手仕事フォーラム〜手仕事の品をとり入れた生活の素晴らしさを

ホーム>連載・手仕事レポート>隠岐國風土記>海士ノ塩

隠岐國風土記

海士ノ塩

海士ノ塩

2007年4月20日
語り手:田中浩司

我こそは新島守よ 隠岐の海の荒き波風 心して吹け
後鳥羽院御製       

島根半島沖、約60キロの日本海に浮かぶ隠岐諸島、中ノ島。この地は古来より海士(あま)と呼ばれ、平城京や平安京に乾燥鮑などの海産物を貢納してきた漁撈の民・海部(あまべ)の郷として知られてきました。当時の海産物は塩蔵だったこと、また中世にこの地に御配流となられた後鳥羽上皇の遠島百首に塩焚きの歌があることから、古代・中世から塩作りの地であったことが推測されます。エピグラフの和歌は上陸時に風がやみ、先に進めなかったことから詠まれた歌。隠岐での後鳥羽院の和歌は「遠島百首」にまとめられています。

 

天川の水に映える椿

 海士ノ塩の源は行基伝説の残る日本名水百選「天川の水」の注ぐ島の東側、保々見湾の海の水。この湾は清浄海域に指定され、岩ガキ「春香」の養殖場にもなっています。晴れた日にはカワハギやアジなど様々な魚たちが泳ぎ、鬱蒼と茂る海草樹林を見ることができます。余談ながら、日本海側は海草の宝庫であり、ちょうど夕日の写真の場所には「天然記念物・黒木蔦」が生息しています。なぜ、中東・紅海原産とされるとこの海草が隠岐に生えているのかよくわかっていません。ロシアのバルチック艦隊からもたらされたというフォークロアも残っていますが、事実ではないでしょう。ただ、対馬暖流を通して対馬と繋がっていても不思議ではありません。この海草の黒木という名前は後醍醐天皇の行在所跡とされる西ノ島・黒木御所に由来しています。

 

 防波堤沖50mの場所から採取された海水は、枝条架と呼ばれる風力を利用した装置で濃縮され、2m四方の平釜で島の薪だけを使って約12時間かけて焚きあげられます。出来上がった塩は自然脱水された後、更に天日干しにされ、手作業で微小な異物を取り除いて出来上がります。現在、多くの塩が遠心分離機で塩を乾燥させていますが、ここ海士御塩司所では自然乾燥で乾燥させているため、にがり分が残り、一般的な塩と比較して湿った感じがします。

 この仕事は農業・漁業と並んで自然・天気との関わりが強く、常に湿度や風力に注意を払っています。フランスの塩の産地ゲランドでもそうですが、ここ隠岐でも塩の生産量は天気次第といっても過言ではありません。風が吹かなければ海水が濃縮されないため、漁師が漁に出られない程の大時化が皮肉なことに塩作りにとっては最適です。英語では製塩にharvestという動詞を当てることもありますが、この表現を始めて見たときに深く頷いたのを覚えています。harvestの原意は穀類などの収穫ですが、塩作りをharvestという呼ぶ背景に、恐らくは意のままにならない自然との緊張関係の中で仕事をする塩作りの集合心性(マンタリテ)を垣間見た気がします。

枝条架式濃縮棟

 隠岐には「バクダンおにぎり」という岩のりのおにぎりがありますが、海藻類と一緒におにぎりを作るのもお勧めです。海士ノ塩は梅干・塩辛作り、味噌作りなどにも使われる「島の味」の一コマになり、今年は海士ノ塩を贅沢に使った醤油の仕込みが始まるなど、「島根の味」の一コマにもなってきました。

 

 この度、縁あって小田中耕一さんから素敵な型染を頂き、手仕事フォーラムの塩として私共の海士ノ塩を皆様にご紹介できることを海士御塩司所一同、心より感謝申し上げます。


隠岐諸島とは?

島根半島の北、約60キロに位置する大小180の島々のこと。知夫里島(知夫村)、西ノ島(西ノ島町)、そして自分の住む中ノ島(海士町)とその周辺の島々を隠岐島前(どうぜん)と呼び、一番大きな島を隠岐島後(どうご)と呼びます。島前3島間は海上バス「内航船」で行き来できます。