手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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Kuno×Kunoの手仕事良品

甲州郡内ザル

甲州郡内ザル

2013年6月26日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏

見過ごされた竹細工

 日本の手仕事良品を取り上げた、柳宗悦の著書「手仕事の日本」にも竹細工の産地はほとんど出てこない。昭和40年代頃から、ようやく日本各地の竹細工、カゴ、ザル類の調査や日本民藝館展への出品により、編組品の優れた手仕事の紹介が始まった。
 明治、大正、昭和はじめ頃まで一般家庭が日常で使っていた生活用具には竹細工が多かった。とくに関東地方はザル、カゴ類が流通し、当たり前のように農作業や台所などで使われていた。それらは、使いこんだというよりも、使い古した物になってしまう。泥が付いたり、汚くなったりして、美しさをあまり感じない。    
 また、あまりにも見慣れている日用品だ。そのため、おそらく柳先生の時代には、竹細工のよいかたちを見過ごしてしまうことがきっとあったのだろう。
 著書にピックアップされた物は際立った造形や様式美を持っていた。その選択の視点からすれば、竹細工には眼が届かなかったのだと思う。ちなみに、この本において、山梨県で選ばれた物は革細工の印伝や紙漉き程度だった。

富士山(撮影/松本のりこ)

灯台もと暗し

 私が平成の手仕事調査で各地を回ることになったとき、山梨の河口湖に別荘を持っておられた、新宿「すずや」の奥様が私の店に遊びに来た。奥様は、河口湖のそばで竹細工がつくられていると教えてくれた。素材は細い竹なのだが、つくりはしっかりしていて値段も安いとか。「久野さん、どうして観に行かないの?」と言われてしまった。
 それまで、長野方面に出かけるのに、河口湖を通っていたのに存在に気づかなかった。この周辺には良い竹細工が無いという一般論もあったため、軽視していたのだ。
 「甲州ザル」の情報を耳にして、まずは確認してくるようにと、もやい工藝で車が運転できる女性の社員に現地へ向かわせた。行けば、簡単に見つかり、町村合併する前の勝山村で村の役所が関係していてこの付近の人たちにはよく知られていたようだ。
 勝山は河口湖と西湖の中間あたりにある小さな村。富士山の樹海が国道136号線をはさんで広がっている。この村に勝山郡内ザル学校(現・富士河口湖町勝山スズ竹伝統工芸センター)があって、廃校になった小学校の一部を使って老人たちが昔ながらのカゴづくりをしているということだった。
 そこにあった物を持って帰ってきてもらった。スズ竹という笹竹系のかなり柔らかい竹ひご(竹の茎を細かく割ってつくられた細い棒)で編んだザルで、ゴザ目編み(縦の竹ひごは一定の間隔にして、横の竹ひごは目をつめて編む方法。編みこんでいくと、ゴザのようになる)という簡単な編み方でつくられていた。
 底の編み方は笹竹系を素材とするザル独特のもので、網代で編んで巻いていく(狭い数本の竹ひごを揃えて編み上げていく「網代編み」)手法が採られていた。
 早速私はこの甲州ザルを調査するべく、地域に向かった。勝山郡内ザル学校には年輩の老人たちが20人くらい共同作業をして、ザルをつくっていた。その人数の多さに驚いた。しかし、技術的には下手な人ばかり。一番奥にいた代表の小佐野幸人(おさのゆきひと)さんに話しかけると、「何をしにきたんだ、お前は」と怒鳴られた。
 このあいだ、店の女性が見に来ましたと言うと、「ああ、あの車を運転してきた、元気のいい子だね」と思い出してくれた。実は日本の手仕事の実態を各地で探っていて、まさか神奈川県の隣のここで、こういった物がつくられているなんて知らなかったと伝えた。
 なんだ、こんな有名なザルを知らないのかと、小佐野さん。作業場では彼を中心におじいさんやおばあさんがザルをつくっていた。この甲州ザルは関東地方一帯で米を研ぎ洗うための米揚げザルやソバザルを供給していて、とくに米揚げザルの数が多かったという。
 甲州ザルというと山梨全般の製品と思われてしまうから、自分たちは「甲州郡内ザル」と呼んでいるとのこと。郡内といえば、この地域を指すのだとか。ザルのほとんどは浅草の合羽橋に納め、そこから東京含めた関東一円に広まっていった。現在の合羽橋は業務用の厨房用品が扱いの主だが、以前は一般家庭用のこうしたザルを供給。一般に「甲州ザル」といえば米研ぎ用のザルとして知られていたそうだ。

