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Kuno×Kunoの手仕事良品

戸隠の根曲竹細工

戸隠の根曲竹細工

2013年4月24日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏

山岳信仰の山

 今度、出版する「民藝の教科書」はカゴとザルをテーマにしている。その最後の取材を数日前に戸隠でおこなった。戸隠は去年11月に取材していたのだが、悪天候のため、靄がかかり、戸隠山の山並みを撮影できなかった。私は制作される物の背景を大事にしたいと考えているから、再度、制作依頼していた物を引き取りも兼ね、風景のみ撮りに出かけたのだった。
 戸隠の竹細工といえば、根曲竹。この竹は戸隠のほかに青森の岩木山が産地として有名だ。山間部の雪が多い地域に自生する竹はだいたいが根曲竹である。根が曲がって、雪の重さに耐えられる笹竹なのだ。
 戸隠でも、戸隠山に行かないと、この竹は見られない。戸隠山は修験(しゅげん)の場として知られているように、険しい峰。奇異なかたちの山は太古から地域の人にご神体として崇められ、山中に奥社という社(やしろ)がある。その道筋に中社という神社があって社に参道となった門前の町並みとなる。

箕づくりから始まった

 山伏などが山岳信仰で出入りした所となると、心霊的な気配も感じる。そこで生活してきた人たちは生業として、どういうものをつくってきたのだろう。食料となる農作物をどう得るか。険しい山だから田畑を耕せる環境ではない。農耕している人たちが使う農具を手仕事でつくっては、農作物と交換してもらっていたのではないだろうか? 
 中社の参道沿いは、民家が広がる集落となっている。おそらく、ここに暮らす人は山の中で生きてきた人であろう。その昔、この地の人たちは農具の箕(み)を大量に制作して、農作物と替えたのだと思う。
 山の下には戸隠を下ると善光寺がある。善光寺の背後には、戸隠山のほか、黒姫山、飯縄山(いいづなやま)など、山岳信仰の修験の山がそびえている。そのことから、その山の神を守るという意味で善光寺が存在していたのではないか。そして、中社でつくらてきた箕は善光寺近辺でつくられていることから、一般には「善光寺箕」という名で知られている。かつて機械製品がない時代、日本の農業は、すべて手仕事の道具を使っていた。その中心をなした農具が箕である。
 「民藝の教科書」の題材として、この戸隠の箕だけでは足りなかった。それで、やはり箕の生産地である、少し離れた北志賀の方にも足をのばした。かつては両地域で相当数の箕がつくられ、周辺の農家に供給されていたのだろう。
 箕に用いている素材はフジの樹皮で、それを押さえて編み組んでいくのに使うのが根曲竹だった。樹皮は水を吸うと膨張して柔らかくなり、使用頻度が多いと壊れやすくなる。そのため、なるべく強い竹で押さえ、強度を出すのだ。
 やがて、箕は使われなくなってくると、この両地域では箕の制作者も減少。しかし、もう他の箕の生産地、富山県氷見 (この連載記事・第14回で紹介)では箕が衰退することなく、つくられ続けた。氷見の箕は根曲竹ではなく、矢竹(やだけ)を用いている。弓矢の矢に使われるだけあって、根曲竹より強靱な竹。耐久性では氷見の箕の方が上なので、氷見の箕が残り、善光寺箕をつくる人は今、たった1人といわれている。
 箕づくりが衰退した戸隠中社では箕に用いる根曲がり竹に着目し、戦前頃にはカゴを編むようになった。農耕地を持てない土地柄のために、現金収入の糧としてつくるように奨励されたのだと思う。国や県から制作技術の指導がなされ、制作技術を伝授して、それまで箕づくりをしていた人たちが、いっせいに竹細工の方へ関わっていったのだろう。
 戸隠の山に暮らす人たちは夏の間は働きに出て、冬に竹細工の仕事をしていたようだ。昭和30年くらいになると、スキー場が開発されていくと、スキー場を管理する仕事をして現金収入を得て、昭和30年代後半から今日まで、集落のほとんどの家がスキー客を迎える民宿になっていった。そして、夏場には根曲竹細工の仕事をしていた。

