手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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昔の物 今の物

益子

益子

2019年4月7日
語り手:横山正夫

 栃木県益子は東京から最も近い窯場です。車で約2時間で行くことが出来ます。今でも盛んに焼き物が作られ、関東の一大産地と言ってよいでしょう。しかし、東京在住者にとって、最も身近な窯場にもかかわらず、「昔の物今の物」では、これまで産地としての益子を取り上げませんでした。それは、一部の工人を除いて、伝統に根ざした手仕事とは異なる焼き物を制作している作家が大多数であるためです。
 益子焼は江戸末期嘉永年間に笠間で修行した大塚啓三郎が開窯したと言われます。その目的は、近郷へ日用雑器を供給するためです。近郷の土を使い、釉薬も手近の材料を使い、甕、擂り鉢、徳利、火鉢等を作りました。成形して透明釉薬を掛けただけの石皿や片口は今でも骨董店の片隅で見かけます。そして、明治時代に入り、益子を潤わせたのは、土瓶の生産です。関東一円、東京でも使われていたと聞きます。器体に白掛けをし、その上に鉄、青、飴、呉須等で絵を描きます。以下に二点の土瓶をご紹介します。

 

 有名な山水の他にも多様な絵付けがありました。いずれも大量に生産するため素早い描画を要求され、手が勝手に動いたかの淀みのない美しい絵付けとなっています。
 しかし、ここでは描画ではなく、器体そのものに目を向けたいと思います。上の二点の器体を見て頂くと、白く肌理の細やかな陶土に白土が掛けられていることが分かります。非常に美しい陶土と白土ですが、現代の益子焼にはこのような陶土、白土は見られません。地元で「桜土」と呼ばれる肌理の細かい陶土で、現代にも存在するなら使うべき陶土だと思います。
 前述の通り、益子は日用雑器の窯です。その例として、以下に小土瓶、湯飲み、甕そして火鉢をご紹介します。

この小土瓶は以前にご紹介しましたが、旅館等で大量に使われた物で、形、梅模様共々手仕事の局地を表します。この小土瓶は汽車土瓶にも使われました。

窓絵の梅紋湯飲みです。

 柿釉薬で器体を覆い黒釉薬を流した甕です。つい最近までどこにでも見られた甕です。今も作られているのか不明ですが、益子の柿釉薬は地元の葦沼石を粉砕して素焼きをせずに生掛け、酸化焼成するだけで、この柿色になります。

 最後は、火鉢です。桜土に近い陶土を用いて、器体を横にして白土に浸けて丸紋を作り、そこに手早く山水紋を描き、全体を透明釉薬で覆います。火鉢の需要がなくなった現代では同じ物を求めることが出来ませんが、同じ陶土、釉薬、技法で現代に使える物で再現できたらと考えます。

 益子は昭和初期に濱田庄司が入ることで、徐々に変貌を遂げます。日用雑器の窯場に英国仕込みの陶器を持ち込んだのです。当初はよそ者扱いしていた益子の窯元も徐々に濱田の真意を知り、同化していきました。窯元の最初の協力者は佐久間藤太郎です。佐久間藤太郎は濱田に影響されながらも従来の益子の材料を使い新たな益子焼を目指しました。下の二点の写真は藤太郎の火鉢と大皿です。益子の伝統の中に新たな動きを感じます。

 益子に入った濱田庄司は田舎の健康な暮らしの中で、地元にある材料で自己の目指す陶器の制作を始めました。益子の陶土と並白、糠白、柿、青、黒、飴、灰の各釉薬のみで自己の作品を作り出しました。これらの釉薬は土灰、籾殻,銅粉、鉄粉、地元の寺山土(白土),前述の葦沼石の組み合わせですべての釉薬が出来ました。いかに濱田庄司が益子の新たな焼き物を目指していたかが窺われます。その上、従来からのこれらの釉薬の使い方も寺山土と灰釉薬で独自の地釉薬を作り、また黒釉薬、柿釉薬もより鮮やかさを出すため、その施釉薬の前に器体に赤土地を塗ったり、透明釉薬を塗ったりと工夫を凝らしています。なお、濱田庄司の陶技には、従来の益子にはない技法として、会津の磁土を使った物、赤絵、蝋抜き、ガレナ釉薬、塩釉薬の技法があります。
 ここでは塩釉薬の作品のみをご紹介しますが、この技法はドイツに昔からある技法で、窯たきの最終段階で粗塩を窯に投げ込み,粗塩中の曹達ガスと器体中の珪酸分が化合し曹達ガラスとなって器体を覆うものです。独特の美しさを持った作品となりますが、濱田庄司を超える塩釉薬の作品はその後現れていません。

 濱田庄司以降の益子は濱田庄司風の陶器が蔓延しました。民藝ブームに乗り、品物もよく売れたと思われます。そして、民藝ブームが去り現代の益子は多数の作家が多種多様な作品を作っています。しかし、その作品は益子の伝統とは無関係な、いわゆるクラフトの作品が大多数です。益子が焼き物制作に便利と言うだけで、陶土も釉薬も益子とは無関係な作品が益子の販売店に並びます。
 確かに益子は唐津、萩、小鹿田、はたまた瀬戸本業窯等のような昔ながらの特徴ある製品がありませんでした。しかし、益子とて上記のように独自の陶土、釉薬があるのですから、これを生かして、現代に合う製品を作って欲しいものです。
 以下に三点の写真で現代の益子の作品をご紹介します。

この陶器の釜は久野恵一さんが30年近く前に試作したものです。なんとか益子の陶土、釉薬で現代に使える製品をと考えて作ったものです。現在の益子の状況を見越していたかのような製品です。

この作品は現代の作家の作品です。益子の陶土、釉薬で十分に現代に通用するシンプルで美しい作品です。手仕事フォーラムが目指す益子の将来はこの作品の方向にあると思います。

 最後の作品は,言わずと知れた横川の釜飯の釜です。少し皮肉にもなりますが、益子で作られる産地不明の作品と比べたら、この釜の方がよほどシンプルで美しいと筆者個人は感じます。ちなみにこの釜は益子の窯元のトンネル窯で今も大量に作られています。