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河井寛次郎記念館の柱時計

河井寛次郎記念館の柱時計

2014年10月8日
語り手:横山正夫

 河井寛次郎記念館の受付を通り、板の間の広間の柱に変わった柱時計が掛かり、今もコチコチと音を刻んでいます。無垢の木材で作られ、丸頭にカーブガラスを使った振り子室、そのデザインの美しさは数ある柱時計の中でも最上の一つでしょう。

 この時計は、河井寛次郎が昭和12年に自宅を新築する際、柳宗悦が新築祝いとして河井に贈ったものと言われています。ちなみに、濱田庄司は階段箪笥を贈ったと言われており、当時の柱時計のおよその値段が推測されます。河井寛次郎の自宅は、建物その物が河井の民藝を体現する物であり、この柱時計もその一部と考えられます。
この柱時計が、何時、何処で作られた物か、ずっと気になっていました。柱時計は、ご承知の通り、明治5年に日本が、太陽暦を採用するようになってから、主にアメリカの柱時計が大量に輸入され、これを真似て日本の時計産業が発達しました。明治後期から大正頃の柱時計はそのデザインすらアメリカの柱時計をそのまま真似た物がほとんどでした。この歴史的背景からすると、この柱時計もアメリカの物か、その写しの日本製であることが考えられます。この時計の文字盤には「アンソニア」の表記がありますが、「アンソニア」はアメリカの時計メーカーです。しかし、これまで、「アンソニア」でこの時計を作っていたとする記事を読んだことがありません(どなたか知っていればご教示下さい)。おそらく名古屋で製作されたオリジナルの柱時計ではないかと思われます。そして、そうだとすると、大正末頃には日本の柱時計は輸入物を超えて機械もデザインも一人歩きを始めたとも言えます。
以下に名古屋時計製の同種の柱時計をご紹介します。現代の住宅に掛けてもモダンで存在感のある時計です。