ソバの産地

 戸隠の山間高冷地では、農作物が採れないが、ソバは採れる。ソバはこうした環境に適した穀物なのだ。それで戸隠ではソバ畑がどんどん開発されていく。そして、ソバが名物となり、冬も夏も観光客が訪れるようになった。信仰の山だからお参りに来る人もいる。そういう人たちを相手にするソバ屋が次々と開店した。そうなると、冬場は民宿をして、夏はソバ屋になったり、竹細工をしたりという生活を送るようになった。スキーの人気が高まる昭和40〜50年代の最盛期にはどの家もそんな形態の暮らしを営んでいた。
 しかし、スキーの人気が落ち、車が普及すると、地域の人たちは家では仕事をせず、外へ出ていくようになった。優秀な人は都会に向かう。それにより、この地域も老齢化で過疎化していった。民宿の時代でもなくなる。ホテルに泊まるか、日帰りの観光客が増えて、民宿に泊まる人もいなくなり、民宿も衰退。過疎の地域にはなったが、参道にはソバ屋や竹細工を売る店が連なっている。

2つの竹細工店

 私がこの仕事に入り、昭和48年には車の免許を取り、すぐに戸隠へ行った。学生時代には一度も訪ねたことがなかった。戸隠に竹細工があるということは知っていたし、戸隠の山には興味があったので行ってみたかったのだ。
 昭和49年の春先だったと思う。まだ少し雪が残っていたのを覚えている。集落に入ってみると、中社へ続く大きな参道があって、その道沿いに土産物店が並んでいた。参道から50〜60mほど下には、竹細工の店があった。道をはさんで2つの店が向き合っていた。原山竹細工店と井上竹細工店である。
 まず、井上さんの店に入ってみると、戸隠のカゴ類がたくさん置かれていた。見ていて欲しくなったのだが、当時、店を始めたばかりで、お金もなかったし、1個あたりの単価が高いため、買える力がなかった。
 それでも、物を見てから、原山さんの店にも入ってみると、「カバンカゴ」という物を見つけた。買い物カゴなのに、なぜそう呼ぶのか、興味を持った。
 ソバを食べる土地だから当然、ソバザルも売っていた。そのザルを何点か買った。それから、再度、井上さんの店に行き、買おうとしたら、おじいさんが「あんた前の店で物を買っただろう?」と聞く。はい、と答えると「前の店で買った人にはうちでは売らない」と言う。どうも犬猿の仲のようで、困惑した。
原山さんの店も井上さんの店も製造直売していた。井上さんの話では自分の店はソバザルをつくっていて、原山さんはカゴをつくっているという。
 では、井上さんの店はソバザル専門ですかと尋ねると、また怒られた。前と同じくカゴもつくるし、前の店は下手で、俺の方が上手いと。これは余計なことを言うと大変だなと思った。

