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隠岐國風土記

ものづくりのヒント

ものづくりのヒント

2009年11月10日
語り手:田中浩司

 隠岐には日本でも数少ない牛突きが残っている。御配流となった後鳥羽上皇が角を突き合って戯れる牛を見て喜び、慰められたことから隠岐の牛突きが始まったという。現在では島後(隠岐の島町)に残っているだけで、ここ海士町には現存しない。島めぐりで出会う牛たちは牛突きの牛ではなく、食肉用に育てられている牛たちだ。
 歴史ある牛の産地である割にさほど知名度がないのは、子牛の段階で松坂や神戸などの銘柄産地に出荷され、その産地の名で流通してきたためだ。そのため島民は子牛がその後市場でどう評価されているのか、そしてエンドユーザーである消費者に最終的にどう評価されているのかあまり理解してこなかったという。事情は海産物でも同じだ。
自分も常々念頭においているように、作り手であることと使い手であることは根本的に違うことだ。外部評価を参照することが乏しい離島では自分勝手なものづくりが横行してしまうことが多々ある。そして、当然のことながらそうした産品は売れない。市場や消費者への理解が乏しい自己満足品だからだ。どうも島社会では単純作業とものづくりが混同されている節がある。また、農林水産組合の庇護のもと最終的な消費をイメージせず、生産・販売・流通と分業・分断してきた過去も大きいようだ。
 牛については、そうした反省も踏まえて、ある一人の牛飼いの試みから隠岐でも肥育が始まるようになる。現在、島で唯一の焼肉・精肉店を営む井上さんのお父さんがその先駆者だった。ちなみに、島に来て一番驚いたことのひとつは、全てのお店の肉が冷凍品なのに井上さんの営む良質な焼肉屋があることだった。地産地消と地域ブランドはイコールではない。
近年の取り組みで島の中で子牛から市場に出すまで育てるようになり、より活発なものづくりへとつながっていく機運も出てきた。ブランド名を「隠岐牛」とし、東京食肉市場でも最高ランクの評価を受けるまでに至っている。

 同じ島ではありながらあまり接点もなく別々に仕事をしてきたが、最近隠岐牛の販売に関わることになって、はじめて井上さんの話を聞いた。牛の質についてはもちろんだが、実はそれよりもどのようにして島民自らが新たな試みをなしえたのかということの方に個人的な興味があった。というのは、なんでもそうだが隠岐牛もすぐに市場評価に晒されるため、市場や消費者の動向に鋭敏ではなければすぐにランクが下がる。単に島生まれ島育ちだから良い、ということにはならない。要するに自己満足品では商売にならない。「そんなの当たり前」と思われるかもしれないが、そこは離島。まったく意識が違う。 

 井上さんは「牛に関することはなんでもやった」と語り、若い頃は銘柄産地や市場に自分から飛び込んで牛ついて学んできたという。「普通は餌会社の既製品から買うんだけど、銘柄産地にいたときは自分でも餌の配合までして売ってきたし、真夜中に神戸で餌を仕入れて、翌朝までに自分で松坂に餌を運ぶなんてこともしていた」そうだ。もちろん、焼肉や精肉を通して、エンドユーザーの意見を汲んできたはずだ。「やはりな」と、思った。というのも、そうでもしない限り自己満足品づくりになってしまう土地柄だからだ。
 全国の「道の駅」が人気と聞く。成功事例も増えてきた。しかし、本土と道路がつながっていない以上、島では「道の駅」のように絶えざる外来者とのコミュニケーションによって成長することはできない。「離島」という離島振興法の法令用語には、そのひとつの条件として海に囲まれた「環海性」という定義がついている。「なぜ島振興法じゃなくて、離島振興法なのかって聞いてみたんです」と、知り合いのライターさん。「それは離という言葉がある方が、うら寂しそうで法案が通りやすそうだったから」だそうだ。島である、ということは畢竟そういうことなのだ。道路が本土とつながっていないということの意味はとてつもなく大きい。物理面だけでなく、精神面にも大きな影を落としている。
では、どうするか?さしあたり、何度も隠岐海峡を渡って、「本土」を理解する努力をするしかないだろう。島の中でビジネスをしている人たちは何度も隠岐汽船に乗っている。もちろん、本土に行けばいつもなにかあるという訳ではないし、個人の意欲次第でも成果は大きく違う。とはいえ、島と本土との往復の中にものづくりのヒントが、たぶんある。