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Kuno×Kunoの手仕事良品

伊賀丸柱の土鍋と日常雑器づくり向けて

伊賀丸柱の土鍋と日常雑器づくり向けて

2013年12月25日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏

土鍋が消えていく

 伊賀丸柱に初めて行ったのは、車の免許を取って間もない頃。1974年頃のこと。当時、伊賀丸柱は土鍋の産地で、その中の森里(もりさと)製陶所では、日本中の民藝品店に、青地釉の土鍋を売っていた。
 伊賀丸柱にはたくさんの窯があったが、森里製陶所をすぐに見つけることができた。当主に土鍋を20個卸して欲しいと聞くと、勘弁してくれと言う。ここは工場だから、規模が大きすぎて1,000個単位の注文しか受けないのだと。それほどの数の注文は無理なので、店に土鍋を置くとしたら、卸業者を介して頼むしかない。それで、仕入れは諦めて、帰ろうとすると、当主は「うちもそろそろ仕事を辞めますよ」と言った。その頃がちょうど日本中にガスが普及してきたタイミングだった。伊賀の陶土は土鍋に最適な土なのだが、ガス火で炊くと熱効率がよくて火力が強いため破損してしまう。それで返品が多くなってしまったのだとか。それでやっていけなくなったから2〜3年後には仕事を辞めますということだった。実際、その後、各民藝品店から土鍋が消えていった。

研修旅行

 もやい工藝はかつて私以外にスタッフが5人いた時期があり、毎年、研修旅行をしていた。その旅行で日本六古窯を見ておかなくてはと、瀬戸、美濃、信楽、伊賀、常滑を見ようとみんなで出かけた。
 その際、約20年ぶりに伊賀の伊賀丸柱を訪ねた。丸柱の里には、陶芸会館があり、里の窯元の代表的な製品が売られていた。そこに行けば、各窯元の実態が見えるし、何かおもしろい物が見つかるかもしれないと中に入ってみた。
 ところが、瀬戸、美濃と同じように、心に訴える物は無かった。民藝的な物もいっさい無かった。しかし、ひとつの窯だけ、このつくりならいいかなと思えるものがあった。カネダイ陶器という窯だった。とりあえずこの窯に寄ってみようかと、訪ねてみた。
 里山からさらに山に入って行った傾斜地に風情ある建物があった。ついこの前まで使っていた登り窯も残っていた。だが、当主は不在で、奥さんが留守番しておたので、改めて訪ねますと名刺を置いて帰った。
 しかし、こうしてカネダイ陶器を訪問したこと自体はすぐに忘却してしまった。手仕事フォーラムを立ち上げた後、2004年の6月、名古屋で民藝店を営んでいた、有力な仲間の上砂(かみさこ)君と一緒に、伊賀丸柱のあたりで新しいものを開発しようと訪ねることになった。このときも陶芸会館にある物を見ようと入った。中に入って、以前、研究旅行でここに来たことがあると思い出した。よい土鍋を探したいと見て回っていると、雑器類を置いてあるコーナーが目に入った。そこにはカネダイ陶器と書かれていた。以前、カネダイ陶器を訪ねたことを忘れていた私は会館の人に場所を聞いて、地図を頼りに目指した。

