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隠岐國風土記

言葉という風土

言葉という風土

2010年2月1日
語り手:田中浩司

 海外に行くと、異邦人になる。言語環境が一変し、自分一人だけよそ者になる。話しかけるどんな言葉にも言葉への信頼があり、聞きとるどんな言葉にも言葉への敬意があるような異国。地方に住むようになった理由のひとつには、いつの頃から芽生えたそんな異国の言葉への興味もあるかもしれない。

 隠岐にいるよりも松江にいると、生まれ育ったマチから遠いマチに来たなと思う。「一千」のアクセントは「いっ」せんとなり、標準語のいっ「せん」と対照的だ。もちろん、隠岐にも方言があって、しかも島ごと、細かく言うと地区ごとに少しずつ違う場合もある。この島の場合、会話の語尾には「だけん」「わい」が付く。「すぐいくけん、まってごせ」「うまくいかんだわい」といった具合に。ところが、島後に行くと松江に近く「ちょる」になる。「それしっちょる(しっちょー)」「やっちょる(やっちょー)」という具合に。いつだったか松江で髪を切ってもらっていると、「お仕事ですか?」と聞かれたことがある。一瞬何のことかと迷ったが、「仕事で松江に来ているのか」という質問 だと理解した。標準語のイントネーションから出張中と思われたようだ。自分ではわからなくても、イントネーションからなんとなくわかるらしい。

 島に来た最初の数ヶ月は隠岐弁に影響されてしゃべり方が変わったが、またすぐにもとに戻った。住み始めて6年目。ほとんどの言葉はわかるが、地元民でもないのに隠岐弁を使うことには違和感がある。外国語なら開き直れるが、日本語同士ともなると関係は微妙だ。隠岐弁でしゃべるのは、もっぱら自分のような新住民か仲良しの島生まれの友達との会話だけ。一番使うのは、「そげか(そうなんだ)」と「どげでもいい(どうでもいい)」。ある意味で島での生活を象徴しているかもしれない。

 「まめなかい(元気かい)?」はメールだけ。しばらく意味がわからなかったのが、「えらい」。えらいは、「偉い」ではなく、どちらかと言うと「大変」の場合が多い。「塩をつくるとは、こりゃまたえらいこったわい」は、塩を作ってて偉いのではなく、大変なことだという意味。同じ音でも意味が全く違うのは、「せつない」。隠岐弁では「疲れた」の意味。長く働いた後で、「あんた、せつなくないかい?」と言われても、「寂しくないか?」という意味ではないから要注意。ある年齢になると出るのが、「そち(君)」。「そちが好きなようにすればいいけん」は、君にまかせるということ。これはもうほとんど時代劇だ。

 標準語でしゃべるか、隠岐弁でしゃべるか。自分の立場はそれによって微妙に異ってくる。標準語は中央の言葉、隠岐弁は周辺の言葉という言葉の階層は確実にある。私のような標準語話者に対して地元民が標準語を使って話しかけてくると、やや複雑な気持ちになる。特に島の人には隠岐弁、自分に対しては標準語と使い分けられると尚更だ。それは下手とか、どこか発音がおかしいというよりも、否応なしに標準語の政治的優位を感じさせるからだ。近代国民国家と共に成立した「国語」の歴史と切り離せない言葉の政治がそこにある。

 「生徒に自分が普段使う言葉で訳せと言ったら、ある生徒がなまってしまうと言ってきた。そのとき、標準語しか念頭に置いていなかった自分を恥じた」というようなことをかつて翻訳家の柴田元幸氏が書いていたが、おそらく感じていることは似たような「居心地の悪さ」だと思う。しかも、具合が悪いことに自分には戻る土地の言葉が標準語しかない。生まれ育った神奈川県南部では語尾に「べ」「たべ」が付く方言があるが、自分は使ったことがない。かといって、土地のものでもないのに隠岐弁でしゃべることが、対等だとも思えない。こちらが無理をしているからだ。それぞれ自分の生まれた母語で言葉で語り合うのが、一番対等に近いように思うが、現実はもっと複雑だ。

 ところで、今書きながら、ふと思ったが、仕事の上で標準語をしゃべれるというのは地方社会ではひとつのアドバンテージなのかも知れない。思わずお国なまりが出てしまう、というのは当事者にとってどうなのだろう。そこに劣等感はあるのだろうか。自分にはよくわからない。

 風土に即して考えるとは、風土の言葉に即して考えるということである。言葉とはそれ自体価値であり、言葉が違えば価値感も違うというのは自然なことだ。かつてゲーテは「ひとつの言語しか知らない者は言語を知らない」と書いたが、それに即して言えば「ひとつの日本語しか知らない者は日本語を知らない」と言うところだ。標準語だけ理解していても、日本の内なる多様性を理解することはできない。

 地域からの情報発信を考えるときに、意図的に方言を採用する場合がある。かつて土地のもの、集落のものを意味する「じげ」を島の特産品のブランド名として採用したことがある。お店のスタッフが「じげセット」とか、「じげシール」と言っているのは、聞いていても心地く、その言葉から風土も聞こえてくる気がする。採用しなかったが、「わがでばい(自家栽培)」という言葉もそのうち何かに使おうと思っている。各地で異なる風土を語る時に、「では、どの言葉で?」というその土地の言葉、その土地の価値感についての反省もあっていい。それで、どげだらうか(どうだろうか)?