手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

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もやい工藝四十年によせて

もやい工藝四十年によせて

2011年11月11日
語り手:横山正夫

 手仕事フォーラム十周年、もやい工藝四十周年を迎えるに当たり、昔の物今の物の本稿をかりて、お祝いを申し上げますとともに、四十年前を思い出して、著者の雑感を述べさせて頂くことをお許し下さい。
 著者と久野恵一氏(以下いつものように久野さんと記載します)は一つ違いの所謂団塊の世代にあたります。この世代は大学時代、学生運動のまっただ中で、バリケード封鎖等でろくに授業も受けずに卒業した記憶しかありません。著者のようなノンポリ学生(学生運動に無関心な学生)は授業もなく期末テストもレポート提出で済ませられたため、ラッキーな学生生活でした(久野さんは宮本先生の下でしっかりと勉強したと思いますが)。このノンポリ学生は授業がなかった分、自らの行いたい事に学生時代からのめり込みました。その後、団塊の世代が多種多様な人材を生み出したのは、この学生運動の影響かもしれません。
 著者は1972年(昭和47年)に大学を卒業し、司法試験受験生となりましたが、卒業記念に友人と東北旅行に行く計画を立て、丁度その頃月刊誌「太陽」で日本の焼き物特集があり、そこで紹介されていた東北の民窯を巡る事としました。これが著者の民藝に足を踏み入れるきっかけとなりました。この旅は益子、笠間、久慈、楢岡、新庄、平清水、会津本郷と巡りました。
 この旅の後、当時よくドライブで行っていた鎌倉に向かう途中、北鎌倉駅近くに大きな壺を通りに並べている小さな店を見つけました。店は3坪位で焼き物が沢山展示してあり、その店の広さ以上の広さを使って、通りに焼き物を置いて商売をしていました。車を近くに置いて、店にはいると、著者と同年配の若者(当時23歳)が応対してくれました。これが久野さんとの出会いです。当時の久野さんは今のイメージと変わらず体格がよく(太っているとは言いません)袖無しのチョッキを着ていた印象があります。
 焼き物に興味を持ち始めた時でもあり、久野さんの話を聞きたくて、暇さえあれば、北鎌倉へ通うこととなりました。
 当時の久野さんの店には、すでに、小鹿田の坂本茂木さん、柳瀬朝夫さん、柳瀬満三郎さん、小石原の太田熊雄さんの作品がありました。今から思えば、開店間もない久野さんの目はすでに、定まった目を持っていたと敬服します。但し、当時は多少作家物も置いていました。舟木研司さん、石飛勝久さん、生田さん等です。
 この当時、北鎌倉もやい工藝で著者が購入した品物を以下に写真でご紹介します。

舟木研司さん

生田和孝さん(五枚組)

生田和孝さん

太田熊雄さん
久野さんから紐作りで作ってあると説明を受けました。

太田熊雄さん
すでに店にあるときから破損していましたが、それを久野さんが一生懸命接着剤で直していた姿が思い出されます。

石飛勝久さんの鎬碗(五個組)です。

坂本茂木さん五点

柳瀬朝夫さん六点

 それぞれの品物購入には、それぞれのエピソードがありますが、それは後日お話しするとして、こうして久野さんと出会って、あっという間に40年が過ぎました。この間、久野さんの仕入れの旅に同行させて頂き、東北から九州、屋久島、沖縄と日本各地を巡り、また、久野さんのご自宅を建築した設計士をご紹介頂き、著者の山荘の建築も叶いました。いつの間にか60歳を超えている自分に驚いていますが、40年の節目をお祝い致しますと共に、もやい工藝の50周年、60周年を楽しみにしています。
 
最後に久野さんの旅のスナップを・・・