昔ながらのかたちに出合う

 そのとき、カネダイ陶器に行く際、やまほん陶房を通過したところ、ちょうど青年が物を持って工場から出てきたところだった。私は直感的にその顔立ちに惹かれ、近づいていった。青年の名は山本忠正君という。この窯は京都や信楽の有名な卸問屋の下請けが主で、特に土鍋を鋳込みでつくり日用品なども出荷していた。
 山本君は自身でも土鍋を制作し、京都のギャラリーなどで個展も積極的にしていた。その土鍋を見せてもらったら、自己主張の強い物だった。落胆したが、工房の奥にたまたま置いてある土瓶に目を向けると、これがなかなかいいのだ。
 伊賀丸柱は昔、一般的な土瓶よりも一升以上多く入るような大きな土瓶で名を馳せていた。日本民藝館だけでなく、各地の民藝館で伊賀丸柱の緑釉の土瓶が展示されている。当時は葉茶を飲むため、茶こしの部分に大きな穴が3個しか空いていない。今ならばその穴から葉が出てしまうが、昔は葉を入れて煎じて飲んでいたから大きな穴でもよかったのである。
 山本君のつくった土瓶はかたちがそうした昔ながらの素朴さがあった。注ぐ口のバランスもよかった。聞けば、昔、自分の家にあった土瓶を見ながら、注ぎ口を注意しながらつくったのだという。なかなかいいじゃないか、どうしてもっとこのかたちで土瓶をつくらないのかと聞いた。なかなか売れないし、伊賀丸柱は土鍋の生産地だし、卸し問屋に物を出すのに精一杯で時間の余裕も無いようだ。私はこの土瓶がよいから、同じような物をつくってくれないかと依頼した。
 山本君は金沢美大を出て家業を継いでいた。美大を出て、作家活動をしているのかと聞くと、にやっと笑った。どこかニヒルな男なのだ。いずれは個展を開いて作家活動で生きていきたいのだとか。
 そんなことをやっても、世の中のためにはならないと諭した。作家としてのし上がっていくには、力を持つ人に接待をするなどして交流を深め、つながりを持っていかなくてはいけない。だが、君はそういうことができるタイプではないだろう。それよりも誠実に仕事して、世の中のためになるような物をつくるようにと話した。そして、2〜3ヶ月したらまた来るから、土瓶をつくっておいてほしいと山本君に頼んだのだった。
 やまほん陶房の後、カネダイ陶器に向かった。実はこのときは2度目の訪問なのだが。またしても当主が不在だった。それで、奥さんと話していたら、以前、私が訪ねてきたことを覚えていた。陳列棚の雑器類を眺めていたら、その中にわりといい土鍋があった。

やまほん陶房の山本忠正さんに助言する(撮影/川崎正子)

山本忠正君がつくった土瓶

白が美しい伊賀陶土

 伊賀の陶土は白くてきれいな色をしている。この白を活かす方法は無いだろうかと考えた。ただ、この陶土は焼き締まらない性質があるため、日用雑器をつくると破損しやすいし、実用性には疑問を抱いた。
 それでも、この白の美しさは貴重だし、透明釉を掛けただけでも、とても品のある白になるので、絶対に食器にすべきだと思った。
 ところが、伊賀丸柱の各窯は京都の業者の下請けで制作しているし、主には伊賀陶土を用いていない。伊賀陶土に混ぜたりして破損しにくいような土を使っている。しかも、鋳込成型の物が多い。
 たとえばカネダイ陶器の製品の土鍋なのだが、土鍋は伊賀陶土でつくると、どうしても耐久性が無い。ガス火に弱い。そのため、ペタライトという鉱石を入れて、直火に耐えるようにしていた。それでは、せっかくの伊賀の白がきれいな土も活かされないと、そのうち伊賀陶土だけでつくった雑器類を制作してもらおうと考え、カネダイ陶器をあとにした。

土鍋は手仕事品ではない?

