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Kuno×Kunoの手仕事良品

山内武志さんの型絵染め

山内武志さんの型絵染め

2014年3月26日
語り手:久野恵一 / 聞き手:久野康宏

芹沢C介さんの縁

 平成元年に日本民藝協会の手仕事調査が始まり、私は調査員のひとりに選ばれた。この調査を提唱されたのは四本貴資(よつもと・たかし)さん。染色工藝家であり、当時は東京造形大学の教授を辞めたばかりで、ブロック・プリントを得意としていた方だった。とし夫人(昨年末ご逝去)は染色家・芹沢C介の三女である。
 四本さんは昭和62年(1987年)に日本民藝協会の新たな役員人事で、再任された日本民藝協会会長である柳宗理さんから依頼を受けて専務理事に就任した。
 四本さんは芹沢さんがそれまでにしてきた民藝との関わりを身近にいたのでつぶさに見てきた。とくに気になっていたのは柳宗悦が戦前から戦後の手仕事の状況について著した『手仕事の日本』に載る小間絵だった。
 四本さんはこの小間絵への印象を強く思っていたらしく、本が出版されてから50年後の平成の時代に手仕事日本に紹介されていた日本の手仕事の現況を再確認する上で大事な事と考え、調べてみようと言い出したのだった。行動的なことが大好きな方だったから、柳宗理さんも賛成した。

型絵染の仕事場で工程を説明する山内さん

物が好きな人

 平成元年に日本民藝協会の全国大会が仙台で催され私が進行役をつとめた。この会に山内武志(たけし)さん参加され、このとき彼とはじめて面識し、話し合うことが出来た。名刺をいただき、実は芹沢さんの工房にいて、自分も日本民藝館展の館賞を最初に受賞したと話していた。よく話す方だったし、民藝の歴史についてもとてもよく知っていた。
 それから、物がかなり好きな人だったようで、今日飾られていた物のなかであれがいい、これがいいとか、自分はこんな物を持っていると話していた。こうして楽しい時間を一緒に過ごしながら山内さんとはとても親しくなった。
 その1年後、47都道府県の手仕事調査をどのような方向でおこなうかということになった。まず柳宗悦の選んだ手仕事の現状はどうなのかと調査が始まった。2年半ほどこの調査が続き、月に1度、第3土曜日に集まった。
 この調査は四本さんをはじめ、メンバー全員が楽しみにしていたようだ。調査により、今も健全な手仕事をしている地域はかなり限られていることがわかり、かつての伝統的なきちんとした手仕事を復活させる必要があるということになった。

芹沢さんからもらった下絵を仕事場に飾る

唐草模様を復活

 そして、どういったものを復活させるかメンバーで話し合ったとき、染めの専門である四本さんから絞り染めが提案された。絞り染めは名古屋の有松絞り、鳴海絞りがあるが、この2つがあれば十分ではないかと。昔あった、地方の絞り染めは壊滅状態で、それらを復活させることは無理だろうと。型絵染は芹沢さんの系統の人たちがいたが、昔ながらの染めをやっている人はいないのだ。
 この話しの流れで、唐草という模様は染めにとっては最も大事な模様だという話しが出た。唐草模様は西洋から中国を経て日本に入ってきて、多様な模様が展開されていき、それによって染めの仕事が大きく展開できたのだと。染めの技術が唐草のようなものをすることによってずいぶんとおもしろいものになっていったという話になった。
 しかし、この唐草を誰がやるのかという話になったとき、山内さんのことが思い浮かんだ。山内さんは以前唐草をやろうとしたけれど限界があるということを話されていた。
 しかし、四本さんは「山内がいいかもしれない」という。静岡には唐草の布団地などがずいぶんあったし、芹沢さんもずいぶん型に採り入れていた。それで、唐草ならまず風呂敷がいいだろうと。

仕事場にはプリミティブな置物がそこかしこに置かれている

型染めのパターン

物が好き

 私は山内さんに会い、どんなものをつくるか相談していった。そのころ、山内さんの代々あった昔の工房は浜松駅の北口、板屋町(いたやちょう)というエリアにあった。ここが土地区画整理で大きく再開発された。たくさんそのエリアにあった染めの工房がほとんど移転させられたり、仕事を辞めて無くなってしまったのだとか。ここも区画整理に伴い、代替した新たな土地にギャラリーをつくったのだそうだ。その開店祝賀会に誘われた。
 当時、それほど深いつきあいはなかったのだが、非常に嬉しいことだし、四本さんも呼ばれていたので、2人で新幹線に乗って向かった。このときから私は山内さんについてよく知るようになった。彼は染めの仕事をしながら、それ以上に物が大好きで、あふれんばかりに内外問わずに美しい品々をたくさん持ち集めていた。さらに、それらのコレクションを展示し多くの一に紹介したかったことからだろうか、この点は芹沢譲りなので、展示のやり方も熟知されていた。それから細かいこともとてもよく知っておられた。そんな経緯もあり、急速に山内さんと親しくなっていった。
 京都で日本民藝協会の集まりがあったときにも山内さんも来ていて、一緒に骨董屋を回ったりして過ごしているうちに、この人は染色家以上に、民藝の運動家的な立場なのだなとわかり、とても親近感を持つようになった。

