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河井寛次郎(1)

河井寛次郎(1)

2012年2月6日
語り手:横山正夫

 ご存じの通り、民藝において、河井寛次郎は柳宗悦、濱田庄司と並ぶ、その創設者です。その経歴、作品は多数の作品集等で紹介されており、ここで改めてご紹介するまでもありませんが、簡単に経歴をご紹介すると、河井寛次郎は、明治23年に島根県安来に生まれ、東京高等工業学校を卒業し、京都市立陶磁器試験場に入所し、清水六兵衛工房の顧問となり、大正9年に清水六兵衛の窯を譲り受け、鐘渓窯と名付け、大正10年第一回創作陶磁展を開催し、大正15年柳、濱田と共に日本民藝美術館設立趣意書を作成、発表し、以降、用の美に根ざした作品を発表するようになりました。
 本稿で、河井寛次郎をご紹介するのに、作品を羅列するのでは、作品集を見たり、また京都国立近代美術館へ足を運ばれる方が代表作を見ることが出来、有益です。そこで、本項では、筆者の個人的な河井寛次郎についての感覚を元に作品集ではあまり見られない作品の裏表までご紹介する形を採らせて頂きました。
 
まずは大正10年第一回個展で発表された、兎糸紋火焔花瓶です。

 この花瓶は、私事で、恐縮ですが、筆者の本家が島根県安来にあり、河井寛次郎とも親交があり、大正10年の個展または、その頃に購入したものと考えられ、最近その存在を知りました。民藝以前の作品ですが、端正な姿また釉薬の使い方は、陶芸作家としての力量を感じます。また、当時は、作品の底に鐘渓窯の印が押してあります。なおまた、箱は当時の箱ですが、共箱ではなく作品単体で頒布されていたのでしょうか。
 
 次の作品は、以前本項で写真のみご紹介したことがありますが、昭和4年に制作された白地櫛描抹茶茶碗です。

 この抹茶茶碗は昭和4年に制作されたものです。湯町の陶土を使い、白土で化粧をし、素早く櫛描を入れています。中国、朝鮮の陶磁器の最高峰を目指したとも言える上記花瓶から、まさに民藝に舵を切った作品です。この作品には寛次郎自筆の箱書、手紙及び郵便送り状が残っています。手紙は後日ブログでご紹介しますが、箱書、郵便送り状の文字を見ると、晩年の踊るような花文字とは異なり、落ち着いた文字を記しています。ただ作品の底には晩年の花文字を予感させる「寛」の文字が印字されています。
 次回に河井寛次郎(2)として、角皿、陶硯及び湯飲をご紹介します。