カゴづくりの集落

 両店とも製造直売だが、自分たちのつくった物以外に仕入れた物もたくさん売っていた。私はその頃から直接、制作者のもとを訪ねることを仕事のモットーとしていたので、直接、つくっている所に行きたくなった。それで、つくり手を探しに集落へ入って行ったのだった。
 すると、なんと集落のあちこちでカゴをつくっているではないか。つくった物は農協と特定の販売店に納めているという。農協に渡すのは、肥料カゴとか、箕などの実用品。それは関西方面に出荷するのだとか。私たちが見たい民藝品は原山竹細工店と井上竹細工店に卸していた。この両店で買うしかないと思ったが、集落の中を訪ねてみることにした。
 この辺で、カゴづくりの上手な人は誰かと聞くと、はっきり言う人と言わない人がいた。教えてくれる人は一様に、中川利美(なかがわ・としみ)さんだと言う。この地域は中川、原山、井上の姓ばかりなのだが、利美さんの家を訪ねると「民宿としみ」という看板が掲げられていた。利美さんは小柄で気さくなおじさんで、独特の信州弁でどこから来たかと聞かれた。
 私が民俗学的なアプローチで手仕事調査をしている旨を伝えると、「あんた、そんなもん調べてどうするんだ?」と利美さん。調査というより、始めたばかりの商売の仕入れの目的もあることも伝えると、「あんた商売しているのか?」と言いつつ、自分がつくった物はすべて原山さんの店が持っていくと話してくれた。原山さんから注文を受けた物をつくっては売ってもらっているのだと。
 利美さんの工房には「茶盆カゴ」と呼ばれる小判型と円形の2種類のカゴがあった。サイズは大小。ほかにカバンカゴもあり、また、石けんカゴというミニチュアのカゴもつくっていた。
 話し込んでいるうちに夕方になり、「うちに泊まっていけ」と利美さん。冬場にスキー客相手に稼いでいるから、無料で泊めてくれるという。うちのご飯でも食べていけばいいと。好意に甘えて泊めさせてもらったが、申し訳ないので1000円を渡した記憶がある。当時、民宿で1泊2食3000〜3500円の時代だったと思う。それでとても親しくなり、戸隠を訪ねると、民宿としみに宿泊するようになる。

茶盆カゴを制作中の中川利美さん[昭和55年頃](撮影/久野恵一)

手前は中川綱昌さんが制作したカバンカゴの大サイズ。縁に煤竹を巻いてもらうように頼んだ。
彼も煤竹で編むのは嫌がる。これは特別に巻いてもらい、通常はやらないという。
後ろが小サイズで、中川利美さんが制作。いずれも私の家で使っている

ソバザルづくりの名手

 中川利美さんにソバザルづくりはしないのかと聞くと、専門外だという。ソバザルづくりは別の人たちがいるとのこと。また、箕づくりを専門とする人もいるという。つまり、カゴ、ソバザル、箕と3つの専門につくり手に分かれていた。さらに、肥料カゴや収穫物を入れる大きなカゴなど農具をつくる人もいるとのこと。厳密には4つくらいにつくり手が分かれていたのだった。
 利美さんにはソバザルづくりと箕づくりが上手な人を聞き、まず箕づくりの名手を訪ねた。しかし、はっきりいってこれは民具であり、農具なので、私は触手が動かなかった。ただ、フジの大きな樹皮の瑞々しさには心打たれた。
 次にソバザルづくりの名手の所へ行った。原山善治(ぜんじ)さんという方だ。お宅でソバザルづくりを見せてもらったが、とても上手で、しっかり編んでいた。初めて根曲竹のソバザルづくりを見たのだが、立って編み組みしていることに驚いた。体勢的にはかなり苦しいだろう。根を詰めれば、1日3〜4枚はできるが、だいたい1日2枚半くらい編めるかなと善治さん。
 そのときには新しい物がなくて、買えず、使われている物を見せてもらった。善治さんは縁に茶色の煤竹(すすだけ)使っていた。編むのがつらいのだが、煤竹を使うと保ちがいいのだと。使いこんでいくと、通常は縁が傷んでしまうが、煤竹を巻くと壊れにくくなるという。
 当時、どの家も茅葺きをトタンでかぶせた屋根だったため、台所の上など天井に根曲竹をまるまる一本、野地板みたいにして張っていた。そのために真っ黒になった煤竹が山のようにあった。それをもらってきては、水で洗って炭を落とし、割って縁に巻く。煤竹はとにかく硬くて割れにくい。炭化されたものがしっかり内部に染みこんでいるからだ。しかし、気をつけないとケガをするし、手間がかかる。それに値段も高くなった。
 善治さんには、新品ではないが、たまたまあった1枚を譲っていただいた。当時の値段は2500円くらいだった。高いと思ったが、1日2枚半という手間を聞いたら、大変な仕事だからと納得した

