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Kuno×Kunoの手仕事良品

東北のアケビ蔓細工

東北のアケビ蔓細工

2013年5月29日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏

嫌いな物

 グラフィック社から刊行される「民藝の教科書 カゴとザル編」のために東北のアケビ蔓細工を取材した。しかし、現地を訪ねてみると、案外、つくっている人が少なかった。

 まずアケビ蔓は採取が大変だ。造林の影響で植生地が少なくなってきている。しかも地を這って生えているため、下ばかり見て探していると、スズメ蜂の巣に触ったり、虫に刺されたり、熊に遭遇したりする。編むのにも、干したり、畳んだりする手間がかなりのものだ。

 私がこの仕事に入った40年ほど前を思い返すと、アケビ蔓の産地は青森が知られていた。この地で工藝店を営む相馬貞三さんの尽力により、アケビ蔓細工も盛んだった。相馬さんは柳宗悦の思想に共鳴して、1942年に日本民藝協会青森支部を結成した方。いろいろなアイデアを出したり、県の工業試験所と組んで試作をつくったりしていた。

 アケビの葉は3つ葉と5つ葉に分かれるが、青森のアケビは5つ葉が多いという。この種は弾力性にやや欠けるため、弾力を利用して編むのではなく、型枠に入れて編む。すると、蔓といっても枝のような物だから、どうしても隙間が生じて、きっちりと編めない。そのため、蔓を半分に割り、片側を平面にして巻きやすくしていた。半分に割れば、材料も倍取ることができた。そうしてアケビ蔓のカゴづくりが青森では盛んになった。あけび蔓のカゴ類を扱う業者も何軒もでてくるようになり、様々なカゴが考案されそれが広がっていった。

 ただ、青森のカゴはアケビの皮と身の部分の白さが目立つ。その色合いが好きでなく、積極的に入手しようとはしなかった。また、なんとなく恰好つけたつくりで、デザイン化された物とか、時代に合わせた物をつくろうという意図が露わだった。私は素朴さとか、地域性がにじみ出てきている物に惹かれるのだ。

デパートでの出合い

 当時、日本中の民藝店がアケビ蔓細工を欲しがっていた。アケビ蔓の赤みがかった活き活きとした感じには、なんともいえない魅力がある。その頃から東京の大きなデパートでは地域の特色ある食べ物や民藝品などを紹介、販売する県の物産展が始まりだした。会場ではその制作者を呼んで実演させたりもした。

 新宿の小田急デパートでの物産展で初めて実演を観たのは、学生の時だった。秋田でアケビ蔓細工をつくる中川原信一さん(この連載の第11回を参照)の父、十郎さんが会場で制作していた。大学では宮本常一さんの民俗研究会に属して、アケビ蔓でつくった背負いカゴや腰カゴなどを目にしてはいたが、それらは使い古した民具だった。

 中川原十郎さんがつくる、新しい買い物カゴや花カゴはとても魅力を感じた。中川原さんのことを意識するようになり、いずれは仕事場を訪ねなくてはと思った。

 車の免許を取って各地を回り始めると、さまざまな所でアケビ蔓細工を探した。

 その頃アケビ蔓の生産地は長野県野沢温泉、福島県会津地方、宮城県仙台・泉岳の根の白石、宮城県鳴子温泉、岩手県沢内村、秋田県横手周辺、山形県の庄内地方や月山、羽黒山、新庄のあたりと聞いていた。

 これらの産地の中で東京近辺の民藝店が最も欲しがったのが、会津若松の加藤茂吉(もきち)さんと秋田の中川原十郎さんがつくるアケビ蔓細工である。この2人が双璧だった。中川原さんは俗に言う寄せ編みづくり。加藤さんはびっしりと密に編むやり方。2人とも非常に上手な人だった。

 会津喜多方に県の建設事務所に勤める友人がいたので、彼の家に泊まりながら会津周辺をくまなく回った。とくに加藤茂吉さんの物を見たかったのだ。しかし、探してもなかなか加藤さんの工房がわからなかった。ただ、竹籐(たけとう)という昔ながらの会津の町屋を利用した竹細工店で見つけることができた。