仕事場に隣接する自宅。民藝の活動家らしい家の佇まい
仕事場の外壁に掛けられる刷毛。この並べ方からも山内さんの創造性が想像できる

モダンな模様

 そのうちに手仕事の日本の調査の成果として『手仕事日本展』が平成5年有楽町の阪急デパートで始まることとなった。その際、山内さんには唐草の大きな風呂敷をつくってもらった。ついこのあいだまで当たり前にあった模様だが、廃れたあと、20〜30年経って復活させてみると斬新な模様となる。しかも、昔のように緑色や紺の地のなかに白で唐草を描くのではなくて、山内さんの感覚と染色の技術によってさまざまな模様を展開することで、おもしろく、モダンな感じもする。
 その後、私が企画する手仕事展にも山内さんは出品してくれるようになった。唐草模様を座布団に施してみると、とてもよくて、今では山内さんの定番製品となった。
 この発想は私で、具体的な方法は四本さんが指示し、山内さんが自分なりの方向をつくりながら、唐草の新たな展開をしていった。何らかの古き佳き物は工夫しだいでは現代に展開することができるかもしれないし、無くなってしまった物もまた復活できるということの例になるかと思う。

一度は廃れた唐草模様を現代的な色と感覚で蘇らせた

伝統的な仕事、創造的な仕事を両立

 その後、山内さんの工房を訪ねることになった。工房はギャラリーとは別の場所にあり、規模が大きく、大変な数の仕事をこなしていた。山内さんは地元に密着した暖簾や袢纏(はんてん)などの注文にずっと応えてきた。これも大変なことだと思う。染色工芸を目指す多くの人達は著名な染色家に付いて数年学び、すぐに独立し、流れをうまく捕まえた人が工芸家になっていくようだが、山内さんは芹沢さんのところへ行く前に、自分の家が伝統的な家業として染色の仕事をしてきたということ、そのことが大切なことである。
 身近に染料、顔料、水、生地(布)があり、代々の仕事を祖父、父の傍らで眼で覚えてきた。焼き物の世界でいえば、いわゆる門前の小僧の感覚をもともと備えていた。それから芹沢さんのもとへ行ったことで、物が見えて、物が好きになり、芹沢さんにとても啓発、感化されて、よりいっそう物に執着するようになっていったのだった。 
 自分のつくるもの以上に物を選んで、悦びを持つという。そういう意味でも、山内さんは大切な人だなと思った。今つくられている物が大好きだということ。物が好きで、古い物も見ていて、今つくっている物も好きで、とくにつくっている物を自分で経営するギャラリー「ぬいや」で展覧会まで催している。普通だったら、染色の仕事をするだけで済むのに・・・。
 その後まもなくして、山内氏はこのギャラリーを開放して民藝の物を広めるための企画を立てて、手仕事日本展を年に一度催すようになった。山内さんは当時、遠州民藝協会をつくりあげ、民藝運動をされていた。山内さんは民藝運動の活動家としても立派なことをされていたし、物も見える。それから物を楽しむことができる。さらに芹沢さんの残した染色技術を対応しながら自分の仕事にもっていっている。
 創造的な人である一方、地元に密着した暖簾や祭りで使う法被(はっぴ)を染める仕事もされている。地元に密着して仕事をしながら自分の芹沢系の仕事をしながら、さらに独自の唐草の仕事をしている。夏になると暖簾もたくさん染める。こうして日本の伝統的な生地に染めるのも大切なことなのだ。

ギャラリー「ぬいや」の様子。アフリカやメキシコの家具が飾られる。
風呂敷の色合いも原初のたくましい色彩、造形美を感じさせる
浜松市内の鰻店の暖簾。山内さんが染めている
ほうきを用いて藍色のストライプ柄を創出

語り部としても期待

 山内さんの工房に行くと、いろいろな発見がある。芹沢さんがかつて手がけたものを復活させてみたり、昔、布が無かったときにドンゴロスという生地を染めてみたりとか、とても工夫をされていた。夏の暖簾を見ると、すがすがしいものや、芹沢調の重厚なものなどいろいろある。そういったさまざまなものを展開できるのは、やはり自分が物を見て楽しむ力があるからだと思う。
 それから「ぬいや」には、とにかく物がたくさんある。とくに芹沢さんの影響でプリミティブな物があふれ、アフリカの物やインドの木工品も含めて、店いっぱいに並べられている。
 これだけ物が好きで、物が見えて、民藝のあり方も知っていて、染色の仕事が民藝の深みのあるものに発展し、地方性的なものもできる。大変な方だと思う。山内さんがこれまで経験したことを、もっともっとみんなに知らせる必要がある。語り部としても大きな役割を山内さんには持ってもらいたい。

ドンゴロスに染めた作品