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隠岐國風土記

レヴィ=ストロース隠岐来島30周年に寄せて

レヴィ=ストロース隠岐来島30周年に寄せて

2007年12月15日
語り手:田中浩司

 今年でフランスの構造主義人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-)の隠岐来島から30周年を迎える。この記念すべき節目の年を迎えるにあたって、当時の様子を知る方々のお話をもとに世紀の碩学の隠岐紀行を振り返ってみたい。
 構造主義の旗手として知られるレヴィ=ストロースは、親族研究やトーテミズム論、いわゆる無文字社会の深い知性を論じた「野生の思考」論、また北南米の壮大な神話研究などの分野において古典的な業績を残している。また、若き日のブラジルのフィールドワークを綴った『悲しき熱帯』の文体に見られるように、芸術的感性にも恵まれた学者である。レヴィ=ストロースは親日家としても知られ、日本文化にも造詣が深い。主要著作はほとんど翻訳されているが、長らく実現しなかった大著『神話論理』の翻訳も現進行中であり、再びレヴィ=ストロースを見出すに相応しい時を迎えていると言えるだろう。
  レヴィ=ストロースは1977年10月17日に国際交流基金の招きで初来日し、京都での講演後の 11月15日から20日までの6日間隠岐に滞在している。隠岐に同行された吉田禎吾東京大学名誉教授のお話によれば、この旅は「日本の島が見たい」というレヴィ=ストロースの要望に島根での調査が長い吉田教授が応えて実現したものだった。
 レヴィ=ストロース一行は東亜国内航空で島後の隠岐空港に降り立ち、隠岐国分寺や隠岐郷土館を巡り、西郷や都万では農漁村の様子を見学している。当時69歳だったレヴィ=ストロースは隠岐の動植物から産業に到るまで様々なものに興味を持ち、常に熱心にノートを取りながら歩き回っていたという。その姿から「構造主義は一見ものごとの具体性を捨象するように見えますが、実は極めて具体性を重んじる立場であるという印象を受けました」と吉田教授は語る。

レヴィ=ストロース夫妻【撮影=吉田禎吾教授】

 来日講演をまとめた『構造・神話・労働』の中でも触れられているように、レヴィ=ストロースは隠岐の旅館で体験した配膳の仕方に強い興味を示している。既に『神話論理』第3巻で食事作法の研究を行っていたこともあり、京都の料亭とも異なる食器の配置や料理の出し方について細かく尋ねたようだ。
 島前・中ノ島では隠岐神社や御火葬塚を巡り、当時水産業で最盛期を迎えていた豊田や崎の集落を訪れ、活気に満ちた漁村の姿に感銘を受けている。菱浦港から内航船で別府に渡る一行と出会った豊田在住の丹後亜興さんは、後の新聞報道であの時の存在感ある外国人がレヴィ=ストロースだったことを知る。ちょうどご自身が『野生の思考』を手にした頃で、レヴィ=ストロースとの出会いに深い感慨を覚えたという。丹後さんは「レヴィ=ストロースは自分の出会った人の中で最も偉い人」と、20世紀の知の巨人との邂逅の興奮を語った。
 西ノ島に渡ったレヴィ=ストロース一行は隠岐の誇る景勝地である国賀海岸にチャーターした船で向かい、牛と共に摩天崖遊歩道を歩いている。その景観美にレヴィ=ストロースは何度も何度も「素晴らしい」と感嘆の声を上げた。時刻はそろそろ夕暮れを迎え、日本海には夕日が落ちていく。吉田教授は思わず『悲しき熱帯』の美しい夕日の描写を思い出したという。

国立公園 国賀海岸と摩天崖

西ノ島の夕暮れ

 浦郷に向かうと、ちょうど船おろしが行われているところだった。レヴィ=ストロースは船上から投げられたよもぎ餅を拾って、「美味しい」と言いながら食べたという。餅だけでなく、レヴィ=ストロースは隠岐滞在中、刺身はもちろん、生ウニ、さざえ、あわび、もずく、とろろ芋などすべてに舌鼓を打っている。餅投げの後、船は進水し、進水式は終わった。浦郷の人々はフランスからの突然の来島者に「まんがよい(運がよい)」と喜んだという。
  この時に行われた餅投げの様子をレヴィ=ストロースは「意味は違うがポトラッチに似ている点もある」と語っている。ポトラッチとは北アメリカ北西部の先住民族に見られる祝宴や贈与の競争によって部族の威信を高める儀礼で、部族間の友好関係の強化にも敵対関係の強化にも通じる。おそらく儀礼的蕩尽の点にポトラッチと餅投げの共通性を感じ取ったのだろう。ポトラッチの一語に、師と仰いだマルセル・モースの影が映る。
  ひっそりとした晩秋の隠岐の光景に心を打たれたレヴィ=ストロースは、「日本の景色の美しさについてはフランスで知っていたが、実際にこれほど見事な景観に接するのは生まれて初めて」と大絶賛したという。幼い頃から手元にあった浮世絵以上に、実際の隠岐は美しく、後の講演の中でも隠岐の海岸線の美しさを称えている。ノートには「日本では風景もカリグラフィー(書道)だ」ともある。そして、自然の美しさと共に、そこに人の手を介した文化の存在を見出している。初期の著作から続く「自然と文化」をめぐる一貫した視座で隠岐を見ていたに違いない。

カリグラフィーとしての夕暮れ 中ノ島 諏訪湾

 帰路も往路同様、西郷から飛行機で帰る予定だったが、強風のため飛行機は欠航。一日延ばして天候回復後に帰ることもできたが、レヴィ=ストロースは「色々なことを経験したいので船で帰りたい」と言い、大時化の中、隠岐汽船で七類港へ向かった。一般の乗客はもとより夫人も大変船酔いに苦しんだが、「レヴィ=ストロースは全く平気そうでした」と吉田教授は驚きと共に振り返る。吉田教授は海軍時代の教練で船酔いに慣れていたが、レヴィ=ストロースも相当に船酔いに強く、平然とお弁当を食べていたという。帰国の際、レヴィ=ストロースは吉田教授に「隠岐の旅は忘れない」と旅の余韻を伝えている。
 レヴィ=ストロース隠岐滞在、最後の日。西郷の旅館を出ると、そこにはひっそりと野生のすみれが咲いていた。実はレヴィ=ストロースの代表作『野生の思考』の題名はフランス語では「野生の思考」という意味と共に「野生の三色すみれ」というふたつの意味を持っている。旅立ちの日の「野生のすみれ」。それは隠岐の島から「野生の思考」の学者を称えて贈られたささやかな別れの挨拶だった。

筆を走らせるレヴィ=ストロース【撮影=吉田禎吾教授】

初出 山陰中央新報文化欄2007.11/8〜9

参考文献
レヴィ=ストロース『構造・神話・労働』みすず書房, 1979
吉田禎吾 「隠岐の島のレヴィ=ストロース」 『UP』 東京大学出版会, 1978
吉田禎吾他『レヴィ=ストロース』清水書院, 1991