 この店には加藤さんがつくる菓子皿や果物入れや一輪挿しなど、いろいろな物があった。とても欲しい物だった。そして、店の人に加藤茂吉さんの工房を教えてもらった。

評判の悪い人

 加藤さんは大柄な方で、妹やパートの女性を雇っている大きな工房を構えていた。あちこちから、ひっきりなしに注文が入るのだという。今は分けられる物が無いが、注文さえしてくれたら納められる。ただ、できれば前金にして欲しいという。

 私はこの仕事に入ったばかりでお金をほとんど持っていなかった。それで注文は諦めて、たまたまあった皿をひとつ現金で支払ってもらって来た。それでも、加藤さんのつくる物は魅力的なので、お金を少し持って再訪することにした。当時のお金で1万2000〜3000円だったと思うが、前金で渡して皿を何枚か、カゴをいくつか注文したのだった。

 ところが、なかなか物を送ってくれないのだ。電話をすると、もうすぐできるからと言う。その話をある民藝店にしたら、加藤さんには前金を渡しては駄目だと言われた。いつも物を送ってこなくて、うちも何度もやられていると。他の店にも同じ話をしたら、その店もやられていた。評判の悪い人だったのだ。

 それで、私はこういう人もいるのかなとあわてて加藤さんの所へ行った。すると、しぶしぶあった物を分けてくれた。この人はちょっとまずいなと思ったが、魅力的な物が多いので、どうしても欲しくなる。しかし、前金と言われる。それで、自分の実情を話した。お金が無い自分が注文をするのは大変なことだと。

 加藤さんはよくわかった、あなたにはちゃんと送ってあげるからと答えた。その言葉を信じて、また前金で前回以上の額を支払ってしまった。今度は大丈夫だと思ったが、また送ってこないのだ。それで、とうとう喜多方にいる友人に工房へ行って催促してもらった。そのこともあって、この人との関わりは辞めることにした。

加藤さんがアケビ蔓を編んだ物。
私の家で大事に使っている。
笹竹でつくる茶碗カゴのかたちにして、サイズを大きくした。
とてもしっかり編まれている佳い物だ

つくり手を知る

 アケビ蔓細工は中川原十郎さんと加藤茂吉さん、この2人がつくる物だけを仕入れていた。当時から荒物屋で編組品を買うことは嫌で、つくり手から直接手に入れていた。

 本人に直接会うのは、つくり手自身について深く知りたいと願うからだ。加藤さんにも編組品づくりを生業にするまでのいきさつを尋ねた。

 加藤さんは戦後間もない20代の頃、仕事が全然無かった。ただ、非常に器用だったため、市が募集する、県の物産品の手仕事の技術者に応募した。すると、アケビ蔓細工をつくれと言われたという。ところが、会津周辺にはアケビ蔓自体は採取できても、それを編み組みする細工の伝統が無かった。それで野沢温泉の方へ修行に行かされたのだそうだ。野沢温泉で3年間修業して戻って来た。

 当時の野沢温泉では、アケビ蔓の質が悪いせいか、皮をきれいに剥いて、白い籐のような状態で製品の多くがつくられていた。それが野沢温泉のお土産として有名になった。

 しかし、加藤さんがつくる物は野沢温泉的というよりも、工業試験所などで技術者が教えているかたちをそのまま踏襲していた。

 その後、お亡くなりになられたという話が伝わり、この上手なつくり手の歴史も閉じられてしまった。

皿を大きくしてまとめて新聞容れにした物。
脚がなかなか洒落ている。
加藤さんの工房周辺にはアケビ蔓細工をする人が少なかったので、
近くで良質のアケビ蔓が採れたそうだ

日本海沿いの調査行

 加藤さんと縁が切れてから、彼のような佳いつくり手に出会えないかと、ずっと想いを抱いていた。

 平成になって、日本民藝協会の工藝調査として各地を回るようになると、私の意識が変わった。つくられている物を選び、もらうだけではない。つくり手に助言して、使いやすく、佳い物に導いていかなくてはと考えるようになった。今まで、回っていなかった所も佳いつくり手と物を求めて探し訪ねた。アケビ蔓細工の仕事がある鶴岡、酒田の庄内平野や村上方面なども調査がきっかけで、旅することになった。

