手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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抹茶碗

抹茶碗

2016年9月5日
語り手:横山正夫

 手仕事及び民藝において、抹茶碗はどのような位置づけにあるのでしょうか。
 雑誌「工藝」第五、六七及び七七号において、柳宗悦は民藝における抹茶碗について論じています。そこには「喜左右衛門井戸」茶碗を挙げて、「雑品のうちから逸品を選別した茶人の鑑識には敬服させられる。」として高麗茶碗を高く評価しています。
 しかし、利休以降、茶の湯が形式化し、茶の湯の決まり事に沿った抹茶碗を作るようになり、これらの作品は「お茶の条件を重んじ計画的に作っただけに、お茶向きではあり廃品は少ないにしても、雑器から撰んだ時のものの様な強さとか気軽さとか雅味とか云う点に物足りなさを感ずる。」と述べています。
 決まり事を満たすために作為を用いた作品には、健康的で大らかに生まれ出てきた作品とは言えず、どこか病的な脆弱さがあります。
 現代の我々は茶道の存在を知り、楽や織部、志野を知っています。一方ではデホルメされた形や模様も知っています。美術工芸の世界にいろいろな分野があるように、抹茶碗においてもいろいろな考えに基づく作品があって当たり前で有り、その中で自分の信条にあった作品を撰べば良いのではと筆者は考えています。
 「喜左右衛門井戸」を茶器に見立てた先人は、多くの雑器の中から、この茶碗を撰びました。どこから見ても平凡の一語に尽きるこの茶碗を撰べるような目を持ちたいと思います。名前に捕らわれず、決まり事に縛られず、多くの雑器の中から抹茶に使える茶碗を見つけたいと思います。
 本項では、筆者の個人的感覚で選んだ抹茶碗をご紹介します。
 
 最初は、以前の本項でご紹介した坂本茂木さんの抹茶碗二点を再度ご紹介します。日々膨大な数の雑器を作り続けた中から生まれた抹茶碗です。自然に手が動く中で生まれた形の美しさがあります。二点目は茂木さんが龍門司で製作したものです。

 次の作品は濱田庄司さんの筒茶碗です。奇をてらわない端正な形が魅力です。

 濱田晋作さんの抹茶碗です。作家としての自己主張はありますが、形には乱れはありません。

 従前ご紹介した河井寛次郎さんの抹茶碗です。昭和四年の作品ですが、すでに民藝の目指す抹茶碗を体現しているのではないかと思います。

 最後に、萩の抹茶碗を二点詳細にご紹介します。
 一点目は江戸末期の抹茶碗です。元々抹茶用に製作されたものですが、同じ物を数多く作った中の一つと思われます。平凡でなんの変哲もない茶碗ですが、眺めているだけで心が落ち着きます。五枚の写真で全体をご紹介します。

 最後は、現代の萩の作家の作品です。井戸茶碗を追求し、多数の茶碗を製作することにより、作為が消え、落ち着いた姿となっています。四枚の写真でご紹介します。