かつては米研ぎザルとして関東一円で普及した甲州ザル。底は網代編み

ザル学校始まる

 私たちはこのザルの存在を知らなかった。このような簡素な竹細工には特徴的なかたちが無いことが、見過ごしてきた要因かもしれない。たとえば、柳宗悦先生の物の選び方は見どころが必ずある。様式美とか模様美、造形美など美を感じさせる物の中から選び抜いている。
 そういう意味では、単に手仕事の物という普通のザルはたぶん選ばなかったのだろう。また、自分の家でも使っていた、ありふれた日用品ゆえに、このザルが貴重な物だとは当時は思わなかったのではないだろうか。
 ところが昭和30年代にはプラスチック製品が普及。家庭で使う用品が全く変わってしまい、こうした竹細工のザルが希少な存在になっていった。
 昭和60年頃には、時代の変遷のまま勝山村のザルが消えてしまうのは惜しいから、なんとか少しでもつくり続けられないかと活動が始まった。昭和30年代の初めまではたくさんいた、甲州ザルのつくり手もほとんど仕事を辞めていた。ところが、昔つくっていた人に呼びかけると、仕事が上手で活動を中心になって進められる小佐野さんが見つかった。
 彼がリーダーとなって、かつてのつくり手を地域で集めた。そのほとんどが河口湖畔に暮らしている人たちだった。勝山村は河口湖町に接していたのだが、勝山村に住む人を呼び集めてザル学校として、伝統的な甲州ザルをつくる後継者を育てようと始めたのだそうだ。
 集まった人はほとんどが80歳以上の年長者だった。中には、退職して暇を持て余している人もいた。幼い頃につくっているのを観たことがあるから、やってみたいと。そういう老人会の楽しみという感じでスタートし、廃校になった場所に集まって、みんなでお茶を飲みながら制作を始めた。
 つくった物は老人会の発表会や山梨県の物産展や品評会に出品したりして、町長賞を受賞すれば、賞状を飾ったりした。こうして老人の楽しみとして始めたが、つくっているうちに、ザルをどこかで見つけ、たとえばソバザルとして使ってみたいという人や、昔ながらの米研ぎザルをつくってほしいという人が現れた。その頃から手仕事の物を日常で使ってみようという風潮が出てきたのである。それで、少しずつ売れるようになったという。その矢先に、私たちが甲州ザルを手仕事日本展に山梨県の代表格の物として出したいと考え、現地を訪れた。関東地方は手仕事のよい物が少ないのだが、とくに山梨県は「手仕事の日本」が取り上げた、印伝くらいしか無かった。

作業風景(撮影/松本のりこ)

富士山のスズ竹でつくる

 勝山郡内ザル学校でつくられた物は誰かに預けるのではなくて、つくり手自身で売ってもいいという決まりになっていたという。ただ、甲州ザルははっきり言って普通のザル。これ自体は昔ながらの米研ぎザルのありふれたかたちだが、素材には特徴があった。富士山の3合目付近に自生するスズ竹を用いているのだ。富士山のスズ竹を採るには宮内庁の許可を得るのだそうだ。年に数回、限られた時期に、山に入ってみんなでいっせいに採取して、竹ひごにしている。
 富士のスズ竹はとても細く、粘りそのものはあまり無い。しかし、その柔らかい素材を関東地方独特の網代底で編み、上に立ち上げていくかたちは特有のものだ。高冷地で、農作物に恵まれていない地域だっただけに、かつてはこういう副業が一気に広がっていったのかもしれない。
 この竹は柔らかいため編みやすい。女性でも編める。素材を採りに行くにも宮内庁の許可を取るだけで、集めるのがさほど難しくない。また、硬くないから竹割り機にもかけやすい。ただし、きっちりとは編めない。民藝で言う、精緻な仕事とか、優れた手仕事いう観点に照らすと、少し疑問が生じる物かもしれない。ただ、今の時代において、こういう物を日常的に使うのはとても大事。そういう意味で、私は甲州ザルを取り上げないといけないかなと思った。
 だが、極めて上手な人がいないとか、下手なつくり手もいるということ以前に、このザル自体からはみなぎる力はあまり感じられないのは事実。それに、竹の細さ、柔らかさゆえに、あまり丈夫そうでもなく、破損率も高い。そのため安価な消耗品として合羽橋などで扱われていた物だったのだろう。
 宮城県岩出山地方には、このザルと同じようなかたちの物がある。素材の竹は富士のものより硬く、しっかりしている。つまり、甲州ザルが良い竹細工だからという理由ではなく、手仕事日本展の山梨県代表として他に該当する物が無いために出そうとした。
 ザル学校とは深く付き合うことはなく、何年に一回かのペースで手仕事日本展を催す際に顔を出すくらい。甲州ザルへの関心、関わりはその程度だった。