 当時の村上には地域の民藝品を指導、開発して「東北工藝」として日本中の民藝店に販路を拡げる、佐藤さんという、優れた方がいた。とても人柄が良く、多大な功績を果たした人だった。ただ、かなりの高齢で、もうこんなことはしていられないと言われた。

 私が訪れたときには鶴岡には、彼が注文してつくった物が街中にあふれていた。民藝品をつくる小さな工房がたくさんあったのだ。ただ、どちらかというとお土産品的な物が多かったため、私はあまり手を出さなかった。

 現在鶴岡市に編入されたが、温泉地で知られる温海(あつみ)に日本海に面した旧街道に早田という集落があって、コケシづくりで有名な人がいた。朝市も催す街の手前に集落があって、風情豊かな所だった。温海の先には源義経伝説で知られる鼠ケ関の漁港があって、直接、海のものが食べられるような茶店があった。

 そこで食事していたら、アケビ蔓細工の一輪挿しのような物が架かり、花が入っていた。付近は海に面しているから、こうした物はつくれず、庄内平野でつくられた物を買ってきたのだろうと思っていた。店の人にどこで買った物か聞くと、このあたりにつくっているおばちゃんが1人いるという。驚いたが、この時にはどこでつくっているかまではわからず、探らなければと思った。

日本海沿いの風景(撮影/鈴木修司)

新たなつくり手を発見

 それから半年ほど経ち、鶴岡市近辺を通っては、いろいろな人につくり手のことを尋ねた。ほとんどが、そんな人はこのあたりではいないと答えた。しかし、1人だけ、本間和子(かずこ)さんというおばさんがカゴをつくっていると教えてくれた人がいた。

 早速、訪ねてみたのだが、本間さんの家は見つからなかった。昼間、このあたりの人は働きに出ているから不在で、どの家も閉まっていた。それでその時は諦めたのだが、何回か通っているうちに、「道の駅」が数年後出来ていた。そこに入ると、アケビ蔓で編んだ花瓶などが置かれていた。アケビの色が赤々としていて、とてもきれいで、つくり手を聞いたら本間さんの物だった。

 すぐ近くの早田(はやた)という所に本間さんは暮らしているという。なんと、いつも通っている集落ではないか。公民館のすぐ横の家だから、すぐにわかりますよとのことだった。

 実際、集落に行ったら、この地域に多い苗字の本間さんの表札を見つけることができた。家の中から元気のいいおばさんが出て来た。アケビ蔓細工のことで訪問したと言うと、「私は趣味でつくっているの」と本間さん。

 物を見せて欲しいと頼むと、よいかたちの山刀の袋を出してきてくれた。ナタテゴといって、この辺では使わない物だけど、どこかでこういう物があると聞いて、真似てつくったのだそうだ。お花入れにいいかと考えたのだとか。

 そのナタ入れをいただいて、「手仕事日本展」に出品した。すると、かなりの評判だった。本来のナタテゴを自分でアレンジしていて、かたちがなかなか良かった。

 ところが他の物は創作している過程で、それほど仕事も上手ではなかったので、あまり気に入らなかった。いつも電話でナタテゴをつくっておいてと頼んでは、近くを通ると、ついでにもらうという状態がしばらく続いた。

本間和子さん(撮影/久野恵一)

参考にした本を見せてくれる本間和子さん(撮影/鈴木修司)

素人から始まった仕事

 本間さんの仕事場に入って行くと、山のように積まれたアケビ蔓が目に入った。今時、アケビ蔓を採る人はあまりいないし、ちょっと山に入って行けば、アケビ蔓はたくさんあるからという話だった。山に行けば、夢中になって採るから、これだけ溜まっていくんだよと。その噂を聞きつけて、東京からどこかの女子大の先生が来ては蔓を分けて欲しいと来たこともあったそうだ。

 工房には籐細工の本もたくさん置いてあった。これを見ながらつくっているのだと本間さん。自分はまったくの素人で、この本を見ながらつくっているのだと。この地域にはアケビ蔓細工の伝統は無かったけれど、腰に付ける腰テゴという物があって、それを自家用でつくっていたという。これ以外の物はつくっていなかったそうだ。