原山善治さんが35年前に制作したソバザル。今も私の家で使っている。それくらい耐久性が高い

若手に会う

 それから、たびたび戸隠に足を運ぶようになったが、行くと、中川利美さんを訪ね、カバンカゴを買った。そうして、通ううちに、井上竹細工店と原山竹細工店にも寄った。何度目からの訪問時、利美さんが原山さんの店に物を出してしまったばかりで、何も無かった。訪ねたからには、何かを買わなくてはいけないと利美さんに相談すると、集落内に「手力屋(たじからや)」という商号で竹細工の店をやっている若い人がいるという。商売も仕事も上手だという。そこに寄って買ってくればいいじゃないかと利美さん。ただし、ちょっと高いかもしれないよと一言添えた。
 なるほど、集落の下の方にいつも通過していた小さな店があった。いつもは見向きもしないで、利美さんがいる上の方へ向かっていたのだ。
 店を営むのは中川綱昌(つなまさ)さん。今は80歳くらいだが、当時は50歳だった。利美さんは当時すでに70歳だから、綱昌さんは若手といってもいい。 
 しかし、ちょっと怖い人だった。「他で買っているんだったら、うちで買うことはないじゃないか」と、突っ張られた。ただ、仕事はしっかりしているし、物はよいと思った。値段は利美さんより500〜600円くらい高い。そのため、まず利美さんの所で買って、上等な物を綱昌さんの所で買うようになった。

中川綱昌さん制作の石けんカゴ。これも私の家で使っている

男の仕事

 中川綱昌さんに根曲竹の採取について尋ねると、9月10日過ぎに採るという。ご神体の山だから、採取には許可が必要で、山に入る時期も定められていた。ご神体の山に自生している根曲竹を用いるのが、戸隠の竹細工の特徴だった。集落に竹細工組合みたいのができていて、みんな白装束になり、1年間分の材料を1ヶ月近くかけて、毎日採りに通うのだそうだ。
 山は女人禁制なので、分け入るのは男だけ。それに山間部の荒地で採れる根曲がり竹は粘りがある強い竹なので、女性には編みにくい。男でないと編めない。材料の採取も編み組みも、ここでは男の仕事なのだ。
 その後、青森県岩木山の方に行くようになったが、ここの根曲がり竹は柔らかく、女性でも編みやすい。他の東北の地域と同じく、竹細工づくりが副業として発達した岩木山には、山に竹を採りに行く人、その竹を割って、つくり手に支給する業者がいる。そして、つくられた物を集め売る業者も存在する。
 また、岩木山を含めて、日本各地では岩手で開発されたらしい竹割り機で笹竹を割って、竹ひごにして編む。
 ところが 戸隠では男が自分で竹を伐って、手作業で竹を割る。竹割り機を導入したこともあったそうだが、うまくいかないという。途中で破損したり、均一に割れない。同じ根曲竹でも岩木山とは質が違うのである。その強い竹を男が力強く編むことで、しっかりとした根曲竹細工が発達したのだ。
 その過程で、カゴづくりの人とソバザルづくりの人とに分かれていく。ソバザルの網代編みの製法は篠竹やスズ竹(篠竹系の柔らかい竹)によるものとまったく同じ。円形にびっしり編もうとすると、網代編みにしないとできない。その技術を戸隠に伝えた人がいたのだろう。ソバザルをつくる人の中には縁を面倒でも、煤竹を巻く人がいた。

