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隠岐國風土記

土地の音

土地の音

2009年8月11日
語り手:田中浩司

旅に出て買うものはいつも決まっている。それはCD。旅の途中でラジオから良い曲を知って買いに行くのなんて最高だ。そこには旅した風景や空気の振動が詰まっている気がするから。「アルバム」とはよく言ったものだと思う。

 セミプロ民謡歌手で、民謡研究家の叔父が隠岐の旅の後に送ってくれた一枚の葉書には、「日本各地にはその土地の歌があり その土地の音を聞くのが人生だ」といった内容の彼の人生観が書かれていた。確かに民謡も旅人にその土地らしさを聞かせるものだろう。叔父がわざわざ訪ねてきたように、ここ隠岐の島は民謡の宝庫。海上の交流によって様々な民謡がもたらされ、独自に発展した土地でもある。「しげさ節」は越後地方の「しゅげさ」が変化したものといわれる。 また、しゃもじをもって陽気に踊る海士町の代表的な民謡「キンニャモニャ」も熊本民謡がもとになったとも言われていて、かつての人の行き来をしのばせる。民謡の島ということもあってか、バンドのヴォーカリストも民謡の家系で占められている。

 民謡だけでなく、近頃は地方アーティストがそれぞれの土地を背景に音楽活動をしている。浜田真理子さんや六子さんは松江のどこそこで歌っていたという話をよく耳にする。「あら、うちのお店でもライブしてもらいましたよ」なんて話もちらほら。レコード屋でもかなり大きく地元アーティストが取り扱われていて、「島根って結構ナショナリズムが強いなぁ」と改めて思ってしまう。無理に地方性を入れてしまうのは、官僚的な地産地消と同じでちょっと無理があるけれど、なんとなく島根っぽいと思える作品は聞いていても心地よい。山の稜線を描くような音。田の畦に漂うような音。日本海に落ちていく夕日の中にある音、などなど。人の数、車の数、木の数や空の大きさは全然東京とは違うのだ。自然環境の音自体が違うんだから、違った音楽が生まれてきても不思議じゃない。

 東京やLA発の音楽がミスマッチになることを経験することもしばしば。音楽だけでなく、音楽を受容する背景も地方ごとで結構違うかも知れないのだ。逆に島根でよくても東京に行くと合わないこともあって、やっぱりそれぞれに見えない地方性があるんだろう。

 「カバーもいいけど、やっぱりオリジナルが欲しいわな。それも海士に根ざしたやつ」と、オリジナル楽曲の制作の話もちらほら。地方性という言葉には土地の音楽も含まれる。土地それぞれの音楽があり、それを聞くために旅をするというのもあっても良い。コンサートツアーではなく、コンサートを聴くためにどこかへ旅に出る。風土を見聞きし、体験するなかで聞かれるような音楽が土地にあると、旅はもっと楽しくなるだろう。