 腰テゴは腰に巻いて砂浜に出て海苔を入れる道具。これをつくる技術はあったが、その時は嫁に来たばかりでつくれなかった。地域の年輩者はみんな自分でつくった腰テゴを腰に提げて海苔や海藻を採っているのに、自分だけはPBバンドで編んでいる物を買って来て使っていたので目立ち嫌になった。自分も自然の物を付けたいと、編み方を練習しようと地域の人に聞いた。当時、集落につくれる人が5〜6人いた。教わり、自分で編んでみたら、とてもおもしろかった。それでまずは腰テゴからつくりはじめたという。

本間さんの工房。アケビ蔓が大量に保管してあった(撮影/久野恵一)

本間さんが使う道具類(撮影/鈴木修司)

本間さん制作のナタテゴ

元気な女性

 ご主人は漁師だったが、先年亡くなられてしまったという。しかし、財産を残してくれたから生活には困らないと話す。存命の時には漁の手伝いをしていた。カゴをつくるのは冬場の漁が厳しい時で、道の駅に物を出せば現金になったそうだ。

 本間さんは体つきが頑丈だし、田舎のおばさんという感じはしない。歳の割には若いし、化粧もする。彼女の過去を尋ねると、18歳の時、東京の総務省に就職し、国際交流基金の運転手だったという。外国からの賓客を国際文化センターへと送る仕事に就いていたのだ。若い彼女の仕事が話題になって、毎日新聞に大きく取り上げられたらしい。英語はあまりわからないけれど、話しているのを横で聞いて、少しは覚えたとか。

 もともとは鶴岡方面の出身だが、仕事を辞めてから、この地域で結婚し、漁師の奥さんになった。今はやることもないから、アケビ蔓を編んでいるのだということだった。

 籐細工の本を見てつくった物の中に小さな皿があった。材料が活き活きしていて、とても良かったため、欲しいと思った。それでも、まだ店で扱うほどの出来ではないなと思い直した。

工夫の人

 それでも、この地域を通ると、会いたくなる人だった。寄るたびに、ナタテゴをもらっていた。そのうちに、だんだん仕事が上手になってきていて、新たな物を開発した。そうして、工房に置いてある物を見ると、わりと欲しくなる物もあった。だが、それらは道の駅で販売する物だから分けられないと言う。   

 材料の質が良いし、編み方がとても洗練されていた。かなり工夫して、編んでいて気になることは止めたり、その部分を消そうと心がけていた。

 たとえば、寄せ編みづくりだと、どうしてもつないだ部分の目が見えてしまう。それはかえって弾力性が富むように見えるのだけれど、びっしり「ござめ」で編んでいく方法だと、継いだ所が見えてしまうと気になるものなのだ。

 彼女はその継ぎ目が見えないように編んでいた。彼女自身がそうした編み方の意識を持って、取り組んでいるとわかって、たいしたものだと思った。

 なかなか仕事ができる人だと思うし、素晴らしい感覚も備えている。本格的に取り組んだらきっと良いつくり手になると思った。

 腰テゴをつくれるようになった本間さんは、一輪挿しみたいな物や、籐細工の本を見ながらつくった物を近所の人にあげたり、小遣い程度の代金で売るようになる。そのうちに道の駅ができたので、持って行くと、とても売れた。それで、さらに編み方を工夫して、いろいろな物をつくりたいし、見ていて気になるところは改善したいと考えるようになる。それで今のような物をつくりだしていったのである。そのうちにお客さんが直接来て、こんな物をつくってくれと頼まれ、その通りの物をつくったりした。

籐細工の編み方を真似た買い物カゴ。
アケビ蔓の特性が活かされ、手の部分がしっかりとしている。
また、手に持った状態で物が入りやすいように配慮してある。
本間さんはかなりの研究家だ。アケビの色も活き活きとして魅力的だ

編み方の基本形が見える皿。5本の蔓を一束にして挿しこみ編み上げていく。
蔓の繋ぎ目は全部、裏側で処理され、表側にはまったく見えない。
こうしたつくりから本間さんの意識がとても高いことがわかる。
蔓はあえて色が違うものを組み合わせている。
それに造りが華奢ではなく、がっちりしているのが佳い

