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伊万里赤絵の系譜

伊万里赤絵の系譜

2009年7月14日
語り手:横山正夫

民芸、手仕事とは多少趣を異にしますが、伊万里有田(以下有田と言います)の赤絵磁器の流れを追って行きたいと思います。 有田の磁器は、文禄、慶長の役で連れてこられた朝鮮の陶工により始められました。しかし、朝鮮の焼き物には、辰沙は有っても、赤絵はほとんど有りませんでした。赤絵の技術は中国明の国からもたらされました。有田の赤絵磁器は朝鮮李朝と中国明の技術によって出来たと言えるでしょう。
まずは、中国明末の民窯の赤絵皿をご紹介します。

大らかでのびのびとした筆遣いが魅力です。 この中国明の赤絵の技術が日本に入り、その後、有田ではまず、古九谷手と呼ばれる赤絵が作られました。

下の二枚の写真がその例です。

この時点でも、もう日本独自の赤絵が完成していたように思えます。
この古九谷手の後に、柿右衛門手の赤絵が出現します。しかし、その初期の物は後に知られる様な作りではなく、素朴さを残した物でした。

下の写真がその例です。

その後、柿右衛門手は現代に繋がる濁し手を完成します。

(有田赤絵のもう一つの流れは、柿右衛門手以外のいわゆる古伊万里手と言われる赤絵の流れです。 これも今に続く赤絵の流れですが、現代の物は華美に流れ過ぎて、手仕事の本質から離れてしまった感があります。

以下に古伊万里手の江戸中期の物をご紹介します。

有田の赤絵磁器の今日までの流れをご紹介してきましたが、柿右衛門が作家となり、古伊万里手はことさら華美を競い、本当の落ち着いた赤絵磁器は現代にないのでしょうか。

有田磁器は赤絵を含めて、それぞれの工程を分業によって作られてきました。そのため、どうしても有る程度の規模が必要となります。個人の仕事を中心とする手仕事の中では赤絵の仕事は難しいと思いますが、手仕事の中で、何らかの赤絵の仕事が現れることを期待します。