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隠岐國風土記

島の春

島の春

2008年5月19日
語り手:田中浩司

 島の春は強風の中にある。隠岐の島各島を結ぶ小型フェリーの欠航もまれではなく、障子を揺らすような朝には島内放送の欠航案内を寝床の中で予想する。波と島の生活は、密接なもので、天気と波の高さはひとつの生活情報となっている。特に高速船は3m以上で欠航してしまうので、「出る者」(島から出ることは、単に「出る」と言われる)にとって波の高さは、渋滞情報に匹敵する交通情報なのだ。欠航が予想されることも見越して、大抵の場合高速船での移動とフェリーでの移動のふたつの旅程が同時にくまれることになる。
 また、島の春は黄砂の中にもある。当初はにわかには信じがたかったが、黄砂もまた府春と共に強風に乗ってくる。島の春がどこか霞んで見えるのは黄砂のためでもある。水平線と島の輪郭がぼやけ、強風で普段は穏やかな海岸に白波が立つ。
 大学生の時に島尾敏雄のエッセイ全集を買って、ほとんど読まずに放置していた。小説家としてはもちろん、島尾の「ヤポネシア論」は南方諸島の精神文化運動にも影響を与えており、その理解の補助線として島尾に出会った。その後、島尾のように島に移住するとはまったく予想もしなかったのだからわからないものだ。島尾のエッセイに移住者から見た島への視線がある、と思い出したのは、比較的最近のことだ。田舎賛美や幻想はともかく、島には島の問題があり、それを島尾は「孤島苦」という印象的な言葉で呼んでいる。「孤島苦」とは、なんとも悲しげな言葉だ。そこには物理的な受苦や、精神的な受苦が含まれている。ガソリン談義が本土側で活発化しても、そこに離島の入る隙はない。レギュラーガソリンがリッター200円になるのも時間の問題だ。輸送コストという物理的な受苦。そして、本土に対する身についた受身の精神。

かつての隠岐三大漁港・崎港

 移住した島尾は、奄美の夏が印象的だったようで、繰り返し体感の違いについて書いている。それにならって、隠岐の季節の印象を言えば、やはり島の春が一番印象的かもしれない。冬の間に冷気が作り出す身体の緊張が、春になるにつれてほどけていくあの感じ。3月から走り出す高速船の警笛から春を感じるという島民もいるが、その頃から空気がゆるみだし、春らしい暖かさが肌に訪れる。少し強まった太陽の熱。山には山椒の清涼な芳香が漂い、田には水が張られ、新緑がいよいよ鮮やかになる。

 突風の中で、別れの紙テープが風に大きく舞うのも島ならではの春。進学や就職のために、中学・高校卒業後にはほとんどの若者が島を離れていく。だから、春には連日のように見送りの紙テープが舞い、ひとりひとりと島民が減っていく。あるいは友人や子供たちが去っていく。それが産業や高等教育機関がない島の「孤島苦」なのだ。逆に島に新しく人が来ては「おもてなし」する情の厚さは、この春の情景の反転画像のようにも見える。人は必ず去っていくものだからこそ、もてなし、つかの間のひと時を楽しもうとするのかもしれない。

 春、島を出て行くときは、島民往復切符ではなく、片道切符だ。もう、島民ではなくなるのだから。