皿を立てたかたちにして、新聞容れをつくって欲しいと発注した物。
つくりは加藤茂吉さんの物よりがっちりしている

赤ちゃんを容れるようにつくったカゴ

生業は難しい

 今回の取材でかごやざるの編組品の仕事をする人々を訪ねて、はっきりと実感した。生業として生き延びることができるのは、山ブドウやクルミの皮を用いた樹皮や蔓細工であるということだ。都会の婦人方が持っていて喜ぶ物をつくっていれば生活には困らないだろうし、ある程度の金額でも買う人がいる。

 しかし、日用品や生活道具としての編組品をつくって生計をたてていくのは絶対に無理だと思った。対価を得ようとすれば、価格は相当に高くなる。とても一般の人が手の届く金額にはならない。

 となると、高級品として売れるのは、バッグなど女性が高くても欲しいと思える物だけ。すると、編組品が美術品のようになってしまう。かといって美術品をつくるには、そういう世界でセンスを磨かなければできない。これは地方の人には無理な話だ。だが、稀に本間さんのような優れたセンスをもち、器用な人もいる。彼女のように、小遣い程度の現金収入でよしとする人が上手になっていけば、日本の伝統的技術が案外続くのかもしれない。

 ともかく、元気がよくて、前向きで、都会的なセンスを持ち合わせた地方の人が編組の仕事に携わっていくことに拍手を送りたい。

 本間さんは80歳近い方だけど、元気な間、好きな仕事を自分の才覚を活かしながら続けていってほしい。

 今、中川原信一さんが見事なアケビ蔓細工の仕事を続けているが、年齢は私と同じ65歳。これから仕事を続けられるのは、せいぜい10〜15年だろう。後は息子さんが継ぐかもしれない。他から習いに来るのは、すぐに製品にして売り出したい人ばかり。ゼロから初めて修練していくという持続性が無く、結局、みんな辞めていってしまうのだそうだ。

本間さんが制作した鍋敷きの台。縁の部分の裏側を頑丈にしてある

本間さんの茶碗カゴ。加藤さんほどの技術は無く、まだ大きなサイズに編むことはできない

今後につなげていくには

 危ういアケビ蔓細工の将来だが、今後、本間さんのような立場の人が出てきてくれればと願う。そういう意味では焼き物は楽だ。2~3年修行して、大学で美術的なかたちなどを見て、真似て、ロクロを引いて、少し変わった物をつくって出せば、それを簡単に選び、売る人が多い。技術的にもレベルが低く、クリエイティブでもなくて、他人の物まねをして、変わった物をつくろうとする。それが売れるからと、また、眼識力の無い人が現代のセンスに合うからと選ぶ。そんな若者向けのショップが増えてきている。また、デザイナーやきれいな写真などを利用して、手仕事の物を特別な物に見せている店も多い。そんな店や販売方法が長続きするとは思えない。

 手仕事を礼賛するのはよい。だが、手仕事の本質的な良さや、つくっている人の基本的な態度、歴史的な伝統をきちんと見極める力が無ければいけない。安易にものづくりしている人たちを持ち上げてしまって、価格も見合ったものでないものにしている。

 こういう仕事は労働対価が非常に低いが、苦しいから佳い物ができるのであって、またそれを販売する者も、苦しい中で販売していくという理念をきちんと持たなくてはいけないのだ。

 最近思うのは、民藝的な手仕事をする人の中にも、恵まれている人と恵まれていない人とにはっきりと分かれているということ。恵まれていない人と物は加速度的に消えていっている。それで、ちょっとつくれる人がいれば、みんなで奪い合うような状況になる。

 つくり手側の努力も必要だし、どういった物をつくっていけばよいかアドバイスをするような、情熱的な志を持って関わる人もいなければ、こういった仕事は継続できないのだ。

 本間さんのような明るく、元気で、前向きで、器用な人、かといって自分を出そうとは微塵にも思っていない人。こういう人を探し出して、つなげていく方策に取り組まなくてはいけないなと強く感じた。

籐細工の編み方を利用し、チリカゴを本間さんが工夫してつくった。
籐は色が白くて力が無いが、このアケビは皮を剥いていないし、
見るからに元気がよい。素材の力の違いがはっきり観て取れる。
中川原さんのような、洗練されて弾力のある細工とは、
ちょっと違う野趣があるのが魅力だ。
青森のアケビ蔓細工もこのくらい野趣のある物へ持っていけたらいい