗る)せず、上塗り(上塗漆をかけての仕上げ塗り)だけでよいと思うのだ。

 それで値段が安くて使い込んで剥げたら、また塗り直せばよい。そのような塗りの物を推していけば、漆器の値段はまだまだ下がるし、もっと身近な物になるだろう。

 塗り師がどれほど使っても、自分の漆は剥げないようにしたいという考えにとらわれていると、何かカチンカチンのかたちで息もつけない物になる。当時の上流階級の人、富裕層の人が使っていた精緻な仕事の物の下地ばかりに眼がいってしまって、温かみというものが失われ、今日の漆は別個の世界で進物品や記念品で贈られる特別な物になってしまった。

左が弘法市で見つけた茶たく。右が森山ロクロで木地を挽いてもらった茶たく。
左の物を見本に、この通りと発注しても、かたちに差異が生まれることに着目してほしい。
新たに発注した方は木地を板目で取っている。塗りは光原社にお願いした

自分で使い、良さを伝える

 石村さんは現在、80歳だが、今の世の中、漆器ばなれが著しくて経済的に苦しいおもいをして仕事をしている。それでも、目弾きの仕事は自分の使命だからと続けている。

 この仕事はその良さがわからないと漆を塗れない。その良さは、わかっている人が伝えていかないといけない。どれが本物で、どれが安易なつくりかたなのかを。

 そして、今はほとんどの漆器のつくり手が作家志向になっている。作家志向の人はよく喋る人、文章が書ける人ばかりがメディアに登場する。何かムードを持ち、変わったパフォーマンスをしたりすると取り上げられやすいのだ。

 漆器の世界は、漆の仕事をする人自身もその仕事を見分けるのが難しいともいわれる。塗ってしまったら、中国産の漆なのか、わからない場合が多いのだ。一般的には木地は欅、栃、みずめ桜が多い。

 そんな漆器を難解な物のままにせず、広めていくには、どうしたらよいのだろうか。やはり、漆器を販売する人が正確な情報を持って、その物を自分で使ってみて、その良さを汲み取って伝えていかないと、これからも一般の人は作家の言葉やメディアに登場が多い漆芸工たちの巧みな演出に惑わされ、本当に使いやすく、良い物に出合えなくなってしまうだろう。

 私は、茶たくを森山ロクロに、椀は小田原に頼んでいたが、景気が悪くなり、漆器もだんだん売れなくなってきてしまい、このところは発注できていない。

 しかし、この度、グラフィック社の民藝の教科書の第3弾のために木と漆の取材をおこなったため、再びこの仕事に着手しないといけないなと思っている。

北陸の砺波の骨董屋で見つけた盆。朱と黒の染め分けの感覚が良い。
デザイン的なものなのだけれど、非常に配慮されたデザインだと思う。
線を引いているのは載せた器が移動するときに滑らないようにという配慮から。
内側を黒の目弾きで塗られ、外側は朱で固めている。そして持ちやすいよう、縁がやや内側に反っている。
裏側は挽きっぱなしだけれど、その具合がまた良い。
この盆もまた再現してもらった。こういった物はつくると、すぐに民藝館展に出品した。
すると古い物をよく見て、その良さを汲み取れる鈴木繁男先生が喜んでくれた。
しかし、古い物を見ていない、ここ10数年間の民藝館展の審査員には物の美しさを感得する力が無く、
出品しても難癖をつけてくるばかりで落胆させられる。
あとでわかったのだが、富山の民藝家で木工プロデューサーでもあった故安川慶一氏の意匠とのこと、
やはりかつての民藝同人たちの見識力は凄い。

これも北陸の骨董屋で見つけた物。富裕層の人が使った茶たくだと思うが、わりに洒落ていると思う。
外側の黒は塗り固めているけれど、内側は目弾き。線の段をつけているのは、置いたときに移動しないようという配慮から