私の家で使っている茶碗カゴ。これも中川綱昌さん制作。
縁に煤竹を巻いてもらっている

ソバザルを軽視してはいけない

 そのうち、ソバザルづくりの名手、原山善治さんが病気で亡くなられ、縁に煤竹を巻いた、よいソバザルが残念ながら入手できなくなってしまった。善治さんがつくるソバザルは当時、1枚仕入れ値で3500円くらい。販売するには厳しい価格だが、一度、民藝館展に出したことがある。そのとき、審査員をしている工芸作家がソバザル1枚がなぜそんなに高価なのかと、落選させた。
 戸隠のソバは1枚800〜1000円で、食べてしまったらおしまいだが、ソバザルは10年も保つ。それに、その審査員がつくる工芸品雑器は1個何万円もする。だから、ソバザルだからと軽視して欲しくない。つくり手は皆、平等な人間であって、竹細工をしているからと卑下するような人が日本民藝館展の審査員はしてほしくない。
 ソバザルづくりの仕事を生業としていくのは大変なこと。かといって、作品として出すわけにはいかない。工芸の作家先生が作品に値づけするような、1枚2万円だったら買う人はいない。2万円なりの物にするのなら、自己主張したソバザルをつくらないといけないし、それはとても使える物ではないのだ。
 私は真摯にソバザルづくりに携わる方々の仕事を残したいと願う。しかし、いちばん上手な原山善治さんは亡くなられ、できなくなった。
 それで、中川綱昌さんの知り合いにソバザルを発注するようになった。綱昌さんも商売だから、そのつくり手が誰なのかは教えてくれない。その頃、私も忙しさから集落の各家に入って、つくり手が誰なのか調べる余裕がなくなっていた。その手間を考えたらと、綱昌さん経由で頼むようになったのだった。
 綱昌さんの知り合いのつくり手は縁に煤竹は使わなかった。それでソバザルから私は離れていくことになる。そのかわり、人気の高いカバンカゴや茶盆カゴは日本民藝館展によく出品していた。

中川綱昌さんに発注

 そのうちに大阪の日本民藝協団の主宰する会にも中川綱昌さんのつくる物が出ていると知った。綱昌さんの仕事を最初に紹介した私としては、ショックを受けた。綱昌さん自身で協団に出品したようで、さらに入賞もしている。
 その後、1年に数回ほどつくってもらった物を綱昌さんからいただくようになった。この人は夏場だけ竹細工をして、冬場はスキー場で指導する仕事をしていたようだ。10数年前からは直接、綱昌さんに発注する人が増えてきた。
 綱昌さんは自信を持って仕事している人で、ある意味、自意識が強かったので、そういう業者にも物を出すようになった。
 そうすると、いろいろな人が出入りして「こんなカゴをつくらないか」とかカゴや籐細工の本を持参して「これと同じようにしてほしい」と注文する人も出てきた。そんなことで、綱昌さんは変わった物をつくるようになっていった。
 最初の頃はカバンカゴ、石けんカゴ、茶碗の水切りに使う茶碗カゴ、お盆代わりに茶碗を載せて運ぶための茶盆カゴなど、平常な品をつくられていたのだが。

今度の「民藝の教科書」に載せる、中川綱昌さんの新作。カバンカゴ

中川綱昌さんに煤竹を巻いてもらうよう特注したカバンカゴ

中川綱昌さんの新作。本来は鉈入れだが、花を挿せるよう、内側に筒を入れた

ミニチュアを見直す

 よい物とはいえ、私は石けんカゴをはじめ買わなかった。ミニチュアの土産物のような気がしたからだ。すると、ある時、柳宗悦先生の食卓を紹介する映画を観たら、石けんカゴにおしぼりを載せて使っているではないか。柳先生がこれを使っているのなら、私も先入観で物を見てはいけないと思い直した。これは日本民藝館に出して落選した物。こんなミニチュアでいいのかと、ある審査員が指摘したという。ところが、まったく同じ物を柳先生が日常の暮らしに使われている。自然素材のカゴが好きだからだ。ミニチュアだろうが、使う人次第だと私は柳先生に教えられたようなものだ。
 それから私の考え方が変わった。小さくても使うのに工夫すればよいので、大小に関わらず、素材を活かした、骨格のある、ちゃんとした仕事ならばよいのではないかと。このカゴも細くて大きなカゴには使えない竹を上手に活用している。持ち手にすれば、小さなカゴではバランスが良い。