 日本民藝協会は柳宗悦が著した「手仕事の日本」に沿いながら、50年経過した現在の手仕事の状況はどうなっているのか調査をまとめ、知らしめるための手仕事日本展を平成5年(1993年)に催した。伊賀丸柱の調査もおこなう必要があった。
 当時、大阪の日本民藝協団が全国の協団系の店に伊賀丸柱の土鍋を卸ししていた。たまたま民芸店向きの土鍋を探していた盛岡の光原社もここから仕入れていて私は偶然目に触れることが出来た。その土鍋は嫌みのない姿とシンプルな釉薬で価格も安く、よい物だった。昔ながらの伊賀の陶土を使っていた。そのため、製品にはガスの直火にかけると必ず鍋が欠けるという使用上の注意書きを添えてあった。その説明にはガス火でも弱火なら大丈夫とも補足していた。一般家庭に普及するカセット式ガスコンロの火力程度ならば使い方さえ注意すれば割れないとわかったため、この土鍋も推薦しようと手仕事日本展に出品した。ただ、これは鋳込み成型の製品のため、手仕事の物のみと限定する自分の店で扱う物ではなかった。
 その後、もやい工藝でも冬になると土鍋が欲しいというお客さんが多くなり、当時はまだ伊賀丸柱に行っていなかったため、光原社から少し分けてもらい、店に置いた。その後、この土鍋も入手出来なくなったようで、それで上砂君と伊賀丸柱へ入ったのである。伊賀の里山はとても広いので、探しようがないので、まずは有名な土鍋づくりの工場を目指すことにした。
 この窯は大手の量販店や通販などに出荷する工場。ここではかつて大阪日本民藝協団が扱う物に似た、シンプルな土鍋が売られていた。しかし、この工場は規模こそ大きいが、大量につくる雰囲気はない。さらにこの工場からあちこちへ下請けに出しているように感じた。
 なぜかというと、きれいにショールームなどの施設が整えられ、観光バスが駐車できる場所もあるわりには、製造工場が小さかったからだ。
 それで二人で、周辺を聞きとりながら下請け工場を探すこととなった。馬田という地に土鍋専門の工場があると聞き、やがて松山陶工場という窯を見つけることができた。この工場は崖の縁に立ち、その斜面には昔の大きな窯場の跡が残っていた。
 プレハブの建物に入っていくと、鋳込み成型の土鍋が大量に飾ってあり、そのなかに大阪民藝協団が取引している物があった。工場の人によれば、大阪民藝協団に直接、製品を出しているのではなくて、信楽の業者を通していたという。それならば、この鍋を少し改良してつくってくれないかと尋ねると、いいと言う。ただ、注文は千単位でないと受けられないとのこと。有名な土鍋づくりの工場に納めているが、ここは万単位の注文をしてくれるのだという。
 この土鍋、今は伊賀陶土は破損が多いからほとんど使わず、ジンバブエ産のペタライトをほとんど入れているとのことだった。それでも、風情のあるかたちの物があったので、伊賀陶土だけでつくってくれないかと頼むと、もちろん注文数をある程度確保してくれればやってもいいと言われた。
 こうして注文すればつくってもらえることがわかった。

伊賀陶土のみでつくる

 それからしばらくして再度、やまほん陶房、カネダイ陶器、松山陶工場を回った。このとき、とくに、松山陶工場の土鍋をもやい工藝で置きたいと考えていた。当時は安全なものを提供する通販会社と関わりがあり、同社の生活雑貨チームに土鍋の提案をしてみたかったのだ。そうすれば、注文数をある程度多くできるから、この窯にも注文ができる。
 話しはすぐにまとまり、数ヶ月後には伊賀陶土のみでつくるオリジナルの土鍋が出来上がってきた。その土鍋は評判がよかったが、小さな店では継続して販売していくのが難しかった。需要と供給のバランスが悪いのだ。
 そんなとき、私の考えた物の良さを汲み取った、似た物がつくられ、ある都会の量販店に出回るようになった。価格はもちろん私の店や私の関わる通販会社のものより高い。ただ、そうなると私としては気分が悪いので、その後、この量販店は伊賀陶土だけを用いて白の美しさを出したこの鍋を1,200〜1,300円ほどの破格の値が付けられ販売されていた。それはこの土鍋が見切り品になったからであった。それで私は再び事情を知りたくもあり、先日、久しぶりに松山陶工場を訪ねた。そして私はオリジナル製品を他社のためのつくり、販売したことに対して遺憾の想いを伝え、さらに安売りされていることをどう感じるかと。
 一般には消費者は、いくら使用上の注意書きを入れても、面倒でもあり直火にかけてしまいすぐに割れてしまうこととなる。それで破損すると卸元に返品し、卸元はそれをそのまま生産元である松山陶工場に返し、請求額から差し引きされてしまうのだという。現に生産量の実に4割が返品されることもあるそうだ。それでは、自分たちも首をしめられているようで苦しいとのこと。ならば、もやい工藝がまた再び注文しようかという話しになった。

