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Kuno×Kunoの手仕事良品

南薩摩・南端の竹細工

南薩摩・南端の竹細工

2013年1月28日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏 / 写真:久野康宏

消えゆく竹細工職人

 かつて鹿児島県の南薩と呼ばれる薩摩半島のエリアには膨大な数の竹細工職人がいた。なかば農業を営みながら、現金収入の手だてとして竹細工を制作するのではなく、竹細工づくりを専業とする人たちである。とくに金峰山(きんぽうざん)周辺には薩摩、大隅、日向の農業地域向けの竹製農具をつくる職人たちがたくさん暮らしていた。

 ところが、昭和30年代初頭以降のプラスチック製品普及や中国からの輸入品到来により、後継者不在のまま、竹細工づくりはどんどん衰退していった。それでも、各地域で1〜2人が細々と制作していたが、やがて姿を消していった。そして、この10年の間に生業としてよい仕事をする、つまりは、私が30数年関わってきたつくり手もほとんどいなくなってしまった。

 気がついたら、日置市の永倉義夫さんのみになった。その永倉さんも昨年、肺がんで入院してまだ仕事ができない状態だ。今春には仕事を再開されるとしても、すでに80歳を越えている。ということは、もし永倉さんが仕事を辞めてしまったら、九州に何千人単位で存在していた竹細工職人の歴史が消えてしまうのである。

 この手仕事を無くしてしまったことに対して、口では何か手だてを計らないといけないと言ってきた私たちにも大きな責任がある。結局、何も手だてが無かったというのが事実なのだから。

 そのような落胆する状況だが、完全に竹細工をつくる人がいなくなってしまったわけではない。たとえば、今回紹介する枕崎の今門次男(いまかど つぎお)さんのほか、大隅半島大崎町にもつくり手が一人いるらしい。今門さんは竹細工を専業としているのではなく、新聞の販売店を兼ねて営んでいる。竹細工だけでは食べていけない。それでも貴重なつくり手と言わざるを得ない現況なのだ。

憧れの町へ

 今門さんとは、私が初めて薩摩半島へ竹細工の調査に行った昭和48年頃に出会った。枕崎へは竹細工のつくり手を探し訪ねるという目的はあったが、そもそもこの地は訪ねてみたかった憧れの場所のひとつだった。

 ここは鰹節の産地でもあったし、隣の港町、坊津(ぼうのつ)の歴史的な地域性にも惹かれてもいた。開聞岳の非常に美しいシルエットを眺め、念願の枕崎に入ったとき、にわかに鰹節の匂いが漂ってきた。町は晴れていても、煙が立ちこめていたのか、燻したような空気感があった。それだけこの町は至る所で鰹節をつくっていた。そのことにも感銘を受けた。

 それから、町内で竹細工をつくっている人はいないか、特徴的な竹細工は無いのか探し回ったが、なかなか見つからなかった。田畑で作業している人が竹の農具を使っていたので尋ねると、ほとんどは薩摩半島西岸の中心地、加世田(かせだ)市の商店や時々催される市(いち)で購入したという。当時の鹿児島県内での市は、竹細工の出品が多く、その出品者はつくり手ではなく、卸売りをする商人だった。

 たまたま駅の周辺に車を停めて、誰かつくり手はいないかなと尋ねると、そのすぐ近くにいるとのこと。それで訪ねて行ったのが今門次男さんだった。探し当てたときは、ちょうど夕暮れ時だったと思う。台所からは夕食の準備なのか、ここちよい匂いがした。

兼業のつくり手

 今門さんは若々しい人で、制作しているこの地方独特の形の竹細工を見せてくれた。それは「ブイ」という物だった。俗に言う「パイスケ」で、土木業の人が砂利を運ぶのに用いる。これが作業場には山のように積まれていた。このあたりでは掘ったカライモを入れて運ぶのに使うのだと話す今門さんの背後には他にも、竹細工がいろいろと飾られていた。

 枕崎はカツオ船が入る港町。静岡のカツオ漁船は土佐沖から東シナ海まで移動して獲ったカツオを枕崎に寄港して納めていた。その際、今門さんは船主から漁業用のカゴザルの注文をかなり受けたそうだ。

 昔、枕崎には竹細工のつくり手が多くいて、今門さんの家も代々、竹細工業を営んでいた。職人も家に住まわせて、相当数つくっていたとか。その製品のほとんどは漁業関係に販売していたという。

 一般の人向けの製品は加世田から来た専門の業者に委託し、市にて売ってもらっていたと話す。そして、自分は農業用の物はあまりつくっていないと言う。 

 専業ではないのかと聞くと、「あなたは若いからわかっていないかもしれないけれど、こんなものでは飯が食っていけませんよ。ふだんは新聞の取次店をしていて、朝と夜が忙しい」と今門さん。今日も取り次ぎの仕事が終わって戻ってきて、これから夕食だと。

 それから、唐突に野球選手の話題を語り始めた。「野球の選手は気の毒ですね。自分の年齢ではもう引退なんですから。ちょうどテレビの画面に、巨人軍の長島茂雄の引退式が映し出されていた。私は長島と同い年(1936年生まれ、現在は76歳。長島引退は1974年だから当時38歳)なんですが、野球選手は寿命が短い。自分らはこれから盛んになっていくのに・・・」と。その言葉がとても印象的で今も覚えている。