中川綱昌さんの新作。見直した石けんカゴ

絶やしてはいけない仕事

 その後、中川綱昌さんは病気されて、大ケガもして何年間か仕事ができなくなった。この仕事も、もう駄目かなと思った。そのとき、それまで日本民藝館展に彼と関係していなかった店が、綱昌さんの名前でカゴを出品していた。驚いて綱昌さんに電話すると、自分はまだつくれない。軒先に置いておいた物をその店の人が買っていって、自分の名前で出したのではないかと言う。それはだいぶ前につくった物だとか。そんな変色した物をよく館展に出すなと思うし、さらに入選させてしまう審査員もどうかと。
 3年前から綱昌さんは、少しずつ復活して、制作を再開している。ところが、腕が落ちてきている。それでも今、カゴづくりをする人が少ないから、綱昌さんのもとへ業者の人たちが行くし、あちこちの業者に物を出している。
 新しく民藝ブームに乗って扱いを始めたギャラリーなど横文字の若い店が買ったりしている。しかし、きちんとした骨格の物はなかなかつくりづらいのだ。
 今度の民藝の教科書では綱昌さんの仕事を取り上げている。戸隠の竹細工は絶やしていけないからだ。それで、嫌がられたが、あえて煤竹で縁を巻いてもらい、仕入れた。それをいずれは展示していくつもりだ。
 たくさんある中から吟味したが、寄る年波と病気による体力低下には綱昌さんも勝てない。今回の取材で仕事ぶりを見たが、かなり遅い。だが、それはやむを得ないと思う。ならば、後継者がいるかというと、なかなか難しい。

中川綱昌さんの新作。茶盆カゴ・小判型の大小サイズ

中川綱昌さんの新作。手前は茶盆カゴ・丸形の大小。
奥は茶番カゴの造形を応用してつくったカゴ

物を見る眼に危機感が募る

 最近は戸隠の地域の中にまたふたたび竹細工をはじめる人もいて組合がまた活動し始め、直売店で売るようになった。しかし、そこには未熟な品もたくさん置いてある。
 しかし一般にはこの場で置かれていれば、上手下手、外のものであっても良品として無意識に買う人がいるのは当然だろう。そこに危機感を感じる。物の選び方はやはりきちんと教えないといけないなと思った。そこでは買わせず、上手なつくり手である綱昌さんと比較してみれば、下手な物と上手な物、善し悪しもわかるからだ。
 彼らのように、ふつう、地域に行けば、先入観で売られている物が地域でつくられていると思い込んでしまうようだ。原山竹細工店、井上竹細工店の先代も亡くなり、次の世代が受け継ぎ、中国製の竹細工も多く売っている。それだけ地元でつくる人がいないということ。
 綱昌さんの「手力屋」でも中国製の物が一部ある。そういう時代になってしまったのだ。買う人は中国製とも日本製とも書いていないから、勝手に戸隠でつくられた物と思ってしまう。そういう危険性がこれからどんどん増えていく。だから物を見分ける眼をきちんと持っていないといけないと思う。ますます、私たちの役割は重要になってくるのだ。
 それと戸隠での後継者問題だが、私たちの世代からつくる人がまた出てくるかもしれない。しかし、手仕事をする人はいなくなってきている。ちゃんとした仕事を残していくためには、まず、その人たちにもよい物を見せなくてはいけないと思っている。
 井上竹細工店は息子さんの代になり、私より少し年下の井上栄一(えいいち)さんが店を営んでいる。彼はソバザルづくりがとても上手。今回の竹細工調査で会いに行って話したら、とても人柄もよく、仕事も一生懸命で、見ていて、この人のつくる物はよいと思った。ただ、価格がどうしても労働対価に合わせて若干高くなる。それに、彼は煤竹を巻くのは大変だからと絶対にやらないという。このように、つくり手の心境も変わってきているのだ。
 とはいえ、根曲がり竹の細工に関しては、最も優れた力を持つ仕事場は戸隠である。その考えは今も変わらない。

中川綱昌さんの新作。持ち手を付けた野菜ザル