私が発注した松山陶工場の土鍋

これからの希望と期待

 この松山陶工場の数キロ先には山本忠正君のやまほん陶房とカネダイ陶器の窯があり、私が関わる3つの窯が一つの生産地で、それぞれが特性を持った仕事をしている。特にカネダイ陶器が現時点で、私の要望によく応え、手仕事をしてくれるので、伊賀陶土の美しい白を基本とした雑器類をつくり出していくにはうってつけである。
 とはいえ、伊賀陶土は焼き締まらない性質があるため、薄いつくりでは欠けやすい。使っていくと貫入(かんにゅう)が激しくて弱くなり、割れやすくなる。強度を出すためには厚めにつくらないといけない。そういったことを互いに話し合いながら、少しずつ、よい物ができつつある。カネダイ陶器の大矢正人氏は、よい仕事をしたいという前向きな気持ちをもっていて、年代が私に近くて話しも合うのだ。
 カネダイ陶器に制作してもらっている行平鍋は白く美しい。しかも使いやすく品がよいため、評判を呼んでいる。今後に期待したいのは、白い陶土をあくまでも基礎とした雑器類をつくっていくことだ。
 また、やまほん陶房の山本君もまた、とてもよい土瓶を常につくるようになっている。その中には鬼板という鉄の成分に藁灰などを混ぜてつくる飴釉を白い陶土に掛けたもので、色合いが冴えて目に映る。青地釉よりも飴釉の方が白との相性がいいようだ。
 山本君は鋳込み成型ではなく手仕事をする人なので、今も手仕事で土鍋をつくってもらい、昔ながらの青地釉と飴釉の2種類をもやい工藝で販売している。
 彼は仕事に対しての骨格を持っているし、そろそろ付き合いも10年ほどになる。いい年齢になっており、家業を継いで、下請けを中心に土鍋づくりをしつつ、自分の仕事をしていこうという気構えでいる。
 ロクロ成型の仕事をしているので技術も上達しているし、見込みもある。
 そんな彼にはご飯茶碗などの雑器類も提案していて、懸命に応えてくれている。山本君には、そういう意味ではこれからの希望が出てきた。あと5年ほどで、伊賀丸柱のこれまでとは違った新たな日用品を彼が生み出す可能性がある。 
 さらに、松山陶工場とは再び土鍋生産を始めるので、鋳込み成型ではあるけれど、手仕事の1/3に価格は抑えられ、使いやすい日用品としてこれから広めていく活動を展開していきたい。
 この3つの窯は伊賀丸柱という江戸時代から続く伝統的な仕事を持っていることが頼もしい。伊賀陶土のとても美しい白を活かした釉薬と、前向きの若いつくり手を啓発して、新たな活動にもっていける機運がある。これからとても期待できるし、そのためにも私たちは可能な限りの力を注いでいかなくてはいけない。私たちの力量も問われていくことになるだろう。

カネダイ陶器4代目、大矢正人さんと打ち合わせ(撮影/川崎正子)

カネダイ陶器の行平鍋

カネダイ陶器に発注した、オリジナルの皿類

右は山本君に頼んだ、うどん用のどんぶり。左は深皿。飴釉は平皿との相性はよくないが、このタイプならよいかと考えた

山本忠正君のつくる、伊賀丸柱の伝統的なかたちの土鍋。飴釉と青地釉