ザル学校に足を運んでいるうちに、甲州ザル以外にも手がける竹細工があることを知った。
小佐野さんは背負いカゴをつくっていた。

関東地方独特の六つ目編み(カゴ目編みとも呼ぶ)という
外側からサポートして内側を守る二重の編み方でつくられている。

素材は真竹を用いるのが一般的なのだが、ここではスズ竹を使っていた。

これはたぶん関東地方の他の背負いカゴを真似たか、誰かが注文を出した物なのだろう。

造形的にしっかりしているし、縁のつくりが太いから良いなと思って、私も注文して、手仕事日本展に出品した

5升くらい入る大きな甲州ザル。これくらいのサイズの方がかたちはしっかりしている。これも手仕事日本展に出品した

手仕事を継ぐ老人会

 ザル学校へたまに行くと、以前いた人の姿が見えない。「卒業しましたよ」と小佐野さん。「卒業」というのは亡くなったということ。この学校にはけっこうな入れ替わりがあるのだ。7〜8年前には急に人数が少なくなっていた。
 また、町村合併して場所も変わり、箱物としてつくられたセンターの一室に作業場が設けられていた。そのため、甲州ザルは、正確には勝山の甲州郡内ザルではなく、河口湖町のザルとなった。
 移動後の作業場を訪ねると、それまでのメンバーは誰もいなかった。みんな卒業してしまったのだという。いちばん仕事が上手なリーダー、小佐野さんも亡くなられていた。彼の代わりに、若い頃、甲州ザルをつくっていた小佐野さんの弟さんがリーダーとなって、技術を教えていた。
 この学校には明確な先生が不在で、仲間に加わると、まず先輩が手取り足取りしてつくり方を教えてくれるのだそうだ。慣れてくると、自分でどんどんつくる。そして、つくった物は自分で自由に販売していく。材料代だけはみんなで支払うらしい。
 この学校は老人の気楽な手仕事作業場であり、都会にもある老人会と性質は共通している。ただ、都会の会が完全に遊びの要素が強いのに対して、ここではうまくすれば売れるということで、みんな張り切る。これはひとつの方向を示していると思う。
 竹製品のような細工づくりは基本的に日当計算したら、とても割に合わない。一日1〜2個という単位でしかつくれないとなると、生活の糧とするのはとても難しい。そういう意味で、こうした手仕事の物を継続させていく方法のひとつとして、こうした老人会のものづくりもあるのかなと思う。
 退職した60代以降の人が何もすることがなくて、何か手仕事をしてみたい、あるいは昔の経験を活かしてみたい。そんな手仕事に興味があって器用な人たちに教える人がいて、見様見真似で習っていく。そのうちに売れるようになれば、生き甲斐にもなって、いずれはプロになれるかもしれない。年金生活の人が小遣い稼ぎ程度のことができるようになるわけだ。マイナーな手仕事が生き延びるための道のひとつとしてお手本になるのではないかと思う。
 きちんとした歴史のあった物を継続していく、ひとつの手立てになるのではないか。そういう意味で、今回、甲州ザルにスポットを当てた。決して今は上手な仕事ではないけれど、売れれば、上手になっていくかもしれない。そうして伝統が守られ、この手仕事が継がれていけば、何かのきっかけで華開くこともあるのではと期待したい。

ソバザルもつくられている。ソバ以外にもいろいろ使い途がありそうなザルだ