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バーナード・リーチと二川窯
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バーナード・リーチと二川窯

2020年8月18日
語り手:横山正夫

 手仕事フォーラムのブログに原田マハ著「リーチ先生」(集英社文庫)の紹介がありました。小説ですから、フィクションの部分もありますが、リーチの年譜にほぼ沿った形で物語が進められており、興味深く読みました。
 バーナード・リーチは日本で陶芸を学び、英国セント・アイブスで陶芸作家としての地位を築くとともに、日常使いの陶器を作りました(リーチ窯の作品については後日別項でご紹介します)。そして、度々来日し、日本の各地民窯で自己の作品を制作し、また職人に制作指導を行いました。有名な指導がピッチャーやカップの持ち手の付け方の指導です。
 本項では、リーチが昭和10年に二川窯で制作した小壺(甕)をご紹介します。
 リーチはその前年の昭和9年に3度目の来日をし、島根の舩木窯や湯町窯で制作し、また九州の民窯を巡り,翌年10年に二川窯で制作をしています。
 二川窯は、戦国時代に始まる弓野窯の流れを汲み、明治時代になってから生まれた窯で、武雄唐津の流れで弓野と同じ技法で、陶器を生産していました。弓野窯と言えば雄渾な松の絵の甕が思い浮かべられますが、二川窯も同じ技法で松の絵の甕を作っていました。しかし、弓野の甕と比べると形が痩せ、どこか松の絵も勢いがありませんでした。

 

弓野窯全盛期の松の絵甕

 それでも二川窯は明治から昭和まで白掛け鉄、青の絵付けの品物を作り続けましたが、リーチが二川窯を訪れた昭和10年頃には、すでに絵付けは衰退していたのではないかと思われます。おそらくその頃作られたと思われる二川窯の小壺(高さ16センチ、幅18センチ)を以下にご紹介します。

技法は,まさに弓野窯を承継していますが、形は痩せ、絵付けも勢いがありません。この二川窯でリーチが制作した作品が以下の壺(高さ15センチ、幅16センチ)です。

 弓野、二川の伝統を生かしながら、リーチ独自の作品に仕上がっていることが分かります。キリリと締まった形、生き生きとした松の絵、正に地方民窯の伝統を自らの中で消化し,独自の世界を作り上げていると感じます。
 改めて、バーナード・リーチの芸術性を思い知らされた観があります。
 以下に、二つの壺を並べてご紹介し、本項を終わります。