 話し込んでいるうちに「どうですか、焼酎を呑みませんか?」と勧められた。自分は鹿児島市内まで車を運転して帰るのでと辞退すると、(当時は近所位なら飲酒運転は可能だった)晩御飯を食べていきなさいという言葉に甘えてご馳走になった。驚いたのは、晩飯の慎ましさだった。麦入りご飯に魚のアラを山盛りにして入れて、鰹節の安価な部分を温めて煮たものや野菜を盛り付けたもの。これがこの地域の基本的な食事のあり方なのかなと思った。

 今門さんはとても人柄が良く、話もおもしろかった。とはいえ、竹細工自体はあまり魅力を感じなかった。いわば民具で、そういう物ばかりしかつくらない人と私は思い込み、今門さんとはその後関わることはすくなかった。

今門次男さん。2012年7月に作業場を訪ねた際の写真
(撮影/久野恵一)

これがブイ。枕崎では土木用やカライモの収穫などに使う。
今門さんはこれを手早く数多くつくるのが得意な方と聞いている
(撮影/久野恵一)

ガネテゴに惹かれる

 今門さんとは付き合うことは無いかなと思いつつ、枕崎という町は非常に好きだった。小さな町だけど、活発な感じがあり、九州を訪ねるたびに、枕崎まで足を伸ばしては、今門さんの家に必ず寄った。注文するわけでもないのに。

 そうしているうちに、仕事場でふとやわらかいかたちのカゴが目に入った。ガネテゴという壺型のカゴだった。ガネとはこの地域でカニという意味。つまり磯の岩場でカニを捕っては入れるためのカゴである。磯に据えるための脚があり、紐も付いて吊り下げられるようになっていた。

 関心を持ち、質問を重ねると、今門さんは古いガネテゴを持って来た。今でもこれをつくれますか?と聞くと、つくれると言う。それで注文することになり、完成品を1年に一度くらい受け取りに行くことになった。

 このカゴはヒゴが細く、見るからに華奢だった。その頃、私はがっちりとした使用頻度に耐えるような物が好きだった。だが、ガネテゴは最初から、そのような華奢な物だったらしい。かたちが独特で、魅力的だったのでいただくことにして、それからずっと今門さんとは付き合うようになっていった。

今門さんの作業場にあったガネテゴ。
このカゴに用いるヒゴ(この地域ではヘギという)は
かなり細い筋状で密に編まれているため、
一般には弱々しいまるで作品的に見られがち。
だが、実際は用に適った実用的な品
(撮影/久野恵一)

今門さんが見せてくれた昔のガネテゴ
(撮影/久野恵一)

ガネテゴは造形的にとても丸みを帯びて、
つくりそのものは難しい。花カゴとして使うのにとても良いかたちだ

応用の利く人

 今門さんは野球が好きで、少年野球の監督をしていたりもした。それで、一般的な経済事情もよく知っているため、竹製品を製作するのに日当計算すると、それなりの金額になってしまった。もやい工藝で1個仕入れても、なかなか売れない。とはいえ、日本民藝館展など展示会に出品するには都合のよい物だった。しかし、販売はどうしても滞ってしまうために、そのうちに今門さんのもとへは足を運ばなくなった。
 その頃、私たちの仕事も忙しくなり、ついにはまったく訪ねなくなってしまった。
 しかし、最近は竹細工をする人がとても少ないし、このままでは消えてしまう。となると、今まではあまり関わらなかった今門さんの物も少しずつ、また仕入れていこうかなと考えている。野球をやって体を鍛えて、まだ元気な方だし、仕事はしばらく続けられると思う。
 そんなわけで、このところ再び、枕崎を訪ねるようになったのだが、それは今門さんという、ちょっととぼけた、温かみのある人に会ってみたいからだけではない。何より、町の風情ある雰囲気を味わいたいという気持ちからくるものである。
 彼の仕事の物が素晴らしくよいとか、その物をもっともっと普及させるべき物とまでは言えない。ただ、今門さんは応用が利く人だ。私はこの点を評価している。彼は漁具の特別注文品をたくさん引き受けてきたつくり手であり、船乗りからはこんな物と同じ物をつくってくれと見本を見せられ、その要望に応えてきている。
 たとえば、彼の作業場には東北のカゴが飾られていたりする。聞けば、それは船主の人から頼まれた物だという。本人は知らないのだが、そのカゴは九州には無いかたちなのだ。そのように、自在にさまざまなかたちの注文に対応できるということは、それなりの技術を持っている人ということがいえよう。
 今門さんのような技術を持つ人が専業として、もっともっと竹細工に取り組んでもらえれば、きっと活路を見出せると思う。ただ、販売に回すには難しい価格である。大きな問題点は、竹細工製品は実用品であることを前提とすると、それほど長持ちする物ではないということ。これは樹皮細工とは違う点だ。もともと竹製品は使用頻度が激しくて、常に交換する物だったし、交換できるほど、つくり手もたくさんいたし、安価でもあった。
 これが前提だから、ある程度の金額になってくると、使用頻度からいっても、販売は難しくなる。実用品から離れてしまう。これが今、直面している問題であり、そのジレンマに陥っている。
 しかし、仕事をする人は大事である。どうやって、こうした数少ないつくり手が仕事を継続していけるか、これから考えなくてはいけない。そんな課題を突きつけられている。